「ちょっと寒いけど、このスーパーでお茶は、今の時期がいちばんいいかもしれないね。夏になったら、生もの買ってこんなにのんびりできないもの」 「バカねレイチェル。春ってものがあるでしょ。コレ桜の木。きっと咲いたら綺麗よ」 「桜が咲いたらみんながここでお茶しちゃうじゃない」 「そうなったら、席がもうちょっと増えるんじゃないかな」 エドワードが、砂糖とミルクを入れたコーヒーをすすって、穏やかに笑った。エドワードの声は、どことなく、人を安心させる力がある。それは多分、ふんわりと、桜の花びらが舞う季節に似ていた。 「席が増えたらいいわよね。春にはやっぱ、和菓子の出店とかあるのかしらね。桜餅食べたいわあ」 喋っているのは、もっぱらシナモンだ。ルナは、レイチェルとシナモンと――エドワードと、近所で一番大きいこのスーパーに、夕食の買い物に来ていた。 このスーパーには、週替わりで、クレープだの、アイスだの、小さな屋台が出て、簡易なテーブルと椅子もいくつか置かれていた。今週は、アイスだ。寒い季節なのに、ちらほらと買っていく人が見えるが、さすがにここに座って食べていく人はいない。ルナたちもアイスではなく、温かなコーヒーや紅茶で過ごしていた。 ルナたちは、買い物ついでにここでお茶をすることがよくあった。ミシェルたちとはリズン、シナモンやレイチェルたちとはこのスーパー。それが、ルナのこの宇宙船に入ってからの定番だった。 ルナは、シナモンたちL5系からきた都会人のほうが、おしゃれなカフェに行きたがるのでは、と思っていたが、そうでもないのだった。L5では、リズンのようなカフェは珍しくないので、逆にこのスーパーの出店のほうが新鮮なんだそうだ。 10月も終わろうとしている季節には、外でお茶は寒いのか、あまり人気はない。 「つうかさ、ルナ、彼氏できた?」 ルナは、突然話を振られ、ロイヤルミルクティーを、レイチェルに向かって吹きそうになった。レイチェルは、びっくりして身を引いて、困った顔で、シナモンを突つく。 「やめなよ。ルナにも、きっとそのうちいい人ができるんだから。あんまり言われるの、あたしだったらヤダよ」 「違うのよ。リサがさ、うるさくって。だれかいい人いたら、ルナに紹介してやってくれって。すごくてさ。……ルナ自身はどうなの? いま、彼氏ホントにいらないの? それとも欲しいの?」 「う〜ん。いらなくはないけど。……や、でもやっぱ、いらないかな。今は、宇宙船の生活に慣れたい。そっちの方が先」 「じゃ、リサにはっきりいいなよ。今いらないってさ。じゃないとああいう子は、どこまでもお節介焼くよ」 「何回も言ってるんだけどなあ」 ルナが苦笑していると、「やっぱここだった! 置いてくなんてひどいよ!」と駐車場のほうから声がする。みんなでそっちを見ると、ジルベールが真っ赤なスポーツカーを駐車場に止め、不貞腐れた顔でこっちに走ってくるのが見えた。 「ひどいよ。俺だけ置いてくなんて。みんなで買い物するなら言ってよ!」 「ひとりでドライブ行ってたアンタが悪いんじゃない」 「だってシナモンが行かないっていうから!」 「今日は、メイク講座行ってたのよ。それに、ここ携帯使えないんだからさ。仕方ないじゃない」 シナモンが言うと、「ベティのチョコ買ってくれた? あ、やった。さすがシナモン。俺もなんか飲もうかな」 ジルベールは、シナモンの脇に置いてある買い物袋をごそごそとあけ、目的のものがあるとすぐ機嫌を直して、出店のほうに向かった。 チョコシェイクを片手に、ジルベールはシナモンの買い物袋を持ち、エドワードはレイチェルのとルナの買い物袋を持ってくれた。エドワードのレディ・ファーストは徹底している。一緒にいれば、レイチェルどころか、ルナにも重い荷物は絶対持たせないのだ。ジルベールは車を駐車場に置いてきた。ジルベールのスポーツカーは2シートで、みんなは乗れない。ジルベールとシナモンは車で帰ればよかったのだが、寂しがりのジルベールは、みんなで帰る、といって聞かない。スーパーと家の距離は大したことないので、5人で、帰り道をてくてく歩きながら、シナモンはまだ、ルナの彼氏の話をしていた。 「ルナに彼氏? 彼氏欲しいの? 俺紹介しよっか? ルナくらい可愛かったら、気にいる男いっぱいいるよ」 ジルベールがルナに言った。なぜかレイチェルが首を振った。 「ジルベールのお友達って、ダンサー仲間でしょ? ダメよ。ルナには合わないわ。遊びたいんじゃないんだから」 ジルベールがムキになった。「オイ! ダンサーだからって、遊び人ッて決めつけるなよな!」 ジルベールの怒鳴り声に、レイチェルがびくっと怯える。シナモンがジルベールをぶったたいた。 「女の子に怒鳴らないでよ!」 涙ぐんだレイチェルを見て、ジルベールが決まり悪そうにチョコシェイクを、音を立てて啜る。 「彼氏彼氏って、要は出会いだよ。ルナには出会いがたんねーの! あと色気とさ、(小声) ……あのさ、まえルナが言ってた、この宇宙船の区画全部回ってみたいっていうの、俺、つきあってもいいけど?」 「ええっ!?」 ルナは驚いた。この宇宙船で出会ったばかりのとき、ルナたち四人とホームパーティしたときに出た話。まだ、ジルベールが覚えていたとは。 「楽しそうじゃん、だって。俺、そういうの好きだし。よくね? みんなで、区画めぐり旅行! ルナだってほかの区画でいい出会いあるかもしんねえじゃん?」 「……あんたってさ……。普通、婚約者のまえでそういうこと言う? ルナ彼氏いないんだよ? 宇宙船の区画回るって、旅行じゃない。アンタの言ってるのって、車で回るやつでしょ? キャンピングカーみたいので。ルナと雑魚寝するっていうの?」 ジルベールはきょとんとした。「なに怒ってんの」 「っはー。ダメだコイツ」 「バカ言ってんなー。ヘンなとこで嫉くなよ。俺は、べつにルナとだったら雑魚寝できる。エドもそうだろ」 「うん」 あっさり、エドワードも返事したので、女三人は、それぞれの思いは違うものの、同じ驚きの声を上げた。 「なんでよ!」 「そうだね。俺はリサやミシェルとは雑魚寝できないかも」 「俺も。キラも含めてさあ。あの三人とは無理。でも、ルナは大丈夫だと思う」 エドワードのセリフに、ジルベールが同意し――シナモンが、気の毒そうにルナを見た。 「ルナ……。色気講座とかあったら行こうね? やっぱ、あんた、男作った方がいいわ」 ルナは口をぽかんと開けていた。ルナの色気不足には、シナモンすら危機的感情を抱いたようだ。 レイチェルが、 「ルナには、L5系の、それも同い年ぐらいで、優しそうなひとが合うわ。ね? ね? エド」 「――う〜ん」 「こだわるよな〜、レイチェルは」 「レイチェルはさ、この地球旅行終わっても、ルナと一緒に遊びたいんだよね? だから、ルナがL5系の男と結婚して、L5に居ついてくれたらいいんだもんね〜?」 シナモンが悪戯っぽく言うのに、レイチェルはルナの腕をギュッとつかんで、頷く。 ルナは、妹がいたらこんなかんじなのかなーと、妙にほほえましく思った。レイチェルはいっこ上だけど。好かれるのがイヤなわけはない。 突然、エドワードが、ぶっと噴き出した。明らかに思い出し笑いだ。 「ちょっと、キモいわよ。エドワード」 シナモンのセリフに、エドワードは、「ルナと言えばさ、ちょっと思い出しちゃって」と笑いが止まらない顔で言った。 「俺さ、このあいだから、この宇宙船の大学、通い始めたんだけど。どうせなら、経営学、徹底して学んどこうと思って。そしたらさ、特別講師の受講があって、俺受けたんだけど、講師って、あのムスタファ・D・バージャ」 「あの石油王のか!?」 ジルベールは知っているらしい。 「そう。あの有名な石油王の。この宇宙船に乗ってたんだね。一代であれほどの財を築き上げた人物の講義だ。聞いておこうとおもって。講義の時間が終わっても、彼はひとりひとりの質問に答えてたもんだから、人だかりができててね。俺も、順番を待って、直接彼と話をした。俺のチケットは43番。整理券待ちだよ。すごい人気講師だった」 「それの、どこが笑えるの?」せっかちなシナモンが聞いた。 「話はここから。――彼には、ボディガードがついてた。強面の男が二人。黒スーツにサングラスで、見るからに屈強そうなふたりだ。名前は教えてもらえなかったけどね。待ち時間つぶしに、そばにいた彼らに俺は話しかけた。彼らは驚いていたよ。まさか、自分たちが話しかけられるとは思ってなかったんだろう。たしかに、威圧感バリバリで、俺も、興味がなかったら話しかけはしなかった。俺は聞いた。 『ボディガードさんですよね。この宇宙船って、なにか危ないコトがあるんですか』」 「あんたって、……怖いもの知らずだわね」 「そうしたらね、予想外に返事が返ってきたんだよ。直立不動の強面男から。両方とも髭面で、片方はクマみたいなもしゃもしゃ髭で、もう片方は顎鬚の、渋い男。そのちょっと若い渋い方がさ、無表情で、顔色も姿勢も変えないで、強面顔に似合いの渋い声で、『ない』っていうもんだから、俺噴き出しちゃってさ」 「おまえの図太さって、並みじゃねえよな」 「で、俺は調子に乗って、聞いてみた。名前とか――もともと、ムスタファ氏のボディガードなのか、この宇宙船の役員なのかって。そのたびに、渋い男が、『いや』とか、『名前は言えない』とか短くても答えてくれるんだ。そのうち、となりのクマオトコの肩が震えだした。笑うの堪えてたんだ。それで調子に乗った俺は――『ここに、君の好みの女性はいる?』って聞いたんだ」 「……おまえ、よく殺されなかったな」 「たかが冗談だよ。そうしたらさ、クマ男が初めて口をきいた。『俺は、あの姉ちゃんがなかなかイケてると思うが』俺と渋い男は、ムスタファからサインをもらっている、金髪ロングヘアの、風船みたいな胸の女教授を見たよ。たしかにセクシーだった。渋い男は、ちょっとあたりを見回して――『俺はあのコだな』。俺は意外に思った。そこにいたのは黒髪ロングのストレートヘアの、顔も平凡っていうか――あまり化粧っけもない地味なコだったもんで。で、俺は、その子を見て、一番にルナを思い出したわけだ」 「――あ、あたし!?」 「あんた今さりげに地味って言われたのよ? 気づいてる? ねえ」 「雰囲気が似てたんだ。ポヤーっとしてる感じの。だから俺は言ってみた。『あの子に似てる子が友人にいる。紹介しましょうか』って」 「だっ……ダメダメダメ!!!」レイチェルが全力で首をふった。 「クマ男が、限界にきたようででかい声をあげて笑いだして、みんなの注目を集めてた。顎鬚の彼も初めて笑ったよ。口の端あげてニイって。『おまえ、おもしろいヤツだな』だって。そろそろ俺の番だったんで、俺は手を振ってムスタファ氏のところにいった。俺が戻ってきた時は、彼らは交代してたのかもういなかった」 「――よかったわね。ルナ。紹介されなくて」 「そんな怖い人、ルナには合わないったら! 苛められたらどうするの!」 レイチェルが真剣な顔で言ったので、みんなで笑った。 ルナも、このあいだスーパーで出会った強面スーツの男を思い出して、頬をヒクつかせながら笑った。この笑いがシャレにならなくなったのは、数日後である。 さて、余談である。 エドワードがムスタファと、経営学についての高尚な議論を三分以内に交わしているうちに、アズラエルとバーガスは、ボディガードを、ロビンとカレンに交代していた。休憩のため、校外の、ひと気のない緑の芝生に腰を下ろすまで、バーガスはくくくとか、あははとか、とにかく笑い続けていた。 「おもしれえガキがいるもんだ」 「ウサギちゃん見つけるまえだったら、確実にノッてたな。あ〜、ウサギちゃん、もっかいくらいマタドール・カフェに来ねえかな」 「ひとりじゃ声もかけれねえくせに。おまえがそんなビビリだとはな。ますます拝みたくなったぜ。ウサギちゃんのキュートなお顔を」 「バカ抜かせ。てめえのツラなんか見たら、ウサギが失神する」 「いいな? ウサギちゃんとうまくいったら、絶対俺に見せろよ?」 「断る。どうせ、ロビンと二人で、アズラエルがロリコンになったのなんだの、また好き放題言うんだろうが」 「ウサギちゃん次第だな。そんなにカワイイコなのか?」 「俺の好みにドストライク」 「しかしまァ、ウサギちゃんも気の毒にな。まさか、肉食獣が、罠張って、大口開けて待ってるとも知らずになァ」 「楽しみすぎて、顔がやべえ」 「気持ち悪い笑い方すんな。俺もいきてえなあ。若いカワイコちゃんとの合コン……」 「また、嫁に絞りあげられるぜ?」 「だよなあ。なんで俺は、独身じゃねえんだ」 バーガスのため息は、風に乗って消えた。 ウサギを引っ掛ける罠は、リサによって、着実に仕掛けられているはず。 ルナとアズラエルが出会う、数日前の出来事。
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