朝食と殺人兵器。

 

 

「おい、おい起きろ、アズ……!」

 

 アズラエルは眠かった。起きたくはなかった。

せっかく今日から冬休みなのに、なんで早起きしなきゃならないんだ。

アズラエルは起きるかどうか迷ったが、起きたくなくて、毛布に潜り込んだ。寒いし、眠いし、今日は休みなのに起きたくない。

 彼をゆすり起こしているのは父親だ。珍しい。

しっかり者の長男、アズラエルがアダムに起こされる、というのは珍しい出来事だ。アズラエルは朝食を作るためにいつも早起きする。誰よりもだ。十三歳の子供がそれをする環境というのは、理由あってのことが多いが、アズラエルの場合も理由あってのことだった。

 それは、母親に朝食を作らせないためだ。

アズラエルは、枕元の時計を寝ぼけ眼で仰ぎ見た。まだ五時だ。アズラエルが朝食を作り、家事をするために起きる時間はいつも六時。一時間もはやい。アズラエルはぶうたれて、父親に凄んだ。

 

「ンだよ……。まだ五時じゃねえか」

今日から冬休みだぜ。

だがアズラエルは、父親の――アダムの次のセリフに飛び起きた。

「母ちゃんが、メシ作ってんだよ!」

息子にそうささやく父親の顔は青ざめていた。「アズ、オリャ仕事あっからな。一足先に出るぞ」

「ずりい親父!! 俺らだけに食わせる気かよ!!」

思わずアズラエルは絶叫した。「しっ! 声でけえぞアズ!」

 

「なんだい? 起きたのかいアズ」

 

ひょこっと、母親のエマルがアズラエルの寝室に顔を出す。

「まだ寝てていんだよ。アンタも起こすなっていったろ? 今日はちゃーんと母親のあたしがメシつくるからね!」

エプロン姿が最悪に似合わない母親は、鼻歌交じりでキッチンに戻っていく。彼女は釘をさすのを忘れなかった。

「アンタ! 仕事って今日は休みだって言ってたじゃないか! 久しぶりの家族だんらんの朝食をスッポかすなんて言わないだろうね?」

 

アダムは、恐妻家であった。

 

エマルは、自分では認めていないが、他人は十二分に認める家事ベタである。傭兵としての才能は右に出るものはいないが、家事に関しては人外レベルのひどさだった。

洗濯は全自動洗濯機のおかげでなんとかマシだったが、掃除させれば掃除機か家具を必ずひとつは破壊するありさま。アイロンはシャツを焦がすし、中でも食事を作ることにかけては、最悪だった。

エマルの料理は敵兵の殲滅に使える――アダムはエマルの前では言えないが、よく子供たちの前で言っては笑っていた。シャレにならないまずさなのだ。

エマルはアズラエルが自分で料理をするようになる八歳ころまで、まったく自分で料理をせず、こどもたちの食事のすべては出来合いものか、アダムがたまに作る目玉焼き程度のものだった。だが、エマルは、それではいけないと感じたらしい。

 

母親の手料理を、息子たちに食べさせてあげたい。

 

エマルの母親の愛は十分こどもたちに伝わったが、味はその愛を反映しなかった。

仕事柄、長期家を留守にすることが多い母親の手料理を食べるのはたまのことだったが、それでもそのまずさに耐え切れず、やがてアズラエルはその対策として自分で作ることに決めた。

母親は、長男が食事を作り始めたことに感心し、こどもの自立の芽を摘んではいけない――などともっともそうなことを言って、ここしばらくは料理に手を出してはいなかったのだが。

 

なんということだろうか。

今日が、久方ぶりの悪夢到来の日だとは。

 

昨夜は両親の仕事がひと段落し、半月ぶりに家に帰ってきていた。今日は、疲れて一日寝こけているだろうはずのエマルが起きて、殺人兵器(朝食)を製造しているなどとは。

 あり得ないことではなかった。

もともとエマルは、こどもたちに母親らしいことをしたがるタイプだった。普段、子供たちと離れていることが多いせいか、たまの休みとなればこどもと遊びたがったし、家事もド下手なだけで嫌いではないのだ。

その情熱が、空回りするだけで。

だから、疲れているとはいえ、早起きして食事を作り始めたのだ。久しぶりに、こどものために朝食を作ろうと思って。

アズラエルは、それを読めなかった自分を叱咤したい気分だった。

 

アズラエルは自分ひとり犠牲になる気はなかったので、スタークとオリーヴも叩き起こした。妹らもブウたれたが、母親がキッチンに立っていることを告げると、飛び起きた。

「兄ちゃん! なんで起きなかったんだよ!!」

「るせえ! 母ちゃんが俺より一時間早く起きてンだ! 俺だって、こんなことになってるとは思わねえよ」

「か、母ちゃんの料理……、ダメ、あたし死んじゃう」

「大丈夫だ落ち着けオリーヴ。つうか、おまえも傭兵になるんならこのくらいのミッション切り抜けろ!」

「難関だよ兄ちゃん……」

いつもクールなスタークの声は、絶望に満ちていた。

 

「おやおや、みんな起きてきちゃったのかい。まあいいさ、席に着きな! 今日は母ちゃんの愛情たっぷりの朝ごはんだからね♪」

 

エマルにくぎを刺されたアダムは泣く泣く、その大きな体を縮めて食卓に着いていた。親父の背中が小さく見えたのは、後にも先にもその時だけだ。

パジャマ姿の兄妹は食卓に並んだものを直視し、うっと呻いた。ただならぬ臭気に加え、兵器と呼んでもよさそうなものが、所狭しと並んでいる。

 

黒こげになったトーストが中央に山積みになってい、なぜかバゲットが丸ごとこんがり、消し炭になってそこにあった。

ひとりひとりのプレートの上にはおそらくココアと思われる代物が。「思われる」というのは、匂いはココアだが、マグの中に注がれているのは緑色の液体だからである。

そして、おそらくこれは魚であったろう残骸の上に、ポーチドエッグになりそこなったビチャビチャの卵、そしてたっぷりと赤いもの――ケチャップか? チリソースか? 一見しては区別がつかなかった――がかかっている。

オリーヴがアズラエルの袖を、蒼白な顔で引っ張った。オリーヴがそこに示したものは、空になっているストロベリー・ジャムの大瓶――あれはジャムか――道理で、魚からはしてはいけない、甘いにおいがすると思った――。

デザートであろう果物。真っ二つになったグレープフルーツのうえに、なぜかイチゴが円状に突き刺さっていた。エマルにしてみたらこれも盛り付けのつもりなのだろう。

アズラエルは咄嗟に理解した。アレだけは、多分まともに食える――。

 

「さ、これで全部だ!」

 

エマルがさっきまでガスレンジ上で揺すっていたフライパンの中身を、中央の大皿にぶちまけた。大量のソーセージだ。

どうして、ソーセージがとろみがかっているのだろう――。

しかも甘いにおいがする――そう、魚からする匂いと同じ、禁断の甘味だ――このとろみは、もしや――赤い、きがする――いや、見るな、直視してはいけない。

アズラエルは気が遠くなったが、とにかく冷静さを保つことに決めた。これはミッションだ。傭兵としてのミッション。「この殺人兵器を完食せよ!」

 

「母ちゃん……」

「ン〜〜? なんだい??」

上機嫌はエマルだけだ。恐る恐るスタークが、これはなんだと、卓上の魚フレークをフォークで突きながら呟いた。

「ああ、コレかい? 今朝いちばんで市場にいって、新鮮な鰯を買ったんだよ! 奥さんコレがいいよってオッチャンが言うからさ、」

これは鰯か――哀れな鰯――新鮮さと、本来の鰯が持つうまみは完全に損ねられていることだろう。

「なんで、……甘いにおいすんの」

「だって、子供は甘いモンが好きじゃないか! あんたたちも好きだろ!? イチゴジャム!」

用途を間違えなければな――イチゴジャムはトーストに塗ったやつが好きだ――アズラエルは哀れなジャムびたしのソーセージと鰯を睨んだ。

「それでねえアダム! あのおっちゃんあたしのこと奥さんだって! やだね〜奥さんだって! いいもんだねアダム! なんかあたし、母親ぽいことしてるってさ! エプロン着て市場いって正解だね! 滅多に母親らしいこともできないけど、たまにゃあいいもんだよ! ねえアダム!」

「……おめえがおとなしくしてくれてんのが一番いいことなんだがな……」

エマルはアダムの小声を聞いてはいない。

「じゃあみんな! 食べようじゃないか!!」

 

いただきます。

エマルを抜かした家族全員が、ゴクリと唾をのみ、フォークを手にした――。

 

――その数時間後、病院でエマルは、医者に頭を下げる羽目になっていた。

「お母さんはしばらく、お食事を作らないこと!」

きつく言われて、しょげ返ったエマルの姿が。

新鮮だったはずの生焼けの鰯で、食中毒を起こした兄妹は全治一週間。旦那様はさすがに強靭な胃をお持ちだったが、三日間腹を下した。

「おかしいね? あたしも食ったのに何で平気なんだろう?」

エマルは首をかしげたが、原因はわからなかった。

病院のベッドで、アズラエルは涙目で決意した。

 

(もう迷わねえぞ。絶対五時起きしてメシ作ってやる……!)

 

ツキヨおばあちゃんと一年ばかり暮らしたアズラエルは、おいしいおばあちゃんの手料理を食べるたびに、

「ばあちゃん! なんでおふくろに料理教えなかったんだよ!!」と八つ当たりしていたが、

「はいはい、そりゃ悪かったねえ」と、のほほんと笑うだけで、ひょいひょいかわすツキヨおばあちゃんは、やっぱりおふくろの母親だ、とアズラエルは思ったのだった。

 




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