今日はエイプリルフールである。 ルナはだから、朝からウキウキとしていた。なにせ、一年に一度、普段からなにかといじめてくるアズラエルにギャフンと言わせる、年一回の記念日だからである。 ラブラブになった今でも、アズラエルのイジワルで強引で、マイペースな基本姿勢は変わらない。 アズラエルは、毎晩ルナを抱きたがるし、夜昼関係ないこともある。昨夜だって、寝かせてといったのに、あの精力旺盛な肉食動物は――。 ルナの「もうダメ」が「もっと」に聞こえてるんだとしたら、あの耳はイカレている。 力でも、口でもアズラエルにかなわないルナなので、たまにはアズラエルをびっくりさせてみたいのだ。 そもそも、傭兵に、たかがルナの小さなウソが通じるとはだれも思えない。 でもルナは、ミシェルから聞いて承知済みなのだ。 L18には、「エイプリルフール」は存在しない。 そういったお茶目な文化はないそうだ。だからクラウドも、ミシェルの悪戯に引っかかったらしい。 「別れる」とミシェルに言われた時のクラウドの顔は、この世の終わりを迎えてしおしおになった爺さんよりひどかった、と、今朝ミシェルは言っていた。 と、いうわけで、ルナも、そんなアズラエルの顔を見たくなったというわけである。 喉元過ぎればなんとやら。 あれだけ、くっつくまで誤解を繰り返してひどい目に遭ったというのに、この根本的に能天気なウサギは、ライオンにそれを言ったら、どんな大きな悪影響を及ぼすか、自分のセリフの重さをまったく考えていなかった。それは、ラブラブ効果の発する、世界がぜんぶおめでたく、ハッピーに見えすぎているという大きな油断からきたものであったかもしれない。 クラウドとミシェルの関係と、自分たちは違うのだということも、ルナは忘れている。 しかし、エイプリルフールが一日だけということを、ルナは後から恨むことになった。 せめて二日あれば、今夜、ウソにしてはあまりにたちの悪いそれに怒り狂った隠れドSのクラウドに、さんざいじめられたミシェルが、「…やめといたほうがいい。L18の男には、迂闊に別れる、は禁句だよ…」と死にそうな顔で言うのを聞いて、やめていたかもしれないのに。 世はすべてこともなし。 4月1日の朝。 大きな鏡の前でアズラエルは、スーツ姿でネクタイを整えていた。ルナは、そっとドアからその様子を見て、(どっかでかけるのかな)と、寸時、声をかけるのを戸惑った。アズラエルはネクタイをきっちり締めると、振り返って、ソファに掛けておいた上着を取った。いつものダークカラーのスーツだけど、すこし光沢のある、リッチなスーツ。腕時計で時間を確かめる。焦げ茶の髪は、前髪が立てられて、セットされていた。 「アズ。どこか行くの」 アズラエルは、ルナを認めると、「おまえも行くか? アンジェラのとこだ。一時間ぐらいで済むんだがな」といった。 アンジェラ。 アズラエルがルナと会うまでつきあっていた人妻だ。 ここしばらくアズラエルの口からその名は出ていなかった。もう関係はないと言っても、アズラエルが石油王さんのところでボディガードをしているかぎり、完全に縁が切れるわけではない。 「……行かない」 拗ねて後ろを向いたルナに、アズラエルのおかしそうな声が追いかけてくる。 「バァカ。なに疑ってんだ。仕事だよ。だからおまえも行くかって。アンジェラが、今度個展を開くんだとさ。次に宇宙船が立ち寄るエリアでな。そこで、警備員のまとめ役をしてくれって話があって、……おい、ルナ」 アズラエルが肩を抱き寄せようとしたので、ルナはアズラエルに向かって舌を出した。そして思いっきり。 「あたしアズと別れる。で、グレンと付き合うんだもん!」 ……なァんてね。と意地悪くアズラエルに向かって、出そうとした舌は慌ててひっこめられた。 「――あ?」 反射的に謝りそうになったルナは、アズラエルの顔の極悪さに久方ぶりに身ぶるいした。最近、ずっとやさしかったから。甘い言葉ばかり掛けられて、甘やかされてばかりいたから。ルナの、考えばかり達者なアタマに、ふいにこのあいだのスパ●キングとやらが降って湧いて、あわててお尻を押さえる。叩かれたら痛い。 「ルゥ?」 アズラエルが、ベッドで囁くときによく出てくるルナのアマイ愛称は、ひときわ底冷えする声にとって代わられた。 「だれと別れて、誰と付き合うって?」 「……じょ、冗談だってば、」 ルナは、つばを飲み込みながらそう言ったが、もう遅かった。 アズラエルがひょい、とルナを抱えあげて、ソファに放り投げた。「ひゃんっっ!」ソファのクッションに、尻もちをつく。ソファに戻されていた、アズラエルのスーツのジャケットを巻き添えにして、ルナはソファの上に押し倒された。 折角しめたネクタイを、するりと解いたアズラエルに、ルナは冷や汗をかいた。何をする気なのかが、やっとわかったからだ。 「アズ……アズ、時間なん、じゃないの?」 「――浮気しそうな恋人を、だまって置いて行けっていうのか?」 アズラエルはネクタイを口にくわえ、シャツの両袖のボタンをはずして、腕をまくりあげた。褐色の、物騒なタトゥの入った左腕が露わになる。 「ちょ、ヤダヤダヤダ……!!」 ネクタイで、手早くルナの両腕を縛り上げたアズラエルは、ルナの小さな抵抗を無視してソファに乗り上げ、細い二本の足を担いで、自分の膝上に乗せた。そうすると、ルナは起き上がれなくなる。 「アズ、アズ、エイプリルフールなのっ、」 すでに泣きそうなルナは、アッサリ白状した。こんなに早く降参するなら、最初からバカなことしなきゃよかったのにと、もう一人の自分がためいきをついている。 「なんだ、エイプリルフールって」 アズラエルは、ルナを、脚一本とネクタイで身動きできなくして、タバコをくわえた。かちりとジッポーで火をつける音がする。ルナは蒼くなった。普段タバコを、ルナの前では吸わないアズラエルが、タバコに火をつける。それは相当機嫌を損ねた証だった。 真正ドSモード発動。 「エ、エイプリルフールって、あたしの星では、ウソついてもいい日なのっ……! 4、4月1日ってそうなの! エイプリルフールなの!!」 「そんな都合のいい日があってたまるか」 「ほ、ほんとだってばあああ! ミシェルとかリサとかに聞いてみてっ!!」 アズラエルは、タバコを吸いこむと、長く、吐きだした。 「……じゃあ、ウソをつかれた方は怒っちゃいけねえって決まりでもあんのか?」 「そ、そ、それはない……とおもう……」 「そうか」アズラエルはにやりと笑った。「俺はショックで、心臓がつぶれかけたぜルナ?」 人の五倍は元気そうな心臓を持っているアズラエルは、仕方ねえなあ、とぼやいた。 「俺は怒ったぜ、ルナ。そんなに俺にイジメられたかったのか? そんなウソまでついて。――そうだな。ずっと優しいセックスばっかで、飽き飽きしてんだな? だよな。ああ、言わなくてもわかってる。そうだよな。俺としたことが、ワンパターンなプレイばっかで、……女に不満を持たせるなんて、俺らしくねえ。失格だ」 ルナはぶんぶんと青ざめた顔で首を振った。 アズラエルはわざとらしくため息をつき、上まで止めていたシャツのボタンを外した。 そうして、ぺろりと、赤い舌が、唇を舐める。 「可愛いヤツ。――俺に、苛められたい?」 セクシーなしぐさと、声に、ルナの下腹がきゅんとなったが、ルナはさらに思いっきり首を振った。まだ朝です。昨夜だって、遅くまで――。 アズラエルは、さっきまでの極悪面とは正反対に、甘く目を細めた。 「……ああそうか。今日はエイプリルフールだからな。それはイエスなんだろ? いや、言わなくてもわかってる。――いいよ? 可愛いおまえの頼みだ。たっぷりイジメてやる……」 アズラエルは、ふと、さっきまで自分がネクタイを締めていた鏡に目をやった。 「おまえ、自分がイクとき、どんな可愛いカオしてイクか、見たことねえだろ?」 「……! ……!!」 ルナは、ジェットコースターで下り坂を降りるときくらい、絶叫したかった。 結局、その日一日離してもらえなかったうえ。 来年のエイプリルフールにも、同じネタで苛められるだろうことは、想像に難くない。 ルナはしばらく、鏡台の前に立てなかったという。
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