「セルゲイ〜〜! アントニオ〜〜!」 ルナが、小さい身体をいっぱいに伸ばして、両手を振っている。セルゲイは驚きが先に立ち、ポケットに片手を突っ込んだままボケッと突っ立っていたが、ててててーっとルナのほうから走ってきた。 「セルゲイ、アントニオ、こんにちはっ!」 「よく来たね、ルナちゃん♪」 「こ、――こんにちは。ルナちゃん……」 ルナは今日も元気だ。セルゲイのシャツの裾をつかんで、元気にあいさつをする。 セルゲイは昨夜のことが頭に蘇り、どう接していいか分からなくなった。 「おはようございます、セルゲイさん」 カザマが目の前にいた。セルゲイは少し安心して、「おはようございますカザマさん」と頭を下げた。 「ここまで遠かったでしょ。カザマさんと一緒なの? ミシェルちゃんやアズラエルは?」 「あのね、あたし引っ越したの!」 ルナは勢いよく言った。 「それでね、引っ越してね、引っ越しの作業はみんな業者さんがやってくれてね、アズは今日しごとなの。ミシェルとお茶するの、そしたらあたしカザマさんと用があって、お茶してね、アズはね、カザマさんと一緒だったらいいってゆうからお茶するからって、来たの!」 うん、そうか。よく分からない。 いつものルナだ。 勢い込んで喋るルナは、支離滅裂なことが多い。 とにかく――ここへ来るのに、アズラエルの了承は得ているということだ。 「いつ来ても素敵ねえ。ルナさん、今日ちょうどいい時に来たわよ! 満開!」 「ほんとだ〜♪ すっごい綺麗!」 カザマに言われて、ルナがててててーっと今度はカザマのほうへ寄っていく。 「ルナちゃんとカザマさん、仲いいんですねえ」 親子みたいだ、という言葉は辛うじて飲み込んで、セルゲイは言った。 「や、でも、あんな感じで喋るようになったのは、このあいだのバーベキューパーティー以来じゃないかな。そのまえまでは電話連絡は取ってても、ほとんど会うことはないみたいだったし。ふつうに担当役員と船客、ってかんじで、あんなに仲良くはなかったよ」 満開の桜の中を、アントニオとセルゲイも並んで、川辺に向かって歩き出した。 「ミーちゃんもね、あのひと特別派遣役員でしょ。だからいままでルナちゃんみたいなタイプを担当することなかったから。すっごく楽しそうなんだよ」 「……特別派遣役員っていうと?」 「派遣役員の中でも、VIP専門」 「ははあ、なるほど」 セルゲイは頷いた。特別派遣役員がルナを担当? 少し引っかかったが、おそらくルナの危機とやらに関係あるのだろう。セルゲイはあえて、今は聞かなかった。 「VIPって面倒なんだよ。気難しい宗教惑星群の大物とか、下品な政治家の親父とか、わがままな王族の小娘とか、そんなんばっかで。そんなやつらが桜見物なんて言っても、ミーちゃんはこき使われて、ゆっくり桜見物なんてしてらんない」 「でしょうね」 話のネタにされている二人は、はしゃいで屋台を指さしている。親子――いや、贔屓目に見て、姉妹。 「ミーちゃんね、リズンに来るたび、あのバーベキューパーティー楽しかったって何回も言うんだ。よっぽど楽しかったんだろうね」 「……そうですね」 セルゲイは、ジュリもカレンもエレナも、いまだにあのバーベキューパーティーのことを話題に出すことを思い出した。彼らも、よほど楽しかったのだろう。 エレナはあれ以来、レオナとヴィアンカという新しい友達ができ、ママ会が前より楽しいらしい。ユミコとの再会も、あのバーベキューパーティーのお蔭だろう。ジュリも、メリッサから特別な学校があることを聞いて、学校に通いだしたのだ。ジュリのような特殊な事情があって、教育を受けられなかった大人たち専門の教室があることを。子供ばかりのなかには混じりたくないと零していたジュリも、おかげで学校に行けるようになった。 ラガーの店長も、バーガスも、ラガーで会えばバーベキューパーティーの話をする。特にバーガスは、あれ以来妻のレオナが百八十度変わって、出産に積極的になったので、もう上機嫌なのだ。 「ラガーの店長も、またバーベキューパーティやりたいから、ルナちゃんにけしかけてくれって、うるさかったですもんね」 セルゲイが言うと、アントニオは笑った。 「みんな、いいことずくめだったってことか」 いいことずくめか――そうかもしれない。 セルゲイも思った。 もし、今この宇宙船を降りて帰ったら、なにが一番の思い出になるかと問われたら、あのバーベキューパーティーかもしれなかった。 ある部分がすっぽり、記憶が抜け落ちたとしていてもだ。 このあいだのグレン誘拐事件のときも、レオナの顔を事前に知らなかったら、セルゲイはレオナを不審者扱いして、非常ベルを鳴らしていたかもしれない。 不思議なことに、あのバーベキューパーティーは為すべき時に為した、そんな感じがするのだ。 ふわりと、桜の花びらが舞ってセルゲイの鼻先を擽った。セルゲイが、高い鼻に引っ掛かった花弁を摘まんでいると、ルナが足元にいた。 「セルゲイ!」 「どうしたのルナちゃん」 「たこやきとイカ焼きどっちがいい!?」 「……たこやき?」 聞きなれぬ食べ物の名前に首をかしげていると、 「ルナさん、両方買ってしまいました」 カザマが、白いビニール袋にはいった、いい匂いのする食べ物を持って、微笑んでいた。 「あちらの川岸で、いただきましょう」 カザマとセルゲイとアントニオが、三人で川辺に座っていると、ルナがてってって、と両手に缶を抱えて戻ってきた。 「緑茶もあるよっ! あと紅茶とね、コーヒー」 「俺コーヒー貰うかな。ルナちゃんサンキュ」 「じゃあわたくしは、お茶で」 アントニオとカザマに飲み物を渡したルナは、ぽて、と当然のようにセルゲイの膝の上に座る。「……」座って一時停止したルナは、慌てて立った。 「――あ! ごめんなさい!」 「……」 アズラエルと間違えたのだろうか。すわり心地でも違ったか? 別に座っていてもいいのに、と思いながら、セルゲイは少しさみしい顔をした。 ルナは気づく様子もない。 ――昨夜のルナちゃんは、可愛かったなあ……。 思い返して、ダメだダメだと首を振る。めのまえのルナと、どうしても比べてしまう。 今自分の目のまえで紙包みを開けているルナは、色気はマイナス二百パーセント。無邪気な愛らしさという点では上だろうが。 何事もなかったように、隣へ腰を下ろすのを眺めたセルゲイは、 「……ルナちゃん」 「う?」 「アズラエルと間違えたんじゃないなら、ここに座ってもいいよ」 紙袋に入った特大イカにかぶりついていたルナは、その体勢で一時停止した。 「ルナちゃん、豪快だね」 「ルナさん、よだれ、よだれ」 慌ててウエットティッシュを出してくるカザマに、ルナちゃんイカ食いの図、とだれかにメールしているアントニオ。 ……およそ三分後には、ルナはセルゲイの膝の上でイカを噛んでいた。 船内役員にしろ派遣役員にしろ、役員というのは多忙らしい。 この川辺に座って一時間もしないうち、カザマは少し離れたところで仕事の電話を取っていて、アントニオは呼び出しがあり、「すぐ戻るから」と言って神社のほうへ行ってしまった。 川辺にはルナとセルゲイが残され、セルゲイはルナを膝に乗せたまま、何をすることもなくぼーっと川のせせらぎを眺めていた。よく考えたら、こんなに何も考えずぼーっとしているのも、何年ぶりのことだろう。セルゲイは、宇宙船に乗るまで、かなりの仕事人間だった自分を思い出した。
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