「ララさん」

 サルーディーバが、ララを落ち着かせるように、努めて静かな声で言った。

 「セルゲイさんが夜の神の生まれ変わりというのは、間違いありません。ですが、前世を覚えている人間は少ないのです。基本的に前世の自分と今世の自分は別人です。セルゲイさんが知らないというのは無理もない。彼の責任ではありません」

 セルゲイは、自分を擁護してくれる人間がやっと現れたことにほっとした。

 

 「じゃあ――あたしはだれにこの恨みをぶつければいいんだい」

 ララは、しゅんと肩を落とした。

 「あの三枚の絵、修復に一年かかったんだよ? 一枚につき一年だよ! あんだけバラバラになっちまえば、もう修繕したって、完全に元通りにはならない……」

 「ララさん、すべてのものはやがて風化するのですよ。なくならないものなどありはしません」

 「千年を超えて、あたしの代ですべてを蘇らそうとしたのにさ、あたしの代で三枚失っちまうって、いったいどういう皮肉なんだい……」

 ララの消沈は、尋常ではなかった。この萎れぶりには、自分は悪くないのに、セルゲイもなぜか罪悪感を覚え、ぼそりとつぶやいた。

 

 「その――どうして――雷なんか?」

 また、一斉にみながセルゲイを見た。セルゲイは言葉を発したことを後悔した。

 「だからそれは、夜の神に聞かないとわからない」

 サルディオネが言った。

 「雷を落とした張本人――張本神? しか、理由は知らないさ」

 「でも、もしかしたら夜の神ではなく、太陽の神とか、その、ほかの神様とか?」

 セルゲイは食い下がったが、

 「いいえ、雷を操るのは夜の神です」

 カザマは言い、手帳を取り出した。

 「四柱の神は、それぞれ働きがあります。万能神たる真砂名の神を中央に据え、太陽の神は、ひとびとに光明を与え、導く。真昼の神は、世界を築く。月の女神は、人々を癒す、それから女性の守り神でもあり――ええと――、四柱の神はそれぞれもっと働きは細かく分かれます。夜の神は、ひとびとを眠りに誘う神。また、眠り、という言葉からも様々な解釈が生まれます。眠りとはすなわち安らぎ、死、終焉――死をつかさどる神とも言われています」

 カザマは手帳のページをめくる。

 「この四柱の神は、神話によっては、神ではなく神官――すなわち神ではなく神に仕える人間、ですね。そういう解釈もされています。万能たる真砂名の神の御子、という解釈もありますし。とにかく、真砂名の神の働きの一辺をつかさどる神であったり、力を授けられた神官であったりするわけです。で、」

 「夜の神は、真砂名の神から、雷を操る力を与えられた、と」

 神話には書いてある、とつなげたのはサルディオネだった。

 「……」

 セルゲイは、マーサ・ジャ・ハーナの神話には詳しくない。子供用の絵本を一冊、読んだきりである。反論のすべはなかった。

 

 「じゃああんた、昨夜はどこで何をしてたんだい」

 アリバイがどうのと言い出したララに、セルゲイはようやくさっきまで忘れていた昨夜のアレを思いだし、耳まで真っ赤になった。

 昨夜何をしていたかと。ここで言わねばならぬのか。

 「――つ、椿の宿で寝てました……」

 辛うじてそれだけ言った。

 「それを証明する人間は!」

 「い、いません……」

 『ここにいるルナ』は、証人にはならない。相変わらず色気ゼロの、ぽへっとした顔で座っている。

 「じゃああんたが、夜中こっそり宿抜け出して、真砂名神社へ行って雷を落としたってこともあり得るわけだね!」

 

 どこのサスペンス劇場だ!

 セルゲイはできるなら、それを声に出して突っ込みたかった。

 俺は雷なんて落とせないって、何度言ったら分かるんだ!!

 

 さすがにイラッとしたセルゲイは、目が据わった。

 「俺はだから――雷なんて」

 急に外が、暗くなった。雲が、立ちこめて来たのだ。心なしか、ゴロゴロいう音も聞こえる。――セルゲイの不機嫌に、呼応するように。

 「セ、セルゲイ! 怒っちゃだめ!」

 ルナが慌ててセルゲイの袖を掴んで言う。それがあだとなった。

 「やっぱり雷落としたのあんたじゃないか!!」

 「俺じゃありません!!」

 

 ――咎者が来た。

 

 「……え?」

 セルゲイは、「いい加減にしろ!」と怒鳴りかけ、誰かが何か言ったような気がしたので、思わず周りをきょろきょろ見た。だが、男でこんな渋い低音の声の持ち主は、この場にいない。

 

 ――咎者が来たのだ。シエハザールという男が、勝手に侵入した。

 

 それだけ言って、ふっと声は消えた。外の暗雲も、すっと風に吹かれて晴天に戻った。

 

 「……シエハザールって誰です?」

 

 セルゲイのその言葉に反応したのは、サルーディーバとサルディオネだった。

 「シエハ!?」

 「シエハがどうかしたの!?」

 二人に詰め寄られ、セルゲイはおたおたしながら呟いた。

 「今、誰か言いませんでした? 咎者が来たとかなんとか。シエハザールっていう人が、勝手に侵入したって。すごく怒った声で」

 そうだ、さっきの声は、とても不機嫌だった。もとは清涼な声が、怒りに、厳かな低音になっていたのだ。

 

 「――夜の神がそう言ったの?」

 アントニオの問いかけに、セルゲイは、頷くとも首をかしげるとも、わからない答え方をした。

 そうか、さっきのが夜の神なのか?

 

 「なるほど」

 アントニオは謎が解けたぞ、というように頷いた。

 「昨夜、シエハザールが勝手に奥殿へ侵入した。おそらく、姿現しの術で。何が目的だったかは知らないが、それに怒った夜の神が、彼に制裁を加えた、ということだ。夜の神は、夜、聖域を守る役目だ。だから、勝手な侵入者に罰を与えたんだ。それが、昨日の雷だ」

 「ちょっと待って!」

 サルディオネが青くなって叫んだ。

 「シエハザールは長年真砂名の神に仕えてきた神官だよ!? あたしたちと同じだ! そのシエハに、どうして夜の神が制裁を加えるの!?」