テセウスの船、とはパラドックスを意味する。

 ある事物が、すべてほかの部品で組み替えられたとき、それは果たして最初の名を持つものであるといえるのかどうなのか――。

 モームがこの研究をそう名付けたのも皮肉である。

 蘇ったミンシアは、ミンシアであったかどうなのか。すくなくとも彼女は、愛娘のことも忘れていたし、自分が何ものかもわかっていなかった。まるで人生がリセットされたようにすべてのことを忘れていたが、時折、昔のことを思いだして話すようなこともあったと、研究資料には書かれていた。

 そして二年とたたず死んだ。だから、二曲目は出なかった。彼女がL系惑星群全土を魅了する美しい歌声を持つことになったのは、蘇った際の弊害だったのか、もとからあんなに美しい声の持ち主だったのか、アイゼンは知る由もない。

 

 モームは、ミンシアを蘇らせた後――さすがに木っ端みじんになった人間を元に戻したことが、自身の研究の素晴らしさを裏付けると同時に、神の領域に踏み込んだことを実感し怖くなったのか――研究は中止したはずだった。

 “テセウスの船”は、公式では発表されていない。やめたところで、モームの名誉にはなにも傷がつかない。

 傭兵グループ三社も出資は中止したが、この研究を外部に漏らさない、傭兵グループ三社だけの秘密として、多額の口止め料を払った。モームも、二度とこの研究には携わりたくないと言っていたし、研究資料も処分した。三人の目の前で。

 だと、いうのに。

 

 「ドーソンだと? どこから嗅ぎつけやがった」

 アイゼンが美しい顔を歪めて歯ぎしりする。

 「売ったか……。脅された、の間違いじゃねえか」

 メフラー爺も嘆息したが、モームを暗殺したことに関しては何も言わなかった。“テセウスの船”の研究資料は破棄済み。法律に触れる箇所が大部分の資料だ。だが研究施設は残っていたし、なにより、その施設を動かせるモームが生きていた。

 研究が完全に死んだ、とは言い切れなかったのは確かだ。

 

 「ドーソンが、テセウスの裏にワシらの存在を見つけたか」

 「いいや。それはない。ワシらとモームのつながりは、研究資料を破棄した段階で完全に切れた。ドーソンは、どこから知ったか知らんが、テセウスの技術が欲しかっただけのようじゃ。テセウスをつかって男を蘇らせたあとは、モームに高い口止め料を払って、終いじゃ」

 「なぜ今回のことが分かった」

 「モームが泣きついてきたのよ」

 クォンが忌々しそうに言った。

 「口止め料を払いはしたが、あの疑りぶかいドーソンよ、モームを消そうと思ったらしい。命を狙われたモームが泣きながらこたびの顛末を訴えてきおった。自分を守れとな」

 「バカな奴だ。ドーソンに売るまえに頼ればよかったものを」

 メフラー爺も吐き捨てた。モームは遅かった、すべての行動が。もう二度とあの研究をしたくないというなら、研究施設も始末しておくべきだったのだ。だが、ドーソンがモームの命を狙ったおかげで顛末が明るみに出た。

 「ドーソンがどんな経緯でテセウスの存在を嗅ぎつけたかは――」

 「それも現在、調査中じゃ。モームも、どうしてテセウスの存在が外部に漏れたか不審がっておった。おそらく、残っていた研究施設に興味を持った人間がいたんじゃろう。とにかく、物件から消すしかあるまい。研究のいっさいの証拠をな。あの研究にわしらが関わっていたと公表されれば、面倒なことになる」

 「施設はどうする」

 「乱暴な方法だが、事故を装って爆破じゃな。ドーソンが感づくやもしれんが、今さらじゃ。モームの暗殺は、間が置けなかったものじゃから勝手にやったが、貴様らに相談はせんとな」

 「白龍グループだけでできるか」

 「それは問題ない。だがねんのため、ヤマトとメフラー商社からも人員を出してくれ。二、三人でいい。すべての消滅は三社で見届けねばならん。信にたるものを寄越してくれ」

 「分かった」

 「話はそれだけじゃ。三日後に決行する」

 クォンがそう言って話を終わらせようとしたが、アイゼンが食い下がった。

 「待てジジイ。ドーソンは、テセウスでだれを蘇らせたんだ」

 クォンは、紙束をテーブルへ放って、自身は席を立った。苛立ちを押さえるようにその辺をうろつく。

 

 「レオン・G・ドーソン……?」

 資料を掴んでめくったアイゼンは、それが去年の冬、バブロスカ革命紛いの事件を起こした首謀者だと分かった。そのまま監獄星へ送られ、その途中の列車内で爆死した人間。

 「なんで、こいつを?」

 ドーソン一族内で反乱が起こった事件。このレオンという男は、ドーソンに反旗を翻した人間だ。それをなぜ、蘇らせようとする。アイゼンの疑問に、こたえは返って来なかった。

 誰も、分からないのだ。クォンも、メフラー爺も。

 「分からん。だがモームは始末した。あと施設を爆破してしまえば、もう“テセウス”は闇の中だ。二度と、悪用はできん」

 「ドーソンに研究資料が渡ったってことは?」

 「それはねえ」

 言ったのは、メフラー爺だ。

 「研究資料はワシらの目の前で廃棄させた。燃やしたじゃねえか。あの研究が危険なモンだってこたァ、モームだって分かってんだ。コピーはねえ。作れねえ」

 「だけどよう、あのドーソンが、アレをだまって放っとくと思うか?」

 「……」

 「モームを消そうとしたってことはよ、テセウスを独占しようとしたってことも考えられる」

 メフラー爺も、クォンも答えないということは、アイゼンと同じ疑いを持っているということだ。研究資料はなくとも、あの蘇生術を見たのだ。同じような研究を、別の人間を使って研究させるかもしれない。

 

 「……見張る必要は、あるかもしれん」

 クォンが重々しく言った。

「ドーソンの見張りは、引き続き白龍グループが引き受けよう。異存は?」

「わしゃあない」

 「俺もない。ヤマトは、このレオンと言う男を探す」

 アイゼンが資料を、「もらうぞ」と懐へ入れて立った。

 「二日後には、ウチの傭兵を二人白龍グループへやる。レオンを見つけたら、すぐに知らせる。それでいいか」

 「構わん」

 クォンは言い、メフラー爺も頷いた。

 アイゼンは挨拶もせずにドアを開けて出ていき、年寄り二人は「小僧め」と笑った。

 「能力はあるんじゃがなあ、アイゼンは」

 「ヤマトが見つけると言ったら、ひとつきで見つけ出すな。あれはあやつに任せるか」

 「……アマンダは、キモイっていって近寄らんわい」

 「アマンダはもうデビットと長いし子持ちじゃろうが。インシンもキモイと言うとった」

 年寄り二人は、顔を見合わせて同じことを言った。

 「顔と能力だけみれば、婿に欲しかったんじゃがのう」