カサンドラ
予言は予言、見えぬものなど何もない。 「ああ――見えますよ。見える、見える。アンタが求めている女性は、この宇宙船に乗っている」 「それは、どこ? どの地区なの」 「――K――K26……K26……」 クラウドは、水晶玉に手をかざし、恍惚となっている女占い師に三枚の紙幣を渡し、席を立った。女は紙幣を数え、その金額に満足すると、いそいそと懐にしまう。 「K26だって」 女の口紅が顔中につきまくったアズラエルに、クラウドは言った。 クラウドの相棒はさして興味もなさそうにふうんと返事をし、じゃれついてくる女の胸を鷲掴みにしていた。カウンターでそれはどうかとクラウドは思うが、女のほうだって、もうすっかりその気で、このままここで一発やってしまいそうな勢いだ。アズラエルが辛うじて、女が自分の股間に突っ伏しそうになるのを、避けているだけ。女の手はとっくにアズラエルのズボンの前をつかんでいたし。でも、アズラエルがかわしているのは、べつにここがカウンターだからという配慮じゃなくて、ただのドS精神が女を弄っているだけだっていうのは、クラウドは承知済みだ。 こっちまで漂ってくる女の、酒と、香水の混じった匂いにクラウドは顔をしかめる。 「それで」 女に唇を塞がれっぱなしだったアズラエルが、ようやくまともに返事をした。 「K26だっていうんなら、その女はS系列からの入船者だってことだな?」 アズラエルの念押しに、クラウドは眼を見開いた。 「違うよ。ミシェルは、L77の子だよ」 「コレが、欲しいのか? ン?」 「……さっきから、そういってばっかじゃないか。焦らさないでよ……アンタのスゴイが欲しいよ……ねえ」 「アーズ」クラウドは、間延びした声で言った。 「また、運命の恋人が部屋にいても知らないよ?」 アズラエルの手が、ぴたりと止まった。「……どうしたの? ねえ」と、猫なで声でアズラエルに絡みつく女をがばっと引きはがし、猛然と立った。そのまま、後ろも振り向かず、出口に突進していく。「アズラエル! ツケにしとくからな!」髭面のマスターの声に、クラウドが頷いてあとを追う。 「最低! このインポ野郎!!」見放された女の悪態が、さらにそれを追った。 全身を震わせて大笑いするクラウドに、アズラエルはこれ以上ないほどの険悪な面で凄んだ。 「ビビらせやがって」 「L18のみんなに見せたいね。あのアズラエルが女に怯えるさま」 さっきのK34の「ラガー」というバーは、もと傭兵の役員がやっているバーで、胡散臭い連中や、派手な女たちが集まる、お行儀のよくないバーだ。 カウンターでイチャついていたって、大して気にもされない都合のいい店。さっきの女だって、たぶんアズラエルはどこから来たのかも、名前だって知らないはずだ。 犯罪には厳しいこの宇宙船に、こんなバーがあることにクラウドは驚いたが、アズラエルのような男が、お行儀の良いバーでゆっくり飲めるわけもなく。こういう店も必要なのだと、クラウドは納得した。 餅は餅屋、というやつらしい。悪い連中があつまる場所には元ワルが。現に、ラガーのマスターはもと傭兵だから、店で暴れる奴が出たときも、カンタンにつまみ出せる剛腕だ。 クラウドとアズラエルがこの宇宙船に乗って間もなくの頃だ。 このラガーでアズラエルはさっきみたいに女をナンパし――ホテルではなく部屋に連れ込んで寝た。 別に、部屋でというのに他意はなかった。ラガーの二階に、ラブホテル仕様の簡易小部屋があるのを、まだ知らなかった時期。ちかくにラブホテルもあったが、ラガーはアズラエルとクラウドのマンションから近いので、部屋に戻った――アズラエルは傭兵道具一式、中央役所の厳重保管の貸金庫にぜんぶ預けていたし、見られて困るものなどなにもなかった。 アズラエルも女も楽しんだ。そうしたら、彼女がアズラエルのことを気にいってしまい、次の日から「運命の恋人」扱いでアズラエルの部屋に住みついてしまったのだ。 焦ったのはアズラエルで、まだ宇宙船に入って十日もしていないのに、「降りる」と言い出した。アズラエルにしては、お互いに遊びのつもりだったのに、いきなり「運命の恋人」、なんて、濃い表現を持ち出されては。 クラウドは、アズラエルに降りられては困るので、幼馴染のために一肌脱いだ。 彼女はほかに「運命の恋人」を見つけたおかげで、今は楽しくやっていると思う。 「アズも、じぶんの運命の恋人を見つけたらいいんだよ」 「アホらしい」アズラエルは鼻を鳴らした。 「――そうだな。ちまっこくて、つぶらな目がカワイイ、アジア系の女がいたら、悪くねえな。髪長くて色白かったらサイコーだけどな。性格は、バカで甘えん坊だったら言うことはねえ」 「それはアズの好みでしょ。運命のこってそういうのじゃないよ」 「わかってるよ。第一、そんな女がいたところで、俺のほうには近寄っても来ねえさ」 ブルッちまってな。アズラエルは白い息を吐いた。 「運命の子だったらだいじょうぶだよ。アズの見かけだけじゃなくって、中身を好きになってくれる」 「――つうかよ、おまえなあ」 アズラエルは、あきれ顔で言った。 「心理作戦部副隊長が、そんなドリーマーだったか?」 クラウドは断固として言った。 「俺はドリーマーじゃない。ずっと見てたんだ。夢に見てたんだ」 「……ドリーマーじゃねえか」 「そっちの夢じゃない。ユングの解説によると、」 「ああ、いい。そっちのほうは俺はわからねえ」 「おおい! クラウド!!」 雪道を、ラガーのマスターがだれか背負って駆けてくる。マスターが背負ってるのは、さっきの女占い師だった。 真っ黒なフードをかぶって、いかにも胡散臭い。 その女が、マスターの背から叫んだ。 「悪かったねえ。あんた、さっきの、K26じゃないよ!」 やっとマスターがふたりに追いつき、女を下ろすと、女は懐から水晶玉を取り出した。 「この子じゃないか」 クラウドは、驚きのあまり絶叫しそうになった。クラウドが、幼いころから夢で何度もあっていたミシェルが、綺麗なガラス玉の中で、クラウドに向かって微笑んでいたからだ。 「……こっ、この子だよ……!」 大抵のことでは驚かないクラウドが驚いているのを見て、アズラエルも驚いていた。 「あんたが、さっさと最初から、L77から来たミシェルって名前だって、あたしに教えてくれりゃよかったんだ」 運命の相手、なんて、いかにも抽象的で、おおざっぱな言い方するもんだからさ。 「この子はK27にいるよ。大きな公園近くのアパートに、――友達四人で来たんだね。大きなスーパーがある集落だ。リズンっていう喫茶店が近くにあるね。そこで、いつも友達とふたりでコーヒーを飲んでいるよ。そのリズンに行けば簡単に会えるさ」 「そんなことまでわかるのか」マスターが口笛を吹いた。 「今日あたしに聞いてよかったね。この子らはL77からで、L8系の星から乗ったから、あんたらより二カ月遅れでこの宇宙船に乗ったんだ。もうちょっと早かったら、見つけられないところだったね」 「君に会うまでも何回か占い師に聞いたんだけど、みんなわからないっていうんだ。わかる人が見つけてくれた場所も、ぜんぶでたらめだった」 「それはそうだ。あんたが聞いた二十人の占い師は、ほとんど素人さ」 「……わざわざ教えにきてくれたの?」 クラウドが聞くと、占い師はフードに隠れた大きな口をにいっと歪ませた。不気味に見えなくもない。 「あんたは弾んでくれたからね。こんなあたしに三枚も紙幣くれるやつなんて、滅多にいないよ。それに――」 女は水晶を懐にしまった。 「あんたは、あたしを信じた」 そう言って、老婆みたいに腰を曲げた彼女は、雪の中を、足を引きずって戻っていく。 異様に背が低かったのは、腰が曲がっていたからか。 |