カサンドラ




 「この船は、重犯罪者は入れなくても、イカれたやつは入れるんだな」

 ミシェルが戻ってきていた。よほど気分が悪かったのか、ブランデーをストレートで浴びている。

 

 「カッサンドラー」

 

クラウドがひとりごとのように、つぶやいた。

 

 「――地球の古い神話に出てくる、悲劇の女性だよ。彼女は、太陽神アポローンに見初められて、彼の愛を受け入れるのとひきかえに、予言の力を手に入れる。けれど、その予言の力のせいで、アポローンの愛が冷めて、自分の元から去っていくのがわかってしまうんだ。そして彼女は彼を拒絶した。その拒絶に怒ったアポローンは、彼女の予言を、だれも信じないようにしてしまうんだ。そのせいで、彼女は兄のパリスが敵国の妻、ヘレーネを奪ってきた時も、これが戦争を引き起こすのだと忠告しても、トロイの木馬とか、さまざまな策略も見破って、予言するんだけど、誰も彼女のことは信じない。彼女の予言は本物だ。誰も彼女を信じなかったから、彼女の国、トロイは戦争に負けて滅ぼされてしまうんだ」

 「……ひどい話じゃないか」ロイドが言った。      

 「彼女も、その後、敵国の王に連れていかれて、その国で、その王と一緒に殺されてしまうんだ」

 

 「まさか、同情でもしてるんじゃないだろうな?」

 ミシェルがクラウドに向かって、吐き捨てるように言った。「あの気味悪い占い師に?」

 

 「カサンドラって名前、自分でつけたって言ってたよね」

 クラウドは悲しげに俯いた。

 「似たような経験をしたから、そんな名前を自分につけたんだ。あの子は、拷問を受けたんだね。それも長いこと、過酷な奴を」

 ロイドが、おもわず口を手で覆った。

「あの子? あの子って、おばあさんじゃないの」

 クラウドはロイドを見て、苦笑した。

 「みんな、怖くてちゃんと顔を見ていないんだね。あの子は俺たちより年下だよ。まだ二十歳前後だと思う。……素顔はきっと、美しい子だよ」

 「なんでわかる」

ミシェルが食ってかかった。さっきのカサンドラの言葉がよほど腹にすえかねたのか。カサンドラをかばうクラウドが気に入らないのか。

 

 「俺はL18の心理作戦部にいた。変装していても、整形していても、それはおよそ八十六パーセントの確率で見破れる。肌や、髪質、立ち居ふるまいから、年齢やどんな場所で暮らしてきたかも大体分かるんだ。あの子は変装も整形もしていない。火傷が顔の様子を変えているだけだ。すぐわかる」

 「拷問って、なんで――」

 「それは知らない。でも、彼女の手足や、顔には、長期間、特殊なやり方で人に痛めつけられた形跡がある」

 「拷問で、アタマがイカれたってのか」

 スマートなミシェルらしからぬ発言だった。本来なら、彼は年下の女の子にたいして、そういうもの言いをする男ではない。

 クラウドは首を振った。泣いているのは明らかだった。

 

 「それほどのことを彼女はされている。……もう悪く言わないで。彼女のことを。どうせ、もう俺たちの前には現れない」

 

 「そうだな。もう死んじまうだろうしな」

 アズラエルの残酷な言葉に、クラウドは目を上げてアズラエルを睨んだ。

 「死んでしまうの?」ロイドも驚いていった。

 

 「……あの様子じゃもうひとつきともたない。彼女の体からは死臭がした。ほんとうなら、生きているのも不思議なくらいだ。なにか、よっぽど強い思いが彼女を支えているんだ」

 クラウドは鼻をすする。

 「どうして彼女がこの宇宙船に乗ったのかはわからないけど――俺だけは、彼女を看取ろうとおもう。きっと、彼女もあきらめずに生きているんだ。そして、なにかのついでとはいえ、俺にミシェルの居場所を教えてくれた。彼女は全身全霊で、俺に、あきらめるなと言ってくれているようだ。俺は――そうする。俺は、……マリアンヌの、彼女のそばにいてあげたいと思う。せめて、永久に眠るときだけは」

 

 クラウドは立ち、泣きながら、カウンターにいるラガーのマスターに会いに行った。カサンドラの居住区を聞きに行ったのだろう。

 

 「マリアンヌだと」

 ミシェルが言った。「本名か。どうしてわかった」

 アズラエルは、聞かれたから答えた。

 「それを聞いちゃあ、探偵失格だぜミシェル。あの女の付けてたネックレスは名前が彫られたロケットだ。マリアンヌ・S・デヌーヴ。……ま、盗品でなきゃ、やつの本名だな」

 

 ラガーのテレビジョンは、喧噪のなかでは一向に意味をなさない。誰も見ていないし、このにぎやかさのなかでは音もかき消されてしまっていた。ラガーのマスターがかけるニュースを消して、ほかの番組に切り替える客もいる。

 

 『……次のニュースです。L03の革命テロは、こう着状態のまま、動きはありません。さきほど、L03の高官三名が、L05への亡命に成功しました。首謀者、メルーヴァ・S・デヌーヴの行方は、まだ不明です。現地の情報も、全くと言っていいほどわかっておりません。L03は昨年より、他星からの入星を拒み続けています。取材も受け入れられません。当局は、L04で待機したままです、L04にいる現地の……さん……、』

 

 客の一人が、番組を変えた。ミシェルも、アズラエルも、ロイドも、このニュースが耳に入ってくることはなかった。クラウドだけが、それを見ていた。喧噪で音は聞こえなかったが、彼はアナウンサーの唇の動きで、言葉をよんだ。

 

 「湿った話はやめだ。一週間後には、クラウドはミシェルちゃんと会える! 俺も久しぶりに彼女ができる。ロイドにもな」

 「……僕は、生まれてはじめてだけど」

 「そりゃめでたいな! ロイドに初めての彼女か! いいシャンパンあけようぜ!」

 

 不自然なくらいはしゃいだミシェルに、ロイドは少し元気を取り戻して笑い――アズラエルはブランデーを呷って、ミシェルと一緒に、ラガーにある一番いいシャンパンを品定めに向かった。

 

 アズラエルは傭兵だ。

 

 いつもなら、ブランデーが喉を通るのと一緒に、カサンドラのことは頭から一掃していたはずだが、妙に、喉に引っかかって閊えた。

 

 ――予言は予言、見えぬものなど何もない。

 

 『見えたものをどうとるかは、予言師次第なのです』

 

 あれはメルヴァが言ったのだったか、サルーディーバが言ったのだったか。

 

 いずれ泣く羽目になると、何度も言ったのに、あのバカは聞かなかった。自業自得だ。クラウドは、カサンドラを看取るとき、ひとりでは行けないだろう。そのとき、俺がついて行くのか、ミシェルがついて行くのかはわからないが、仕方がないから、奴が泣き伏すなら、胸ぐらい貸してやろうかと、アズラエルは思った。

 

 俺も大概、お人好しだ。

 

 

 

 

 

<終>

 


 




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