カサンドラ
「ぼ、僕、ナンパなんかしたことないよ。だいじょうぶかな?」 「平気だって。此処いいかな? って聞けばいいんだよ。そしたら俺たちが来るから」 リサたち四人には、ロイドが声をかけることにした。一応、全員初対面という設定でだ。リサは、そのほうがいいと言った。合コンだと言えば、ウサギちゃんもミシェルも来たがらない。偶然を装って、声をかけてくれと。それもできれば、アズラエルじゃないほうがいい。 わかってるよ。 あのグレンにさえ、泣きそうな顔で怯えていたウサギちゃんだ。自分ひとりで声をかけたら、うまくいくわけがない。 リサに頼んで、マタドールカフェに連れてきてもらう。こんな風に上手くことが運ぶとは思わなかった。 「美人揃いだって? サイコーだな」ミシェルが嬉しそうに言った。 「マタドールカフェで会えるなんてな」 ミシェルはマタドールカフェを知っていた。でも、ミシェルを見たことはなかったらしい。ルナも、リサも。 「でも――ぼ、僕――」ナンパなんて、と顔を真っ赤にして戸惑っているロイドに、 「勇気を出すんだよ、ロイド」 ミシェルがロイドの肩をたたいた。 「この宇宙船に乗って、生まれ変わるんだって言ったじゃないか。過去の、引っ込み思案で、いじめられっ子のロイドはもういないんだ」 「う――うん」 「生まれ変わるったって、ナンパだけどな」 アズラエルの突っ込みに、ラガーのマスターまで笑った。 「アンタは生まれ変われるよ。『裏切られた保育士』」 不気味な声に、一瞬、やかましい店内のなかで、ミシェルたちのテーブルだけが凍りついた。 「ナンパは成功するさ。一番背の高い、変わった化粧の子に話しかけてごらん。彼女が運命の相手だ。――ずっと、裏切られ続けてきたんだねアンタは。だからいろんなことに怯えている。でももうだいじょうぶだ。この宇宙船はあんたに幸福を運んでくれる。彼女は、アンタをまるごと包み込んでくれる。『エキセントリックな子ネコ』を離すんじゃないよ」 アズラエルが凄もうとしたのを、ミシェルが片手で止めた。 「俺の裁判は勝つか、負けるか。どっちだい」 カサンドラは、嬉しげに指をさす。 「それは、『美容師の子猫』次第だね」 「いったいだれだ、それは」 「おまえさんたちがこれから会う、四人の中の一人だよ。彼女を大切におし。彼女はおまえさんの運勢を底上げする女神みたいなものだ」 「これから会う相手に、その子がいるんだな」 「アンタの運勢は大凶だ」 カサンドラの恐ろしげな声に、ミシェルは頬はヒクついた。 「アンタの命運を底なしに下げているのは、その裁判に対する強いこだわりだ。過去を消しきれない恨みが、おまえさんの運勢を下げている。彼女を大切にしなければ、たとえどんな強い傭兵を雇ったところで、裁判に勝ったところで、おまえさんは死ぬだろう。裁判の一年後に」 ミシェルは、「バカらしい!」と鼻を鳴らした。 「行こう! 酒がまずくなる」 スーツの上着を引っ掛け、席を立った。 「カサンドラ」 クラウドが、悲しげに言った。 「どうして、そんなふうに言ってしまうの。みんな怒るよ」 「あたしはカサンドラだからさ。――どうせみんな、信じやしない」 クラウドは、深く、頷いた。 「カサンドラって――名前の通りだったんだね」 「そのとおりさ。その名前はあたしが自分に、自分でつけた。あたしにはぴったりだ」 カサンドラは、曲げた背の中で胸を張った。 「さいごの忠告だよ、あんたには。アンタは、『ガラスの子猫』を大切にするだろう。でも大切にしすぎちゃいけない」 クラウドは、困った顔で首をかしげた。 「どうして?」 「『ガラスの子猫』は、アンタを一番に愛さないからさ」 クラウドがさあっと青ざめた。「ウソだよ。……ウソだよ。そんなことない」 「仕方のないことなんだよ。彼女にとって、アンタはチェシャ猫だ。アンタのその一途過ぎる思いが、彼女を困らせる」 「ミシェルは、だれかほかに好きな人がいるの」 「彼女が一番に愛しているのが人だったら、まだ救いはあったろうさ」 カサンドラは、指をさした。 「彼女が恋しているのは『ガラスの芸術』という名の、自分の才能だ。無理もない。彼女は、L系惑星群で名を轟かす著名な芸術家になる。この宇宙船に乗ったのがきっかけでね。おまえさんが愛したのはふつうの女じゃないんだよ」 「でもミシェルは俺を愛してる」 「そのとおりさ。でも、おまえさんは、おまえさんが愛するほど彼女が自分を愛していないのを知って、苦しむことになるだろう」 クラウドは、本格的に顔をゆがめた。声をあげて泣きそうな顔だ。 「もうやめてあげて」ロイドが悲鳴のような声を上げた。「クラウドを傷つけないでよ」 カサンドラは、喉を鳴らして笑った。掠れた変な音がした。 「あたしは忠告しているのさ。おまえさんは、彼女を縛りつけてはいけない。そうすれば、彼女の心は離れていく。それがわかっていれば、きっといい方法がみつかるさ。――でも、あたしの言葉は、誰も信じない」 「俺は信じるよ」 クラウドが、涙をぬぐって言った。 「カサンドラ」 「なんだい」 「君はなぜカサンドラなの」 「おまえさんが思っているとおりさ」 「俺は――」クラウドは、「君がカサンドラなら、信じなきゃいけないと思う」 カサンドラは大声で笑った。しかし、その大声も、このバーの喧噪のなかでは声から声の中に消える。 「サルーディーバを、この宇宙船に乗せてはいけない」 サルーディーバの名に、アズラエルの目がギラリと光った。カサンドラは続ける。 「あたしは、サルーディーバをこの宇宙船に乗せてはいけない。そう言った。……何度も、何度もだ。そうすればL03は滅び、やがて、L系列惑星群におおきな変革が起こる。あたしは何度もそう言った――でもだれも信じやしなかった。力を失った予言師が、L03を離れても、だれも気にはしない。ましてや、サルーディーバがL03を害することなど。皆そういう。あたしを信じないのは、あたしがカサンドラだからさ」 「さ、サルーディーバって、だれ」 ロイドが青ざめた顔で言った。 「え、L系列惑星群が滅びちゃうの……?」 「惑星群が滅びるかどうかはまではね。でも、その一歩手前まではいくだろう。大きな変革は起こる。いままでの生活が一変する。戦争もテロも、拡大的にひろがるだろう」 カサンドラは言う。 「もう遅いさ。サルーディーバはこの船に乗った。『孤高のトラ』も。……『月を眺める子ウサギ』も、だ。もう手遅れだ。ただひとつの望みは、『月を眺める子ウサギ』と、サルーディーバを会わせないことだ。それが最後の希望だね」 「その二人を会わせなければ、だいじょうぶなの」 「アンタもあたしを信じるのかい」 カサンドラの言葉に、ロイドはおもわず目をそらした。火傷でひきつれた顔を、フードの奥に認めて怖くなったのだ。 「あたしは『傭兵のライオン』にたっぷりいただいたからね。それに見合うだけの忠告はしてあげた」 「あれは、手切れのつもりだ」アズラエルは苦々しく言った。「別に何も頼んでねえ」 「そうかい? あたしからすればおまえさんが一番不幸だがね」 カサンドラは、楽しげに言った。 「……アンタは、恐ろしく古いのろいにタマシイが縛られている」 アズラエルの形相が変わっていくのに、ロイドが怯んだ。 「アンタは怯えているのさ。月の女神にまた拒絶されはしないかと――また、失いはしないかと」 ダアンッ!!!!!! 女のフードのはしが、壁に縫い付けられていた。恐ろしい刃渡りの、アズラエルのナイフで。 「次は眉間だ。……ここから去れ」 カサンドラはぜんぜん怯えもせず、笑いながら言った。 「この船は魔境だよ」 ――予言は予言、見えぬものなど何もない。 この船は魔境だ。縁の糸が張り巡らされた、不可思議な魔境だよ――。 笑いながら、ひょこひょこと足を引きずっていくカサンドラを、気味悪げにひとびとが避けていく。
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