百六話 石像担いでリハーサル



 

 ルシアンの警備のバイトは、滞りなく済んだ。グレンはちっとも眠くなかった。もともと、一晩の徹夜でどうこう言っていたら軍人などやっていられないが、人間だから眠いものは眠い。だが、今日のグレンはちっとも眠くなかった。妙に神経がたかぶっている。仕事上がり、頭の中身をしめているのは、いつもならたいてい、朝飯に何を食おうかとか、家に帰って寝るか、ラガーでひっかけて寝に帰るか、そんな程度だ。今日はめずらしく、一人の人間のことで頭がいっぱいだった。――ルナではないところが、グレンは我ながら不思議――カレンのことだ。

 

 タクシーで家路につきながら、グレンは、おなじ軍事惑星の名家の跡取りであるカレンのことを考えた。

 

 もし、運命の歯車が狂わなかったら――歯車が正当にうごいて今の状況なのか、グレンにはわからなかったが、なにごともなくグレンがストレートに跡を継いでいたなら、カレンとグレンは互いに、軍事惑星を支えていく、ドーソンとマッケランの君主として、出会っていたことだろう。

 そんな形で出会っていたとして、果たして今のような関係が築けたか。こたえは明らかにノーだった。

 この地球行き宇宙船で出会った――不如意な、偶然。

 たがいを、ドーソンとマッケランという大荷物をおろした状態で会った、こんな形での出会いでなければ、親しくはなれなかったはずだ。

 当主として会えば、おそらく、互いの中身を一ミリたりとも見せず、腹の探り合いでおわる。

 現に、最初はそうだった。

 宇宙船に乗って、部屋が隣同士になり、交友ははじまった。グレンが、ドーソンの嫡男と知ったときからカレンの愛想は急転直下し、こんなふうに同居できるようになったこと自体奇跡だ。最初の、あの反応からすれば――。

 カレンが、「ドーソンの嫡男」としてではなく、グレンという人間を見てくれるまで、時間はかかった。グレンも同じだ。カレンを、「マッケランの嫡子」という目で見たくはなくても、どうしてもフィルターはかかる。

 互いにそのフィルターを取り払うのに、時間と根気と、まわりの人間の協力が不可欠だった。

 

 (冗談じゃねえぞ、カレン)

 グレンは心中だけでつぶやいた。

 (地球で、おまえを看取れっていうのか)

 

 カレンの寿命があと三年しかない――ちょうど地球に着くころが、カレンの寿命が尽きるとき、というわけだ。

 地球に着くことを、ルナのように夢見がちにとらえているわけではないグレンだったが、友人の死を看取るために地球に着くことなど、真っ平御免だった。

 そして、カレンの死より、この宇宙船で起こる奇跡のことを考え始めている自分を、変わったなあと心のどこかで思ったのだった。

 

 K27区のマンションに着き、自室でシャワーを浴びてから、グレンはちょっと考えたのち、階下に下りて、ルナの部屋のインターフォンを押した。ぱたぱたぺたぺたとドア向こうで、だれかが玄関に到着した。ドアがガチャリと開く。ルナがひょこりと顔を出した。

 

 「グレン、おかえり!」

 「ルナおまえ、相手を確かめてから、ドアを開けろ」

 アズラエルにも、いつも言われていることだったが、ルナはすぐに忘れる。ふくれっ面をしたルナだったが、すぐに室内にもどっていった。用を聞かないということは、勝手に入っていいのか。グレンはそのこともルナに注意しようとしたが、肩を竦めるだけで、あきらめた。

 グレンがまっすぐキッチンまで行くと、ルナ以外、この部屋には誰も居ないようだった。

 だれもいない。ルナと二人きり。

 以前の自分だったら、こんなラッキーな状況はじゅうぶん有効活用したかもしれないが、ながく一緒に暮らしていくためには、よけいなもめ事は起こさないに限る。

 ルナが、ほかの男と部屋に二人きりの状況を許せるほど、アズラエルは大人ではないし、自分もそうだ。

グレンは一旦引き返そうかと思った――が。

 

 「ごはんあるよ!!」

 「……は?」

 グレンは何か言うまえに、目的のものをルナに差し出されたので拍子抜けした。

 「あさごはん、でしょ?」

 ルナは違うの? という目でグレンを見ている。たしかに、なにか食うものはないか、それを聞きにルナを訪問した。運がよかったら、朝食の残りか何か――。だが、グレンはうさぎに、強引にダイニングテーブルに着かされた。

 

 「ちょっと待っててね」

 「ルナ、別に凝ったモンじゃなくて、いいんだ、」

 グレンは言ったが、ルナはてきぱきと用意をし出した。どうやら、サラダを乗せた白い皿はすでにスタンバイされていたらしい。フライパンに卵をおとすジュウジュウという音、バターの香り。

 「グレン、ベーコンとソーセージどっちがいい?」

 「ソーセージ」

グレンがおとなしく椅子に座っている間に、完璧な朝食がめのまえに差し出された。

 きつね色のトーストに、オムレツと野菜サラダとトマト、たくさんの小さなソーセージ。コーヒーとフルーツヨーグルトまでつけてもらったグレンは、

 「最高の嫁だな」

 と、大喜びでルナの頬っぺたにキスをした。あつあつのコーヒーがたっぷり入ったコーヒーサーバーを、ルナがゆかにぶちまけなかったのは、グレンがうまくキャッチしたからである。

 

 「おまえ、俺の分も取っといてくれたのか」

 グレンは五枚目のトーストをくわえて言った。

 「無理しなくていいんだぞ」

 「べつに無理じゃないもん!」

 なにが気に障ったのか、ルナはぷんすかしながら言った。

 「あたしは、みんなにごはんを食べてもらうの! みんなの食生活はあたしがまもります!」

 「あ、ああ……」

 「グレンにビールだけの生活はさせないからね!」

 ルナの中では、グレンはビールしか摂取していないというイメージがあった。

 「さすがにビールだけで生活してるわけじゃ、」

 グレンは言い訳をしたが、途中でやめて、

 「カレンの容体のこと、あれからなにか聞いたか。セルゲイは病院?」

 と聞いた。ルナは頷いた。

 「うん。今朝セルゲイも帰ってきて、グレンみたいに朝ごはん食べて行ったよ。カレンのことはなにも……」

 「そうか」

 

 昨夜の夕食は、皆でバリバリ鳥のシチューを食べた。ピエトの感想は、「エルトで食ったのよりうめえ!」とのことだったので、パパは満足したようだ。

 たのしい夕食の後、故郷のシチューを食べて元気になったピエトから、クラウドはラグ・ヴァーダの神話の歌を聞いた。そしてピエトを寝かせつけた後、みんなで、夜遅くまでいろいろなことを話しあった。

 カレンのこと、K33区であったこと、ペリドットのことやベッタラのこと。クラウドがK05区でイシュマールに聞いた神話の話など、たくさん聞いた、驚くような話の数々を、共有した。

 

 「それでね、ジュリさんはきのうも帰って来なかったんだけども、セルゲイも言っていたんだけど、――ジュリさんには、カレンの病気のことは話すけど、その――寿命のことは、ないしょにしようって」

 「……」

 グレンは、賛成だったので黙っていた。

 「ジュリさん、エレナさんが宇宙船を降りちゃって、やっぱりものすごく落ち込んでるんだって」

 「だろうな」

 ジュリの男遊びは、だいぶ落ち着いていたのだ。ジュリが学校に通うようになり、エレナに赤ん坊が生まれて、ずっと。だが、寂しさのせいか、男遊びが再開されてしまった。カレンも、ジュリが宇宙船に乗ったばかりのころにもどってしまうのではないかと心配しているらしい。

 「そんなときに、カレンの病気のことを話したら、もっとたいへんになっちゃうんじゃないかって、セルゲイがね」

 「正解だな――で、ジュリに連絡つけたのか」

 「今朝セルゲイがゆってたけど、きのうのうちに、セルゲイがしたみたい。今日でいいっていったのに、きのう面会時間外に病院に押しかけてきて、びっくりしたって。大泣きに泣くもんだから、カレンは死ぬわけじゃない、だいじょうぶだって、ちゃんとわかってもらうのにすごくたいへんだったって。ジュリさんも、いま病院にいるみたいだよ」

 あそこは個室で、付添人が泊まってもいいみたいだから、とルナは言った。

 グレンはジュリのパニックぶりがだいたい想像できて、苦笑した。

 

 昨夜の話し合いの結果、今日はみながそれぞれの用を果たしに、あちこちへ赴いているらしい。セルゲイとジュリは病院、ピエトは学校、ミシェルとクラウドは、もういちど真砂名神社のギャラリーを見に行ったと。

アズラエルは、アントニオに会いに行った。

 

 「おまえは、今日、どうするんだ」

 「あたしはね、もう一時間ぐらいZOOカードをがんばってみて、それでも開かなかったら、真砂名神社に持っていってみようかと」

 「ZOOカード?」

 おとついもらったという、化粧箱か。

 「箱があかねえってことか?」