「うん。あかないの。がんばってるんだけど」 ルナは、リビングの方に置いてある箱をじっとながめてそう言った。足がうさ耳のようにブラブラ揺れている。そわそわし始めたルナを見、グレンは苦笑した。 「わかった。がんばってみろ。メシ美味かったよ、ごちそうさん」 グレンが食器を持って立つと、ルナも食器を持とうとしたが、 「いい、自分で洗う。おまえはZOOカードをなんとかしろ」 ルナはリビングにまっしぐらに駆けて行き、ZOOカードの前に正座した。開かないというくらいだから、ドライバーや工具を持って箱に挑むかと予想していたグレンは、皿を洗ったら自分が開けてやろうと考えて――予想が外れて、ルナのように口を開けかけた。 そして、その次にうさぎが取った行動は、うさぎの奇行に慣れた大トラにも、ついに口をぽっかり開けさせてしまった。 「羽ばたけうさぎ! うさぎボックスよ開け! ひらけごま! うさ――うさぎよひらけ! 箱があきます! あくのです! いざ開かん! 箱! ZOOカードよひらけ! ひらけごま! ごま! うさこ! うさこよ出てこい! 月を眺める子ウサギ現れろ!!」 グレンは言いたいことを我慢して、背を向けて食器を洗った。つかっていない全自動食器洗い機を横目で眺め、ひたすらもくもくと、皿二枚とコーヒーカップを洗った。洗い終わると、うさぎの奇行をちょっと離れたところで眺めた。ルナは一生けん命、箱に向かってなにか怒鳴っている。時折、指を鳴らそうと腕を振りながら――グレンは、さすがに口を挟んだ。 「おまえ、何してんだ?」 聞かずにはいられなかった。ルナは大声で叫んだ。 「ZOOカードを開けようとしています!」 グレンはルナのうしろに同じように座り、ルナを膝上に抱え上げた。ルナのつむじと一緒に、ZOOカードボックスを視界に入れた。 「これを開けようと?」 「そうです!」 ルナは言ったあと、また意味不明の語句を叫び始めた。 「眠れ、そして目覚めよ! うさこよ目覚めよ! うさぎよ羽ばたけ! うさぎの予感! うさぎの時間! うさこのきもち!!」 「……」 グレンは、このうえなく気の毒な者を見る目でルナを見た。そしてルナを慈しむように撫で――つむじにキスをした。息を弾ませて怒鳴っているうさぎはまったく気づかない。 かわいそうに、いろいろな話を聞きすぎて、ルナも混乱状態にあるのだろう――しかし、いままでだってこのうさぎはカオス極まりなかったが、ここまでとは――。 グレンは恋人(仮定)がおかしくなってしまったと、かなしみを胸に秘めながら、ルナの後ろから長い腕を伸ばすと、武骨な指で、南京錠の掛け金を動かしてみた。南京錠の底に穴がないので、キーレスタイプか――この南京錠は飾りではないかと思ったのだ。 グレンの予想は的中し、南京錠はふつうに外れた。ただの飾りだ。南京錠が外れれば、留め金は簡単に開く。グレンが留め金を外して蓋をあけると、藤色のカードボックスたちが姿を現した。 「……」 蓋と同時に、ルナの口も開いた。 「あいた!」 「……開いたな」 「あいたよグレン!!」 ルナが叫ぶと、グレンは物言わずルナを見た。――かわいそうなものを見る目で。 「グレンはあたしをそんな目で見ちゃいけないんだ!!」 だって、ペリドットさんが指をぱっちんして開けていたもの……! ルナは言い訳を繰り返したが、グレンの哀れな視線は変わらない。ルナが頬っぺたを膨らませ始めたところで、玄関のドアが開く音がした。 「ただいま――ルゥ」 リビングにやってきたアズラエルは目を剥いた。妻の浮気現場を目撃してだ。 「てめえ――俺が居ねえ間に何してやがった!!」 すかさずグレンの膝の上からうさぎを掻っ攫った男に、グレンは遠い目をしながら言った。 「メシ食ってた」 「ついでにルナも食ったとか言い出しやがったら、ブチ殺すぞ――」 すごんだアズラエルは、箱が開いているのを見て、怒りの矛先が雲散霧消した。 「開いたのか!?」 「すごいよアズ! グレンが開けてくれたの!!」 「おまえ、どうやったんだ!?」 アズラエルは、アントニオにZOOカードの箱の開け方を聞きに行っていたのである。アントニオの返事は、「え? なんで開かないんだろ」という疑問形だった。忙しそうだったので、アズラエルは相談することもできず、早々に戻ってきたわけだが――。 「普通に開いたぜ。この鍵は飾りみてえだし、」 「どうやって開けたかって聞いてんだ!」 「普通に開けたよ! 鍵を外して、蓋をあけた! 俺がやったのはそれだけだ!」 グレンが怒鳴り、アズラエルは箱を見――それからルナを見た。グレンと同じような視線で。 「アズもそんな目であたしを見る!!」 「見たくもなるぜ」 箱というものは、まず呪文を唱えるまえに手で開けてみる。ルナにはいい教訓になっただろう。 「かわいそうに、ルナ。顎にカビ生えてる傭兵野郎と生活してるせいで、頭にカビが生えちまったんだな」 よしよしとルナの頭を撫でるグレンの胸ぐらをつかみあげ、アズラエルは凄んだ。 「俺の顎にあるのはヒゲだ。だから、いちいちルゥに触るんじゃねえよ」 「あたしのあたまにかびなんかはえてないんだ!」 ルナも凄んだが、いまいち迫力に欠けた。 この仲がいい(ルナ視点)兄弟に構っている暇はないのだ。ルナはZOOカードで、一刻も早く調べ物をしなくてはならない。 “真実をもたらすトラ”がだれかということ。サルディオネを助けてやってくれとペリドットにも言われているし、カレンの様子も気にかかる。 ZOOカードの箱は、グレンのお蔭でようやく開いたが、この先は手でどうにかしようと思っても、無理な相談だ。この千枚以上あるカードから、トラのカードを一枚一枚探していくのは、気の遠くなる作業であることは違いない。 ルナはもう一度、指を鳴らしてみて、それから「うさぎのカードよ出てこい!」と叫んでみたが、やはり藤色の箱はピクリとも動かない。そして、決定的な事態が起こった。ルナが藤色のカードボックスに手を伸ばすと、キラッと光り輝いて、ルナの手を弾いたのだ。 「――!?」 今の様子は、グレンもアズラエルも見た。アズラエルがそっと藤色のカードボックスに触れようとすると、今度はバチッと静電気のような大きな音がして、アズラエルの手を弾いた。ルナは痛くなかったが、アズラエルは「いてっ!」と呻いて手を離した。 「やっぱりあたし、真砂名神社に行くよ!」 ルナは箱のふたを閉め、大きなバッグにZOOカードボックスを入れた。 「アズとグレンは仲良くおるすばんする?」 「仲良くお留守番する気はねえよ」 「俺も行く」 猛獣二頭はついてくるようだ。 「なんだか邪魔な気がする!」 ルナはいつぞやのミシェルのようにはっきり言ってやったが、猛獣二頭はがるがる唸るだけだった。 「グレンが邪魔なのは分かるが、俺を邪険にするのはどういう魂胆だルゥ」 「俺を置いていくってンなら、てめえも外には出さねえ」 グレンはルナを膝上に置いて、腰を落ち着けてしまったので、ルナはしかたなく、二人がついてくることを了承した。ミシェルのようにうまくはいかないものだ。 シャインで一気にK05区に到着し、真砂名神社の階段を上がろうとしたとき、ふたたび異変は起こった。 「うぐおっ!?」 「がっ!?」 またもや、アズラエルとグレンの足が、一段目で膠着してしまったのである。 「ええ!?」 すでに十段目にいたルナはさすがに、振り返って戻ってきた。ルナは数段下りて、グレンとアズラエルの目線と重なる位置まで来て、二人の様子を心配そうに見つめた。 ふたりとも、足が縫い付けられたように一段目から動かない。顔を真っ赤にして、足を持ち上げようとしている。 「ど、どうしたのふたりとも」 |