「ううん……」

 おじいさんは唸るようにして考え込み、

 「あのな、おまえさんは、真砂名の神も認証したZOOの支配者じゃ。それは間違いない」

 と言い置いた。

 

 「このZOOカードの箱は、おまえさんの“気”の色。だから白銀色なんじゃ。うさぎの文様も描かれとるし、錠も月の紋章じゃろ?」

 おじいさんはひとつひとつ確かめるようにして、ルナに見せた。ルナもは自分の気の色は白銀色なんだとわかり、勉強になったとうなずいた。

 「ZOOカードはな、これとおんなじ箱があと十個はある。じゃがな、箱はただの鉄箱で、中の小箱も透明なプラスチックケースなんじゃ。ZOOの支配者が決まったときだけ、箱はZOOカードとなって、持ち主の色に決まり、模様も浮かび上がる。そうなったら、はじめてZOOカードとしてつかえるんじゃ。ZOOカードにならなければ、これはただの、絵のついたカードをしまっておく箱じゃ」

 「う、うん」

 「アンジェの箱を見たことがあるかの」

 「あ――あります」

 アンジェリカの箱は、紫色で、中の小箱は綺麗な模様がちりばめられた、半透明の小箱だった。

 

 「アンジェのもんは、紫色で、ネズミの模様がついとったじゃろ。錠は黒で星がちらばっとる。アンジェの箱は、夜の神の支配下にある」

 「夜の神?」

 「うん。アンジェのZOOカードは“英知ある灰ネズミ”いうてな、ネズミはあまり明るいところにはおらんじゃろ。どぶや、家の天井裏なんかに住みよる。陰に隠れるものの存在は、夜の神か月の神の支配下じゃ。ヘビや水中にすむワニなんかも、そうじゃな。クジラやシャチは昼と太陽の神の支配下じゃがな――おまえさんの“うさぎ”は“月の神の使者”ゆえに、月の神の支配下にある。だから、錠は“月”」

 ルナは、メモ帳を持ってくるべきだったと思った。

 「アンジェは、ネズミさんだったんだ……」

 「ペリドットはトラじゃから、太陽の神の支配下にある。あやつのZOOカードの箱は、黄金色でトラ模様。錠は太陽のマークじゃったろ」

 

 「トラ!?」

 ルナは、うさ耳がぴーんと立った。もしかして、というルナの直感が働いた。

 「……おじいちゃん、ペリドットさんのZOOカード、知ってる?」

 「しっとるよ。あいつは“真実をもたらすトラ”じゃ」

 「見つけた!!」

 ルナは叫んだ。

「探してたの! “真実をもたらすトラ”さんを!」

 

 「あいつ、教えんかったんか」

 おじいさんは苦い顔をした。

 「ほんとに、言葉の足らん奴じゃのう……」

 呆れ声で言ったが、ペリドットに言わせれば、「だって聞かれなかったから」と言い訳が返ってくるに決まっていた。おじいさんも似たようなことをクラウドに言ったことはすでに忘れている。痴呆がはじまっているわけではない。

 

 「ところで、ZOOカードの箱は、真砂名の神がZOOの支配者を任じて、箱のすがたを変えるわけだが、ZOOの支配者になったら、人間様の方もしなければならんことがある」

 「はい!」

 ルナは畏まって正座した。

 「この真砂名神社の奥宮に行って、真砂名の神に、礼を尽くさねばならん。ZOOの支配者に任じられたことへの感謝と、悪しきことに使わぬという誓いをたてにな――」

 「あ、じゃあ、あたしも行きます!」

 ルナは、そうしなければならないと思ったのだが、おじいさんは首を振った。

 「悪いが、奥宮は、おまえさんのような世俗の者は入れん」

 

 ルナは、奥宮と奥殿を勘違いしたようだ。ルナはギャラリーのあるところだと思ったのだが、それは違った。奥殿は、ギャラリーの回廊に囲まれた、太陽の神と昼の神、夜の神と月の神、四柱の神をまつる神殿であり、奥宮とは違う。

 奥宮は、この里宮である真砂名神社よりもっと山の奥。山頂にあるのだ。      

 

「それを済ませてはじめて、ZOOカードがZOOの支配者の色に変化するんじゃ。じゃが、おまえさんのは、それをせんでも、すでにおまえさんのZOOカードになっておる」

 首を傾げて、ルナのカードボックスを眺めた。

 「ペリドットは、おまえさんを、期間限定のZOOの支配者にしろと真砂名の神から受け取ったようじゃが、――やはり特例あつかいじゃし、本来のつかいかたとは異なるのかもしれん」

 「――え?」

 「おまえさんは神官ではない。正式なZOOの支配者ではない。じゃから、通常通りのつかいかたはできんのかもしれん。真砂名の神が必要としたときにしか、このZOOカードは動かんし、つかえんのかも」

 「そ、そんなあ……」

 

 “真実をもたらすトラ”はだれかわかったが、ルナはペリドットから、アンジェリカを助けてくれと言われているのだ。おそらく、彼女を助けるために、ペリドットはルナにZOOカードを託した。つかえないのならば、どうやって助けたらいいのだろう。

 

 「ううむ――それは困ったのう」

 おじいさんも気難しい顔をしてカードボックスを睨んでいたが、突然、はっとしたように顔を上げた。

 「おお、いかん。これはまずいわい……」

 小柄な体がひょいと飛び上がって、廊下に飛び出した。

 「おまえさんもおいで」

 ルナも慌てて後を追った。

 「ミヒャエルは間に合わなんだか」

 おじいさんが向かっているのは拝殿の外だ。その先は階段――ルナは心配になって叫んだ。

 「アズとグレン、だいじょうぶですか!?」

 「だいじょうぶではないかもしれん」

 「ええ!?」

 

 

 おじいさんの言ったとおり、だいじょうぶではなかった。

 アズラエルとグレンは一歩も動けなくなり、三十段目で倒れ伏していた。

 

 ――肋骨がみしりと音を立てる。身体じゅうの骨が圧迫されていた。肺も押し潰されそうだ。呼吸すらままならない。ひゅーっ、ひゅーっとグレンの方から、虫の息にも近い呼吸音が聞こえてきて、アズラエルはガルダ砂漠を思い出して青くなった。

 助けてやりたいが、自分の身体も動かない。アズラエルも似たような呼吸音だ。

 ふたりは生死の境をさまよう寸前まできていた。

どうして階段を上るだけで、死ぬ目に遭わなければならないのか。

 

 「ひっ……久しぶりだな……この感覚……」

 グレンは掠れた声で言った。戦場では、生きるか死ぬかだった。

 「最近……平和ボケしてたからな……」

 アズラエルも、死ぬかもしれない目に遭ったことはある。だが、目に見えない何かに潰されて死にそうになる経験は一度もなかった。

 グレンも同じだ。

 まさか、階段を上がる途中で人生を終えそうになるとは思わなかった。

ふたりはさすがに、もう降りる気でいた。死の危険を感じたからだ。だが降りようにも、もはや身体が動かないのだ。それどころか、上から巨大なものにじわじわと潰される感覚で、自分が石の階段にめり込みそうだ。

あきらかに、前回とは様子が違う。

 

「おい……」

アズラエルは今にも意識を失いそうなグレンを、なんとか小突いた。

気絶してはダメだ。意識を失ったが最後、終わりだということをアズラエルは認識していた。

なんとかして下に降りるか、うえまで上るかしなければ、このままでは死んでしまう。

 

 「アーズラエル! グーレン!! しっかりしなければなりません!!」

 ふたりは、頭がイカレそうな共通語を、今生最後に聞く言葉にはしたくなかった。当然だ。突っ伏していたアズラエルは、恐ろしく重い荷物でもひっくり返すかのような、だれかの唸り声を聞いた。

 「……?」

仰向けになったアズラエルは、肩を貸そうとしている男の顔をたしかめて、思わずつぶやいた。

 

 「ベッタラ……」

 

 なんでここにいるんだ? という質問すら出てこなかった。

 「アーズラエル、シャチより重いですよ、アナタ! クジラ以上かも……」

 アズラエルに肩を貸したベッタラは呻いて、すぐ膝をついた。

 

 「ほんとだ……! グレン君、すこしダイエットしたほうがいいよ!!」

 グレンの方に手を貸している男を見たアズラエルは、ついに絶叫してしまった。その絶叫でまた体力を消耗した。