この階段は、不思議な階段で、真砂名神社の宮司いわく、初めて上がる人間は、前世の罪が浄化されるため、まるで重い荷物を背負って上るがごとき状態になる。当然、一番上まで上れず、途中でくじける人間もいる。

アズラエルとグレンも一番初めに上がったときは、足の裏に磁石でも貼りついているかのように足が重く、上まで上がるのに一時間も要した。

この階段は、一度上がることができれば、だいじょうぶなのではないのか。クラウドもミシェルも、この階段をすでに何度か上がっているはずだが、ふたりとも、二度目以降はすんなり上れている。なのに。

 

 「う、ぐおお……! なんだこれ……前よりひでえ!」

 「くっそ……重てえ……なんだ、これ……」

 グレンとアズラエルは、以前の倍は重い足を、なんとか二段目に乗せた。

 

 「アズ、グレン、平気!?」

 「平気……に見えるか?」

 「じょ……冗談じゃねえぞ……俺はこんなに重いはずは……」

 最近体重が増えたことを、グレンは少し気にしていた。だが増えたと言っても一、二キロのこと、階段が上れなくなるくらい太ったわけではない。

 

 「あたしが邪魔扱いしたからかな!? ふたりについてこないでって思ったから!?」

 「そうまではっきり言われると、さすがに傷つくぜ、ルゥ……」

 「今すぐ訂正しろ。このままじゃ上がれねえ」

 ルナはすぐさま訂正したが――二人の足の重さはちっとも変わらなかった。ルナのせいではないらしい。

 「ふたりとも、無理しないで。あたし、宮司さんにちょっと聞いてくるだけにするから、ふもとのお店で待ってて……、」

 ルナはあわてて言ったが、ふたりは呻きながら片足を、三段目に乗せた。

 

 「負けるかうらァああああ!!!」

 グレンの咆哮に、階段を上がっていた女官三名がびくっと肩を揺らし、逃げるように上って行った。

 

 「ルゥ、おまえ、俺たちのことは気にせずに先に行って、神主に聞いて来い」

 「え? ――でも、」

 「こんなふうに試されて、引き下がれるかちくしょうおおおおお!!」

 アズラエルも最終的に吠え、四段目に上がった。

 

 猛獣二頭の気合の入った雄たけびを聞いたルナは、ぽかっと口を開き、

 「う、うん! じゃあ、がんばってね!」

 といって、ぺぺぺっと上って行った。

 

 「クソ……あっさり行っちまいやがった……あの薄情者……」

 「なんで俺たちだけ毎回こんなになるんだ……」

 階段を四段上がっただけで、全身汗びっしょりだ。

 「ナマってンじゃねえのか傭兵野郎」

 「てめえこそいいダイエットになるぜ、銀色ハゲ」

 ふたりは同時に、唸りながら五段目に上がり、六段目にもう片方の足を乗せた。

 

 「――百メートルもあるような、石像背負ってる気分だぜ」

 グレンのつぶやきが、なんとなく自分が考えていることと一緒だったため、アズラエルは「そうかもな」とつぶやいて、七段目に重々しい足を乗せた。

 ふたりはアストロスのマーサ・ジャ・ハーナ遺跡にある、兄弟神の石像が、百メートル級の巨大な石像であることは、もちろん知らない。

 

 

 ルナはてってってと走るように階段を上がった。

 この階段は、一段一段が、幅広の白い一枚岩の鉱石でできており、段差は低いが、一段を上がるのに、ルナは二歩必要とする。

 運動音痴に運動不足の体育会系ではない子ウサギは、何度か立ち止まり、へふへふいいながらも、大急ぎで百段以上もある階段を上がった。

 真砂名神社の拝殿まえに着き、ひと目を気にしながらも、おみくじやお札を売っている授与所の巫女さんに、「真砂名神社のおじいちゃんはいますか」と聞いてみた。巫女が首を傾げたので、ルナはあわてて「イシュマールさんは、いますか」と聞き直した。

 巫女の一人が呼びに立ってくれた。拝殿のほうへ上がっていき、ルナにも入ってくるよう促す。ルナは入ってもいいのかな、と靴を脱いで、すこし遠慮がちに「おじゃまします」といって上がった。巫女は廊下のほうに歩いていき、ルナは拝殿にひとり残された。

 

 (真砂名のかみさま)

 ルナは拝殿の奥にある大鏡を見つめながら思った。

 (どうやって、このZOOカードをつかったらいいんだろう)

 

 「おお、ルナか。おはようさん」

 「あっ、おじいちゃん、おはようございます」

 ほどなくして、イシュマールが廊下の奥から姿を見せた。

 「ZOOカードのことか。今、おまえさん、神さんに聞いたじゃろ――まあ、こっち来て、茶でも飲め」

 「あっ、いえ、あの、でも、」

 ゆっくりもしていられないのだ。なにせ真砂名神社の階段で、アズラエルとグレンが、また死にそうになりながら上っているのだから。

 「あの兄弟のことは心配せんでええ」

 おじいさんは、あっさりと言った。

 「そのうち助けが入るわい。たしかに、今回は、ふたりとも自力で上がるんは、無理かもしれんの」

 ルナは、おじいさんの言葉にすこし肩の荷が下り、おじいさんに促されるまま廊下の方へ行った。たしかにルナが助けに行っても、あのふたりを背負ってあげることもできないし、できることといえば、声援してあげることぐらいだ。

 前回も、ふたりはくたびれはしたが、一時間くらいで上がってきた。今度は二時間ぐらいかかるだろうか。

 ルナは大して心配はしていなかった。――それが大いなる誤算だと知るのは、三十分後だが。

 

「なんだか、まえよりひどいの。まえはね、うおおとか叫びながら数段上って、ちょっと休んで、重いことは重いし、疲れたみたいだけど、その繰り返しで上れたの。でも今回は、もっと重そうなの。一歩上にあがるだけでも、辛いみたいで、」

ルナはおじいさんのあとについていきながら、言った。

 「そりゃそうじゃろう。あいつらが運んどるのは百メートル級の石像じゃから」

 「ひゃくめーとる!?」

 「本当に百メートルの石像抱えとるわけじゃないぞ。たとえじゃ、たとえ。それくらいの重さじゃ――まあ、」

 おじいさんはぴたりと足を止め、拝殿廊下から見える階段の方に目をやって、言った。

 「普通の魂では、“あれ”が乗っかっただけでつぶれてしまう――さすがじゃな」

 ルナは、おじいさんの声色が真剣に褒めている口調だったので、思わずいっしょに階段のほうを見た。

 

 (――アズ、グレン。がんばって!)

 

 

 アズラエルとグレンは、二十段目でついに膝をついた。太腿と膝が壊れそうだ。全身の筋肉疲労と骨の軋みに、ついに耐え切れなくなったのだ。アズラエルが膝をついた直後、「ぐあっ!」と叫んでグレンが倒れ伏した。アズラエルは手を伸ばすこともできなかった。腕が震えて、いうことを聞かないのだ。

 (いったい、何だってンだ……?)

 さすがに、様子がおかしいことに、アズラエルも気づき始めた。

 前回とは違う。

 四捨五入して三十年の人生で、ここまで体を酷使したことはない。一番過酷な任務のときでも、ここまで身体がやられたりはしなかった。もはや声も出ない。膝をついたまま起き上がれない。それどころか、みしりみしりと背骨が悲鳴をあげている。このまま、大きななにかに押しつぶされそうだ。

 さすがのアズラエルも挫けかけたとき、グレンが、声も出さずにぐぐっと自分の身体を起こした。

 「おい、傭兵野郎」

 滝のような汗を流しながら、グレンは口の端を歪めた。

 「ダウンか? 情けねえな」

 アズラエルもグレンも、人生上もっとも起きてはならないことは、隣の男に負けることである。

 「俺はまだ、てめえみてえに這いつくばっちゃいねえ」

 「何をおおおゥ!?」

 どこにそんな余力があったのかと思わせるほどの力で、グレンは腕を使って這ったまま、階段をよじ登った。

 「うがああああ!!!」

 アズラエルも絶叫しながら、まるで四足動物のように、腕を前に出した。足が動かないなら腕も使う。

 二頭は絶叫しながら上りはじめたが、その姿はトラとライオンというより、ワニが這っているようだった。

 

 

 ルナは拝殿の奥の、宮司の休憩所に通され、そこで小さなちゃぶ台を囲んだ。おじいさんはお茶と花の形をしたくずもちを出してくれ、自分もそれを摘まみながら、ルナのZOOカードボックスを、ためつすがめつ、眺めた。

 

 「これはちゃんと、おまえさんのじゃな。おまえさんの気がすみずみまで行きわたっておるし、錠も月の印――月の女神の印章じゃ。おまえさんは、ちゃんとZOOの支配者じゃ。真砂名の神の認証を得ておる」

 「でもあの――どうつかったらいいか、分からなくて」

 ルナは、なかの藤色のカードボックスを取ろうとしたら、手が弾かれたことを話した。

 おじいさんは無言で箱の蓋をあけ、カードボックスを手に取った。おじいさんは触れるようだ。おじいさんが、その小箱をルナの手に乗せようとすると、またキランと玉虫色の光を弾いて、ルナの手を拒絶した。