ベッタラが言ったとおり、セシルもネイシャも軽症だった。

心配されていた高熱も、あれはなんだったのかというくらい、あっさり下がった。

彼らはたった二日の入院後、すぐに病院を追い出された。呪いのせいではない。入院する必要がないほど健康体だったからである。

 

「目が覚めたときは――ここが天国かなって思った」

セシルが、涼しい風に、サングラスの奥の目を細めながらルナに語った。

K33区は真夏だというのに、すごしやすい暑さだった。日は照り付けるが、水辺から吹いてくる風が、うっとりするほど涼しい。

「あの世に行って最初に見るのが病院の天井だなんて、生々しいなァ、なんてね」

 

このあいだ、ここで儀式が行われていたとは思えないほどのどかな広場だ。

今は昼間だから、井桁に火は入っていない。

 

「一回死んで、生まれ変わったみたいな気がした。――あたし、気が付かなくてさあ。カレンさんたちがお見舞いにきてくれるまで、男のお医者さんとふつうに話してたっていうのが。カレンさんに教えてもらうまで気付かなかったなんて――」

笑っちゃうねえ、といって、セシルは涙ぐんだ。

彼女の、薄水色の瞳の先には、ベッタラに肩車されているネイシャがいる。

ルナは、遠くを見つめているセシルに聞いた。

「セシルさん、目は大丈夫?」

「……ん。視力がどんどん落ちていくのはわかるけど、気持ちは元気だよ。もともと、あたしは生まれたときから目は弱かった。いずれ失明するかもっていうのは、呪いを受けるまえから、知っていたことなんだ」

目だけで済んでよかった――ネイシャの未来を救ってくれたばかりか、自分の命も助けてもらったことを、深く感謝している――とセシルはくりかえし、皆に言った。

セシルは、病院に見舞いに来たルナとベッタラに、すべてを語った。

それは懺悔のようでもあり、過去を話すことで、呪いすべてを清算しているようでもあった。

セシルは今まで、呪いを受けた経緯をけっして誰にも話せなかったのだから。

 

 

セシルが生まれたのは、L19の海辺の町。

 「レッド・アンバー」は、セシルの祖父がつくった傭兵グループであり、両親もレッド・アンバーのメンバーだった。

両親はセシルが生まれた二年目に任務で亡くなり、セシルは祖父に育てられた。

 

忘れもしない、十四歳の春。

セシルは、運命の相手と出会った。

 

L82でケトゥインの大国とL18の戦争があり、それが幾年にも及ぶ長期任務だったために、祖父はセシルもつれて、その大きな任務に参加した。

ケトウィンの大国は、好戦派と、地球人と和議を結びたい休戦派とに、まっぷたつに分裂していた。好戦派の代表格が、ケトゥインの第一王子だった。クラウドが、最初、ネイシャの父親だと勘違いした男だ。

セシルが出会ったのは、ケトゥインの呪術師一家に生まれた、セシルと同い年の少年だった。彼は休戦派一党に属する両親を持っていた。

 年若すぎるセシルは、傭兵としての任務にはまだ参加していなかったし、少年も戦いには参加していなかった。地球人と和議をむすびたい一家の少年と、傭兵ではない地球人の少女が、こっそりと逢瀬を重ねる分には、かなり目こぼしをされていた。大人たちは見ないふりをしていたと言っていい。

 戦争は、最初の予定より長く続いた。

 戦争が終われば、おまえたちはきっと一緒になれるから、待ちなさい。

 セシルとケトゥインの若者を、周りの大人たちは諭した。セシルに呪をかけることになったケトゥインの少年の父も、二人の仲を、けっして反対してはいなかった。

 地球人とはいつか分かり合える日が来る。彼はそう思っていたし、セシルの祖父も、原住民を差別するような意識の持ち主ではなかった。

 けれど、若者に三年は長い。

 

 この戦争は、地球側の圧倒的な軍事力のまえに、一刀も交えずケトゥイン側と休戦協定をむすべると、大多数の者が勘違いしていた。地球側は、それを見越して金をばらまき、レッド・アンバーのような、認定でもない場末の傭兵グループさえ取り込んで、ケトゥインのほぼ二十倍の軍勢をもって囲んだのである。

 しかし、好戦派はだれしもの予想を裏切って暴挙に及んだ。

 第一王子とは、すなわち王位の第一継承者であった。その権力をつかって反対派をねじ伏せ、彼は地球の軍へ打って出たのである。

結果はむろん敗北。

命からがら逃げかえった第一王子は、敗戦の原因を、休戦派が動かなかったせいだとした。

休戦派にたいする恐ろしい殺りくが始まった。

セシルとケトゥインの若者が駆け落ちしたのは、おそろしい粛清が起こる、すこしまえだった。

 

若い二人に三年は長く、いつ終わるかとも知れない戦争に焦ったのは、セシルのほうだった。

セシルは深く後悔している。

あと少し待てば――戦争は終わっていたのだ。

そして、だれもなくすことなく、セシルと彼はいっしょになれた。

若さゆえの焦りが、最悪の事態を引き起こしたのだ。

ふたりはつかまった。

 地球の軍隊としてやってきた傭兵の孫娘と、休戦派の一家の子の恋など、好戦派から見れば、かっこうの見せしめの道具だった。

ケトゥインの呪術師だった少年の父は、家族を人質に取られ、セシルと腹の子に呪いをかけた。

――生涯、男にさげすまれる姦婦となる呪いを。

捕らえられたセシルを助けに来た祖父も、レッド・アンバーのメンバーも殺され、少年も、その家族も殺され、セシルだけが解放された。

身も心もズタボロになり、ひとり放り投げられたセシルに生きる意志を与えたのは、腹に宿った子どもだった。

セシルは地球軍に保護され、ネイシャを生んだ。

地球の軍がケトゥインの国に攻め込むまえに、その暴虐をうとまれた第一王子は、王に追放された。

王は、これ以上の殺りくが起こる前に休戦協定をむすび、地球の軍を国に入れた。

戦争は、終わった。

 

 

「それからは、悪夢のような日々だったよ」

 

セシルは「レッド・アンバー」に与えられた報酬を手にL19に帰ったが、セシルを待ち受けていた運命は、過酷なものだった。

“生涯、男にさげすまれる姦婦となる呪い”。

それがどんなものか、セシルは体験するまでわからなかった。

何もしていないのにネイシャも自分も、殴られた。たまたま横を通った男性に、「どろぼうだ」と通報された。意味も分からず、袋叩きに遭ったこともあった。

このあいだ、宇宙船であったようなできごとが、何度もあった。無事な方が稀だった。

何度、ネイシャとともに自分も死のうとしたかわからない。

そんなセシルの命をつないできたのは、育ての親である祖父の死と、家族同然だったレッド・アンバーのメンバーたちの死だった。

自分とネイシャを守って死んでいった彼らのためにも、生き抜かねばならない。

ネイシャを連れて、あちこち転々とした。定住はできなかった。傭兵グループにも居つけず、ずっと仕事がないときもあった。傭兵以外の仕事をして食いつなぎ、なんとかネイシャを学校に入れた。

ネイシャには、認定の資格を取らせてやりたかったのだ。

ネイシャを学校に入れた矢先に、地球行き宇宙船のチケットが当たった。

セシルは迷ったが、ネイシャの「乗りたい」という言葉ひとつで、セシルの腹は決まった。

 

「――呪いが解ける日が来るなんて――思わなかった」

 

ルナはかける言葉もなく、だまってセシルの独白を聞いた。ベッタラも同じだった。

あれから一週間たったが、セシルもネイシャも、男性に殴られることも、無意味に冷たくされることも、ストーカーにあうこともなくなった。ネイシャに冷たかった学校の先生も、ネイシャに声をかけてくれるようになった。

アズラエルたちも、夜の神の守りなしで二人に接しても、大丈夫になった。

親子は、大手を振ってどこにでもでかけられるようになった。

呪いはすっかり、解けたのだ。

 

ベッタラの肩から降りたネイシャが、母親の傍へ駆け寄ってくる。

「母ちゃん!」

「なに? サイダーでも飲む?」

「ベッタラをあたしの父ちゃんにして!」