ミラは大きく息をついた。

 いくさの報告書で、これほど安堵を覚えたのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。たとえ勝利の報告であれど、自軍、敵軍とも死者は絶えなかった。

 恨みばかりが双方に積もっていく。和解にはほど遠い――。

 この奇跡は、すべてが重なって起きた結果だった。

 サスペンサー大佐でよかった。もし、好戦的な者を指揮官に据えたら、フライヤの作戦が実施されたところで和平ではなく、両集落を攻め滅ぼしていた可能性もあった。

 L8系で顔がきく将校たちがいなかったら、L83のケトゥイン族を連れてくることは難しかっただろう。サンディ中佐は、L83の集落長老とは長い付き合いがある。サンディの頼みだから、彼らも腰を上げたのだ。

 (あの、おとなしい子が)

 フライヤもよく、将校ばかりがあつまった軍議の席で、自分の意見を口にした。

 秘書室に来たころは、おどおどして、人の顔色ばかり伺っていた子だった。

 そんな子が、奇策ばかりを引っ提げて、軍議で意見を言うのは、勇気がいっただろう。

 

 不思議と、いつも覚える頭痛が、今日はなかった。ミラは、今日くらい乾杯してもいいのではないかと思い、秘書を呼んでウィスキーを一杯、所望した。

 やがて、ミラの寝室にウィスキーとナッツ、フルーツの盛られた皿がやってきた。

 ミラは氷の塊が浮かぶウィスキーを舐めると、

 「……ありがとう、皆――フライヤ」

 と、昼間は言えなかった言葉を口にした。

 

 しばし、安らぎが訪れた。ミラはソファに身を沈めてゆったりと、心地よい静寂を味わった。このまま眠りに着けたらいい夢が見られそうな。しかし、ミラの睡魔は、ふと思いついた出来事によって消え去った。

 ミラはソファから立ち、寝室を出て大きな机のある執務室に向かった。

 深夜でも、ちいさな明かりはともされている。ミラは電気をつけ、鍵付きの机の引き出しを開けた。絹のハンカチでつつまれたカードを取り出す。

 ミラは目を疑った。

 一番気にかけていたペガサスのカードが、輝いている気がする。ミラは部屋の明かりを消した。間違いはない。発光している。そういう塗料でも塗ってあるのだろうか。

 最初にもらったとき、このカードのペガサスは大きな布をかぶっていた。カードの下に書いてある、「布被りのペガサス」という名称のおかげで、「ああ、この動物はペガサスなのか」とわかるくらい、姿が見えない大きな布をかぶっていた。

 前回見たときは、その布がなくなって、頭の上にちょこんとハンカチがかぶさっている姿に変わっていた――それが。

 今は、なにもかぶってはいない。キラキラと白銀色の光を振りまいて、羽ばたいているペガサスの姿。

 ミラは呆気にとられ、それから、カードの名前も変わっていることに気付いた。

 

 「幸運のペガサス」

 

 カードの隅には、そう書かれていた。

 

 (ああ)

 ミラは、願うようにカードを額に当てた。サルディオネの言葉がよみがえる。

 

 「カレン様は、生まれ変わって戻って来られる。――どうかそれまで、ミラ様はお待ちください。フクロウとペガサスを見出し、カレン様のためにお育てになって」

 

 カレンは本当に戻ってくるのだろうか。最近は、セルゲイの連絡も途絶えがちだった。でも、幸せにやっているならそれでいい。もどってこなくてもいい。

 できるなら、カレンにL20のことはあまり思い出させないでやってほしいと願ったのはミラだ。こちらからは滅多に連絡をせず、カレンの病状が悪化したとき以外は連絡を寄越すなと、セルゲイにも頼んでおいた。それでも律儀なセルゲイは、宇宙船に乗ったばかりのころは、短いメールを頻繁に寄越した。ミラが、「そこまでマメに知らせなくていい」と二度ほど告げたころから、セルゲイのメールも、来なくなった気がする。

 セルゲイの連絡がないということは、大事はないのだろう。

 もしかしたら、宇宙船で奇跡が起きたろうか。カレンは地球に行けるだろうか。

 できたら、地球にたどり着いて、そこで幸せに暮らしてほしい。

 

 “フクロウ”のそばに、“ペガサス”はたしかにいた。彼女らは、たとえカレンが戻ってこなくても、L20のために立ってくれるはずだ。

 まだアミザがいる、私もまだ動ける。

 

 (どうか、地球よ)

 

 カレンに安らぎを。

 私を今夜満たした、しずかな安らぎがあの子にも訪れていますように。

 

 ミラはカードに口づけて、幸福の涙をこぼした。