百三十話 これからもよろしくね、ピエト




 

 からっと晴天、照りつける日差しに止めどもなく汗が流れる日のことだった。

 ルナとアズラエルは中央区にいた。

 シャイン・システムで、数秒後にK27区から中央区のロイヤル・ホテル内に現れたふたりは、時間通りに一階ロビーに姿を現した。

そこには、タケルとメリッサが待っていた。

 タケルとメリッサはいつもスーツ姿だが、今日はルナも少し大人びたワンピース、アズラエルもスーツ姿だ。多少かしこまった格好の会合。

ピエトは、学校帰りに合流することになっている。

 タケルとメリッサは、ルナたちをこのホテルへ呼びつけたことを詫び、本来ならこちらから伺うべきだったと定型の挨拶をした。アズラエルが肩をすくめて、「いいんだよ」といったあと、四人はロビー内のレストランに移動した。

 コーヒーだの紅茶だのの飲み物を頼んだあと、タケルはおもむろに切り出した。

 

 「今日おいでいただいたのは、このあいだの件です」

 「悪いな。ルナにはまだ話してねえんだ」

 タケルは気を悪くしなかった。ちいさくうなずき、「よかったです。私が、じかにルナさんにお話ししたいと思っていたので……」と穏やかな笑みを浮かべた。

 アズラエルの言葉通り、ルナは本日の用件をまったく聞いていなかった。

 「タケルと大事な話がある」とアズラエルに言われて、ついてきたまでである。ちょっといいワンピースを着て、パンプスを履いたあたりで、今日はなにか特別な話があるのだと予想はついていたが――それがおそらく、ピエトに関しての話だろうことも。

 ピエトは無事アバド病も完治したし、学校でも特に問題は起きていない。ルナは思考回路をネガティブ方向へ持っていく必要はいっさいないはずなのだが、なんにせよ、いつものことながら、なにも聞かされていないというのは余計な心配をしてしまうものだ。

 

 「単刀直入に申しますと、」

 タケルはルナに向かって言った。

 「アズラエルさんと、ピエトさんの養子縁組が決まったんです」

 

 ルナは飛び跳ねるところだった。うさぎだったら、跳ねていたところだ。

 「えっ!? え? ええ!?」

 「順を追って、お話しますね」

 タケルは、ルナを落ち着かせるようにゆっくり告げた。

 

 いつのまに。

 ルナは、それすらも言えずに口をぽっかりとO型に開けた。

 

 「先日のバーベキュー・パーティーの折り、アズラエルさんから申し出があったんです。ピエトを正式に、自分の養子にしたいと」

 ルナは、あきれた目でアズラエルを眺めたが、このいつでも肝心なことを言い忘れる男は、ルナに告げなかったことを反省すらしていないようだった。

 「先に言ったのは、俺だ」

 アズラエルは睨むルナの目をスルーし、付け足した。

 「でも、ちょうどいいタイミングだった」

 「え?」

 「はい、そうなんです。――実は、わたしどもも、ピエトとの養子縁組を、おふたりにお願いできないかと考えていたところだったんです」

 「へ――ええっ!?」

 ルナは高級ホテルにもかかわらず大声をあげたが、だれも注意しなかった。さいわい、平日の昼日中のレストランはすいていて、だれもルナの無作法をとがめる者はいない。

 

 「先日、カレンさんが降船手続きをされました」

 「――!!」

 ルナは、予想していたことが当たって、うつむいた。

 (やっぱり、カレン、降りちゃうんだ……)

 

 「実際に宇宙船を出られるのはまだ先ですが、その際には、わたしもカレンさんをL20まで無事にお送りするため、宇宙船を離れなければなりません」

 ルナは、タケルの言いたいことがやっと分かった。

 「カレンさんをお送りして、宇宙船にもどるまで七ヶ月ほど要するでしょう。宇宙船を離れる期間が長いので、自動的にピエトの担当役員も変更されます。――そのまえに、と思いまして」

 

 タケルは最初のころ、ルナがピエトと暮らしたいといったとき、それはできないといった。

 ルナもあとあとよく考えて、タケルのいうことももっともだと思ったし、自分も無責任なことを口にしたなあと、落ち込んでもいたのだった。

 この宇宙船のなかだから、生活費にも困らず、ピエトと暮らしていけるのだ。ピエト自身も宇宙船からもらえる定期的な収入があってこその、不自由ない生活だ。

 学校を卒業したばかりで、ちいさな本屋のアルバイトを数ヶ月経験した程度の、生活能力もうたがわしいルナが、子どもを引き取る――反対されても無理のないことだと思った。

 でも、タケルは認めてくれたのだろうか。すくなくとも、ルナとアズラエルがピエトと生活してきた日々を。

 ピエトのアバド病が完治したということも、ひとつのキッカケかもしれなかった。

 

 「実は、わたしはピエトの担当役員に決まったとき、一度は辞退したんです」

 「――え?」

 ルナのうさ耳が、ぴょこんと立った。

 

 タケルは、隣のメリッサと苦笑しあい、

 「今回のツアーは、メリッサはサルーディーバ様の担当、わたしはカレンさんの担当です。――カレンさんは、L20の首相のご息女です。本来なら、特別派遣役員がついてもおかしくない立場の方なんです。カレンさんの場合、特別派遣役員が付くところを、宇宙船内で特別扱いせず普通の生活をさせてやりたいというミラ首相の意思で、わたしがつくことになりました。

 メリッサのほうも――これは内情に関わってらっしゃるお二人だから話せることですが――メルヴァの革命に関わっているかもしれないサルーディーバ様の担当ということで、いつ、なにが起こってもおかしくない状況です。

ですから、ピエトの話が来たときは、とてもではないがもうひとり担当を持つことはできないと、辞退したんです」

ピエトは、どちらかというと地球人に反目している原住民の子どもであり、アバド病という病を抱えていた――タケルが辞退した意味も、ルナたちにはじゅうぶんすぎるほど分かった。

「わたしも、K19区の担当役員の試験に合格したばかり、ということもありました。ふつう、担当役員が一回のツアーで担当する船客は二人一組が原則です。問題のすくないL5系からL7系あたりの方々に関しては、家族や友人同士で乗船する場合は、四人一組をひとりで担当する――というケースもありますが。

ルナさんたちは、四人で乗られて、最初はカザマさんがおひとりで担当されていたでしょう? それから、アズラエルさんたちも、アズラエルさん、クラウドさん、バーガスさん、レオナさんの四人で、バグムントさんひとり」

「ああ」

アズラエルはうなずいた。

 「でも結局、おまえは、ピエトの担当役員になったんだろう」

 「ええ――最初は辞退しましたが、上層部のほうから説得されまして。最初は大変かもしれないが、一年くらいで、ピエトからは手が離れるだろう、だから、最初の一年はきついだろうが、頑張ってもらいたいと――」

 

 「それって、」

 ルナは言いかけて、口をつぐんだ。タケルは、苦笑のままうなずいた。

 「ええ。ルナさんが想像されたとおりです」

 タケルの口元から笑みが消えた。言いよどむように口を一度閉じたが、つづけた。

 「……K19区の子どもがなぜか早世してしまうという話を、最初のころお話ししましたね」

 ルナはかつてのタケルの話を思い出してどきりとした。

「今だからこそ口にできることですが、……もしかしたら、という思いを抱いてはいました。

現に、L85にピエトを迎えにいったとき、ピピ君はもう手遅れだったんです。随行した医者は、ピピ君は明日明後日には死んでしまう。ひとりでも多く命を助けたいなら、ピピ君ではなく、助かる可能性のあるほかの患者をピエトといっしょにのせたほうがいい、ともいいました。

ピエトを宇宙船に乗せるために、ピピ君も乗せたのです。今乗れば、ピピ君は助かると嘘をついて――だから、ピエトがわたしたちを嘘つき呼ばわりしたのは、間違ってはいません」

タケルはさみしそうに言った。

「ピエトも、宇宙船に乗った時点でアバド病であることが判明しましたし、進行もはやかった。……わたしたちは、希望を持ちながらも、どこか諦めていたことは事実です。

……あの日、ピエトが、あなたたちと出会うまでは」