「いってらっしゃい!」 そのころ、ルナは玄関から盛大に皆を送り出していた――ピエトとネイシャ、セシルとベッタラ、ミシェルとジュリを――である。 この面子でなにをしに出かけるかといえば、映画を観に行くのである。 「ゼラチンジャー・ラストミッション! 〜青ネギの逆襲〜」を。 パンフレットを見つめたアズラエルの微妙な笑顔をルナは忘れられなかったが、今日はゼラチンジャーファンがそろって映画を観に行くのだ。ルナは盛大に送り出さずにはいられなかった。 「じゃあ、今日はいろいろと、よろしくね、ルナちゃん」 「うん! セシルさんも楽しんできてね!」 「そうするよ。映画館に行くのは、はじめてなんだ」 このなかで、とくにゼラチンジャーファンではないのはセシルだけだったが、彼女は映画館に行くこと自体はじめてだったので、声は弾んでいた。セシルがはじめてということは、ネイシャもだ。ネイシャは大好きなゼラチンジャーの映画を、映画館に観に行けるということだけで、きのうは一日はしゃいでいた。 ミシェルは行き慣れているし、ジュリも、宇宙船に乗りたてのころ、エレナとさまざまな映画を観に行った。L44での娯楽は、年に数度、観に行くことが許される、お芝居やサーカス、映画ばかりだった。 ピエトは、ルナとアズラエルと、一回だけアニメ映画を観に行ったことがある。このなかで映画館に入ったことがないのは、セシル親子とベッタラだった。 「ベッタラ、映画館の中でさわがしくしちゃいけねえんだからな! 気をつけろよ」 「はい。ワタシは気を付けることを潔しとします!」 「叫ばない、でかい声出さない、静かに座って見る!」 「よろしいでしょう。ワタシの誓いを必ず添い遂げることをうなずきます!」 「……マジで分かってんのかな」 不安そうなピエトに、ベッタラは自信満々の笑顔を見せた。どちらが子どもか分かったものではない。 「エーリヒは行かないのう?」 「残念だが、わたしは仕事があるのだよ。ハニー♪」 ベタベタ、あまあま、イチャイチャ……はちみつ漬けのお花が飛んでいるエーリヒ、ジュリカップルからさりげなく目をそらしながら、アズラエルはピエトに言った。 「気をつけろよ。いろんな意味でな」 「俺、不安だよ。とくにベッタラ」 「ベッタラは不安を恐れません!」 「俺がアノール語を覚えたほうが早いよな、きっと」 「そうかもしれねえな」 ピエトは、K33区でアノール族の子どもとも仲良くなったので、それは可能なはずだった。ベッタラの共通語は、もう修正不可能だろう。 名残惜しくエーリヒと別れのキスを交わして、映画に行く集団にもどったジュリは、ピエトに手を引かれながら、エーリヒのほうを何度も振り返って去っていった。 エーリヒは無表情だったが、いつまでも手を振り続けていた。みんなを乗せたタクシーが視界から失せたあと、エーリヒはクラウドに向かって言った。 「さて、クラウド。われわれもでかけるとしようか」 「ああ」 子供向け番組にまで理屈をこねまわすクラウドは、本日、映画についてくることをミシェルに断固拒否された。ワクワクしながら映画を観ている横で、くどい解説は聞きたくないそうだ。無理もない。 クラウドは、「ぜったいになにも言わないから!」と必死で誓ったが、ミシェルの首が縦に振られることはなかった。絶望の淵にいるクラウドを、とりあえず現実に引きもどす役割を負ったのがエーリヒ。もと上司である。クラウドの性格は分かっている。 「どこいくの? あたしも行っちゃだめ?」 ルナが、エーリヒのズボンのポケット部分を引っ張っていた。 「べつにかまわないが、ベンもくるのだよ。ルナはかまわないかね」 ルーム・シェアの皆がいまだに信じられないのが――いや、信じたくないのが、ルナとエーリヒの、異常な仲の良さだった。 だが、だれも嫉妬しないのが、これまた奇異なのである。それもそうだ、ふたりに色っぽい要素はまったく見当たらない。 みなで一緒にいるときは、エーリヒは必ずジュリと一緒にいるし、ルナもアズラエルやグレン、セルゲイ、ミシェルといるほうが多い。最近では、料理の話題で気が合うのか、バーガスとも一緒にいる。エーリヒとルナがふたりきりでなにかをしているというのは、まったくないといっていい。 (なぜだ) グレンは悩んだ。ルナがあんなにべったりエーリヒに引っ付いているのに、嫉妬の気持ちが微塵も出てこない。 兄妹の仲の良さに、近いかもしれないからか? だが、それともちがう気が、皆にはした。 (――飼い主と、ペット?) それがいちばん、しっくりくる気がした。 しかし、なぜ、ペット? アズラエルは首をかしげたが、どちらがペットかというと、ルナではなくエーリヒのような気がした。 エーリヒとルナに関しては、エーリヒのほうが忠実な猟犬というか――いやいや、ZOOカードでいうならば――タカ? (どちらかというと、ペット属性は、ルナちゃんのような気がするんだが) セルゲイも考えた――考えたが、明確なこたえは見つからない。 ちびウサギは、ベンが来ると聞いたとたんに、あきらめた。 「べ、べんさんがきらいなのではなくって、なんかね、また、いやな思いさせちゃったらいやだから……」 ルナは一生懸命いいわけをした。エーリヒは、それに対しては何も言わなかったが。 「手土産を買ってこよう。それで勘弁したまえ」 「うん。おみやげは、リズンのキッシュがいい。トマトとズッキーニのやつ。モッツアレラチーズがいっぱいかかったの」 「了解した」 「……」 ただひとつ、嫉妬すべき個所があるとすれば。 ルナは、エーリヒにだけはわがままを言うのだ。というか、「要求」する。はっきりと、欲しいものを。 アズラエルやグレン、セルゲイに対して、あんなにはっきりと「おみやげ」を要求したことは、ルナはほとんどないと言っていい。 もし彼らが「リズンに行く」といったとしよう。 ルナはなにも言わないだろう。彼らが「おみやげは何がいい?」と聞いてはじめて品物を言うだろうが、おそらくそれでも、いままでの傾向からいって「なんでもいいよ」という答えが返ってくることは、明白だった。 エーリヒは、リズンに行くとはひとことも言っていない。すなわち、どこに行こうが、わざわざ帰りにリズンに寄って、「トマトとズッキーニのキッシュ。モッツアレラチーズのいっぱいかかったやつ」を買ってこなければならないのだ。 それを快諾するエーリヒもエーリヒだし――ジュリ以外の頼みごとは、滅多に聞かないというのに。 おまけに、恋人にだってあんなにはっきりとおねだりをしたことがほとんどないのに、――エーリヒにだけは、遠慮なく欲しいものを要求するルナ。 その不思議さに首をかしげているのは、アズラエルだけではない。おそらくこの屋敷に住むジュリ以外の全員だ。 「うさこちゃん、じゃあ、俺と買い物行かねえか〜」 バーガスの呑気な声がかぶさる。ルナは威勢よく、「うん!」と返事をしてぺぺぺぺぺと駆けていった。 「グレン、君はどうする? いっしょに買い物に行く?」 セルゲイがグレンに聞いたが、グレンは眠そうな顔であくびをした。 「久しぶりにガキどももいねえし、静かなんだ。俺は寝る」 「そう? じゃあ、留守番たのむね」 ルナとバーガス、アズラエルとレオナは買い物に出かけた。セルゲイは、ゼラチンジャーを観る気分でもなく、でも、久しぶりになにか映画を観たかったので、レンタル・ショップにでかけた。 グレンはセルゲイを見送り、ドアを閉めた。久しぶりに、家にひとりきりである。 まったく、バカンスのために(?)宇宙船に乗ったはずなのに、K33区での特訓と、ルシアンのバイトに護身術の講師で、寝る暇もないくらい忙しいのはどういうことなのだ。 グレンは疑問に思いながらも、伸びをしつつ自室にもどり、ベッドに倒れこんだ。 |