地球行き宇宙船では、カザマが、真砂名神社に着いたところだった。 カザマは階段ふもとのシャイン・システムから出て、変貌してしまった光景を見て絶句した。 たちすくんでいた数秒の間に、すぐうしろの扉がひらき、セルゲイとエーリヒ、バーガスが顔を出した。 気絶したミシェルを抱えてもどったグレンに、事情を聞いて、かけつけたのだ。 アズラエルはすでに、ZOOカードボックスを持って、坂道を上がっている。 「なんだ、こりゃあ!?」 バーガスが絶叫し――とたんに目がくらむような閃光。おもわずカザマをかばったが、いかづちは、こちらまではこない。 だが、階段の下の方で、大怪我をして倒れているのがロビンだと分かった途端、バーガスは飛び出して行った。 「おい! うぉい!! ロビン、しっかりしろ!!」 バーガスも見えない壁に弾かれて、いきおいよく尻もちをついた。 「ロビ――」 ロビンからの答えがない。 すさまじい火勢が、階段を、ロビンを襲う。 「ロビン――!」 バーガスの絶叫が、むなしく響いた。 「――いったい、なにが起こっているのかね」 エーリヒも階段を見上げて、それだけつぶやいた。こんな特異な現象は、エーリヒの人生上で、初めて出会った状況だった。L03に出張したときでさえ、L4系の大規模なエラドラシスの呪術に手を焼いたときでさえ、こんな事態に出くわしたことはない。 セルゲイも、炎が階段を焼き尽くすさまに固まっていたが、彼は階段上部にある夜の神の姿を見て、駆けあがっていった。エーリヒもセルゲイの後を追ったが、バーガスは、尻もちをついたまま、微動だにしなかった。 状況がまったく、理解できなかったのだ。 黒焦げの煤が吹き払われ、ロビンの姿が現れるのを彼は見た。 ロビンが、震える手で、上の段に手を伸ばす。 バーガスに、気づいていないようだった。 「待て――待てよ、いま助けてやるからな!」 我に返ったバーガスは、ロビンを助けなければならないと立ち上がった。まずは、この得体のしれない壁をぶち壊さなければ。 「うぬお!!!」と唸りながら、彼は近くにあったベンチを持ち上げた。顔を真っ赤にして、地面に埋め込まれている大きなベンチを引き抜く。そのまま階段に放り投げた。だがベンチは見えない壁にぶつかって、割れた。 「バーガス!」 屋敷からもどってきたグレンが、今度は別のベンチを放り投げようとしているバーガスを、うしろからはがいじめにした。階下で見守っていた商店街の面々も、バーガスに飛びついた。 「やめろ! 落ち着かねえか!」 「この壁は、そんなんじゃダメだって!」 「ウチのベンチ壊さないで!」 「うおおおおお! 離せ!!」 バーガスは吠えたが、五人がかりで押さえつけられて、ベンチを取り上げられた。 「ルナさん!!」 カザマは、拝殿まえまで来てルナの姿を見――絶句した。 「これは――イシュメル様――?」 ルナの姿は、カーダマーヴァ村にまつられている、イシュメルの石像の姿とおなじだった。 カーダマーヴァ村のイシュメルは、地下の石室に座っている。四方から、鎖でがんじがらめに縛られ、目もふさがれて――。 「これは――いったい」 「おお、ミヒャエル、来おったか!」 拝殿のほうから、イシュマールが走ってきた。ルナのそばには、ミヒャエルの知らない男性がいた。彼もルナに話しかけたが、応答がないので、様子を伺っているようだ。セルゲイも上がってきたはずなのに、いない。 カザマも、ルナに駆け寄った。 「ルナさん、ルナさん! いったいどうしたのです? 苦しくはありませんか……」 ルナの頬を両手で挟むと、ひどくつめたい。まるで石像のように――。 カザマはぎくりとしたが、呼吸はある。ルナは眠っているだけだった。 「脈もある。息もある――眠っているだけのように見えるが、ずいぶん体温がひくい」 エーリヒの言葉に、カザマは自身のスーツの上着をルナの肩にかけ、ルナの冷えた手をこすった。 アズラエルも拝殿から降りてきた。 「ルナは、べつに苦しくはねえそうだ。さっきから、眠ったまま起きない」 アズラエルのほうが苦しげな顔をしていた。 この階段にロビンを招いたのは、アズラエルだ。まさか、こんな事態になると思わず、悔やむどころの話ではなかった。おまけにルナまで、このありさまだ。 「ナキジンさんから、電話でくわしくお聞きしました」 カザマは、階段のほうを見つめ、 「――ロビンさんの、“地獄の審判”がはじまったと」 「それに、砂時計に腕が入らなくなったことも。――ルナさんの、この状態も」 「わしもお手上げじゃ」 イシュマールは、肩をすくめた。 「ここに二百六十年おるナキジンが、こんな事態ははじめてじゃと言うとる」 あとは、アントニオとペリドットが来るのを待つしかあるまい、とイシュマールは言った。 ミヒャエルはルナの髪を撫で、それから周囲の様子をもういちど見回し――確信したように告げた。 「イシュマール様、このルナさんの姿は、おそらく、イシュメル様に呼応しているものと存じます」 「なんじゃと!?」 「カーダマーヴァ村にまつられているイシュメル様の石像が、ちょうどこんな状態なのです。四方から伸びた鎖で縛られ、目をふさがれている」 「ほんとうか」 アズラエルが目を見張った。 ルナの前世のひとつに、二千年前のイシュメルがあるというのは、ここでアストロスの武神がよみがえる儀式をしたときに、わかったことだ。 「なんだね、それは。封印でもされているのかね」 エーリヒが問うたが、カザマは否定した。 「封印ではありません。――イシュメル様が、ご自身でそうなさったのです」 「どういうことだ?」 アズラエルも聞いた。 「かつてイシュメル様がお亡くなりになられたおりに、カーダマーヴァ村でイシュメル様をおまつりする祠をつくりました。けれどもイシュメル様は、そちらにお入りにならず、石室をつくってくれと、村の者に頼んだのです。石像を、何度祠におまつりしても、翌日には石室にもどってしまわれる――やがて、イシュメル様は、ご自分で身体に鎖を巻き、目を閉じて、石室から出られないようにしてしまわれたそうです」 「ルナの前世とやらに、二千年前のイシュメルとやらがあったが、もしかして、その話をしているのかね?」 「――! そうです」 カザマはようやく、いつものメンバーではない男性の名を思い出した。 「あなたはエーリヒ様ですね? クラウドさんの上司でいらっしゃる――」 「たしかに。わたしがエーリヒ・F・ゲルハルトです」 エーリヒは、バラの花束の持ち合わせがないことを詫びてから、言った。 「――ならばつまり、そのイシュメルとやらの鎖を解けば、ルナの鎖も解けるということかね」 「!」 クラウドがもどってきた。彼は全速力で坂道を駆け上がってきたせいで、息を切らせながら話に加わった。 「イシュメルは――“よみがえり”の神」 カザマが、はっと気づいた顔をした。階段をふりかえる。 「ロビンを助けるのは、きっと、イシュメルなんだ」 すさまじい雷鳴がとどろく。みなは一斉に、階段のほうを向いた。カザマはあまりのことに目をそらした。アズラエルは目をそらさなかったが、爪が皮膚に食い込んで、血がにじむほど拳を握った。 「砂時計に腕が入らない――だれも、寿命をあたえることができない。ロビンの魂が拒絶している。――ロビンをこの階段に導いたものも、きっと無意識下の“後悔”なんだ」 「――後悔?」 アズラエルが苦い顔をした。 「知らなかったとはいえ、無理やりアイツをここに引きずってきたのは俺だ――アイツが、なにを、後悔してるっていうんだ?」 「“プロメテウスの涙は、どれだけ大勢の涙があれば、止むのかしらね? それとも、たったひとりの、後悔の涙なのかしら”」 「なんだね? それは」 「なんです?」 エーリヒとカザマが同時に聞いた。 「さっき、ルナちゃんの口を借りて、月の女神が言った言葉だ――今回は、この言葉がキーワードだ。今朝読んだルナちゃんの日記にも、その言葉が書かれていた」 クラウドは息を整えることもせずにつづけた。 「イシュメルは、自分で鎖を巻き付けたと言ったね――さっきの、ミヒャエルの話を聞くかぎりでは、イシュメルは、“後悔”のために、自分を責めて、罰するために石室に閉じこもったのでは?」 「なんですって」 「おそらく――ロビンの魂を救うことができるのは、おなじくらいの深い“後悔”を持った魂だけなんだ」 雷鳴が響き、いかづちの刃がロビンを切り裂く。 三段一気に這い上がったロビンは、つづけざま、いかづちに打たれ、一番下まで転がり落ちた。 「ぐあ……」 「さっき、アンジェと話して、この結論に落ち着いた」 びしゃりと、血まみれのロビンの手が、黒曜石と化した階段に打ち付けられる。 「う、あ……」 火の塊が、ロビンの背を焼いていく。 アズラエルは見つめた。深い後悔にさいなまれながら。 ロビンの口から迸る、――血と、咆哮を。 「がああああああああっ!!」 身体の痛みと、魂の痛みの咆哮。 上へあがるための、渾身の叫びだった。 「ロビンの前世は、おそらく、第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウス・A・ヴァスカビルなんだ」 |