一週間経った。

寿命塔は、23を表示している。

ルナは眠り続けたままだった。グレンとセルゲイ、アズラエル、エーリヒが交代でルナのそばについた。雨が降ることもあったので、大きめのパラソルを用意して、ルナを雨から守り、季節柄、冷える夜はそばでたき火を焚いたり、ルナに毛布をかぶせたりした。

試練は夜も昼もなくおとずれる。ロビンが階段を這いあがるのを、アズラエルたちは息をつめて見守っていた。

一日一度は、若者たちが寿命塔にあつまって、腕を入れようとするのだが、やはり腕は入らなかった。

 

ついに初雪が降った。

紅葉庵にはストーブがたかれ、エミリとミシェルは、ひとつの毛布にふたりでくるまって、階段を見つめていた。エミリとミシェルは、毛布の下で手をつないでいた。もうすっかり、泣きあきるほどに泣きあきた。ふたりではげましあい、ロビンの無事を何度祈ったかしれない。

食欲がまったく失せていたふたりは、さっき、ひさしぶりにあたたかいスープを口にしたところだった。

ミシェルとエミリは、力尽きたように、ぼうぜんと、うつろな目で階段を見つめていた。

「ロビンも心配ね。――でも、階段上の、ルナちゃんも心配、ね?」

年上のエミリが、ミシェルの手をにぎってそういうと、ミシェルはまたぽろぽろと涙をこぼした。

「あたし、なにも、できな……」

「あたしもよ。あたしも……」

 

時刻は、0時を過ぎた。ロビンの寿命がまた一日、なくなった。

男たちは階段のまえで雷と業火を、まるで敵でも見るようににらみ据えている。

エーリヒが、0時を境に、グレンと交代して紅葉庵にもどってきた。

 

「やれやれ。雪まで降ってきた」

「うえに、よけいにストーブはあるかい。持っていくか」

ハッカ堂の主人が言ったが、エーリヒは首を振った。

「上で焚いている火が意外とあたたかいのでね、ルナも寒くはなかろう、できればグレンに温かい飲み物を差し入れてほしい」

「わかった。じゃあわたしが持っていこう」

セルゲイが立った。

代わりにエーリヒが空いた席に座り、紅葉庵の看板娘が持ってきてくれたカップラーメンを啜った。冷え切った身体に、じつにありがたい食べ物だった。

紅葉庵に毎日来る商店街のひとびとも、だいぶくたびれた様子だった。無理もない。昼も夜もなく交代で、地獄のようなありさまを毎日見続けて、憔悴しない人間が、いるはずもなかった。

 

「軍人さんは、やっぱりタフだの」

ハッカ堂の主人は、ロビンのことも、アズラエルたちのことも、感嘆した目で見つめた。こんな悪夢のような現状にありながら、憔悴はあっても、動き続けている。エーリヒなどは、まったく様子が変わらない。

「だれだって、多少の泣き言は出てくるわ。でも、みんななにも言わんで、見守っとる――ロビンさんもなァ、よく、がんばって、」

いきなり彼は寝落ちした。セルゲイは苦笑し、彼に毛布をかけてやった。

 

「おじいちゃん、地獄の審判って、百年に一度あるくらいだっていったけど、」

ミシェルが小さな声でつぶやいた。ナキジンは座ったまま、居眠りをしていた。彼は、地獄の審判がはじまってから、ほとんど寝ていない。

「二十年前も、あったのよね?」

「……二十年前も、“地獄の審判”があったって?」

「ン? ……んん、」

半分寝こけていたナキジンは、クラウドの言葉に揺り起こされた。

「おお……聞きたいんか、その話」

「できれば」

ナキジンは目をこすりつつ、ポットからコーヒーを紙コップにつぎ、せんべいを齧った。

「二十年前の地獄の審判はなァ――壮絶じゃったよ」

 

壮絶ではない地獄の審判などない。

だが、それでも、見ているこちらも、もう二度と思い出したくない惨さだったと、常に明るい顔から表情をなくして、ナキジンは言った。

 

「上がったのは、九つと五つの、年端もいかん子どもじゃったから……」

 

紅葉庵で半分居眠りしていた皆の顔いろが変わった。一気に目が覚めた。

「子ども……?」

エミリの顔も白くなっていた。

 

――地獄の審判になるだろうことは、容易に予想がついた。なぜなら、突然現れた、身なりのいい婦人とその息子であろう兄弟。婦人は子どもたちに階段を上がらせようとし、弟のほうは泣きわめきながら階段を上がることを拒絶していたからだ。

兄のほうは逆らいこそしなかったものの、膝が震えていた。ものすごい形相で階段に背を向けていた。怯えていたのだ。

ナキジンたちは、これほどまで、上がることに抵抗を覚える場合は、「地獄の審判」になる可能性が高いと、婦人に言い含めてあきらめさせようとした。

さすがに、こんな年端もいかない子どもが「地獄の審判」を受けたことはないし、子どもと言えど、「地獄の審判」は魂に課せられる罰である。

おとなも子どもも区別はない。

――容赦はない。

商店街の皆は必死で止めた。だが、婦人はするどい声で言った。

「おまえたちが生き延びるには、これしか方法がない!」

その言葉を聞いて、兄のほうがすっかりあきらめて、階段を上がり始めた。泣きわめく弟の手を引いて。

「イヤだよママ! 助けて、行きたくない! こわい!」

 

ナキジンたちは寿命塔が現れた瞬間に、婦人の言った意味を悟った。

兄弟の名の下に現れた数字は「9」と「5」。

そして、「0」をカウントした。

すなわち、兄弟の寿命は、尽きていたのだ。

この兄弟は、今年中に死ぬ予定であったのだ。どこから聞きつけたかは知らないが、母親である婦人は、息子たちの寿命を延ばす方法を、生きながらえる方法を、この「地獄の審判」に見た。

一日とて猶予はなかった。

ナキジンたちはあわてて、寿命塔に腕を突っ込んだ。

 

――まさに地獄絵図であった。

 

かつてない、むごい審判がはじまった。子どもの悲鳴が響き渡るのを、ナキジンたちは幾日も聞かなければならなかったのだ。分かってはいても、耐え切れず、子を持つ女の幾人かは、地獄の審判が終わるよう、真砂名神社に懇願しにいったが、一度始まった審判は、階段を上がり切らねば終わらない。

ナキジンたちは寿命を分け与えたが、大の大人も――傭兵や、肉体も精神もきたえた大人たちが途中で力尽きることもあるこの「地獄の審判」を、子どもが耐えきれるとは思えなかった。

だが、やはり自ら階段に踏み込んだ子ども。ただものではなかった。

 

「半分くらいまでは、自力で上がったわい」

ナキジンはぽつりと言った。

 

兄のほうは、とちゅうで力尽きた弟を引きずって、十段あがった。

子どもたちもすさまじかったが、母親はもっとすさまじかった。我が子がいかづちに打たれ、炎に焼かれるのを、顔色もかえずに見続けていた。食事もとった。ただ、子どもたちが階段を上がるのを目をもそらさずに見守っていた。

やがて、弟が先に力尽き、兄が動かなくなると、母親は立った。

今度はみずから、二人の息子を抱えながら階段を上がった。いかづちを受け、業火に焼かれながら――。

 

「ご婦人が上についたころには、もう服は全部焼け焦げて、真裸になっておった。腕をなくし、足も片方なくして、それでも子らを抱えて上がって――もう、元の美しい顔も髪も、焼け焦げてなくなってしまわれて――わしらはせめて、絹の着物でくるんで埋葬した」

ナキジンは、鼻を啜った。

 

ミシェルは「まさか」と言った。

「亡くなったの?」

 

ナキジンはうなずいた。

「母親は亡くなった。――烈女じゃったよ、まさに」

呆けたように彼は言い、

「寿命塔にのう、母親の名も、寿命も、表示されることはなかったんじゃ。あの烈女は、最初っから命を捨てておった。子どもたちのために、なあ……」

「わしな、あのひとに、子どもが苦しんどるのによく平気な顔してメシを食えるなと、お茶を投げつけてしまった」

紅葉庵の看板娘が、吠えるように泣き出した。

「あのひと、いつでも階段を上がれるようにしといたんだ……体力つけて。なんでわし、お茶くらい、ちゃんとあげればよかった」

ナキジンは慰めるように老女の肩を撫で、

「息子たちはそれぞれ、80歳ずつの寿命を得た。――今、どうしておるかの。あれだけの地獄を見た子どもたちじゃ――」

 

「名前は? 名前を覚えてる?」

クラウドは聞いた。

「おお。たった二十年前のことじゃからな」

ナキジンはそういってずずっとコーヒーを飲み、

「兄がアイゼン、弟がピーターじゃったか……」

「え?」

クラウドは目を見張った。エーリヒも、細い目をこれでもかと見開いていた。

「母親の名は――ええと」

ナキジンは、覚えていると言いながら、だいぶ時間をかけて記憶をさぐった。

 

「そう、そうじゃ、――エルピスというたかの」

 

 



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