「ルナちゃん、お帰り」 「ただいま……」 ルナは大層へこんでいた。たったいま、酒代を振り込んできた。自分のしたことであっても、口座の貯金額が一気にゼロになるのは、あまり気分のいいものではない。 ルナがぺったり、リビングのソファにうつぶせていると、クラウドがやってきて、ルナの通帳を「ちょっと貸して」と取り上げた。 彼は、書斎に姿を消し、しばらくして、通帳を持って帰ってきた。ルナは、通帳を見て、一メートルほど飛び上がった。 「5億!?」 通帳の残高が、189デルから、いきなり5億189デルに増えていた――。 「あの金塊は、ララに買い取ってもらった」 「ほげ!?」 「ルナちゃんだって、金塊なんかいらないでしょ?」 「……」 ルナは何度も首を縦に振った。 「ともかくも、現金に換えておいたほうがいいと思って。ララからもらった報酬も、ペリドットが勝手につかっていたんだろ? これから先、いきなり、どれだけ必要になるかわからないしね」 ルナはぷっくらほっぺたのまま、通帳を見ながらうなずいた。 オルティスからもらったお金は、滅多なことではつかいたくないし、クラウドのいうとおり、なにがあるか分からない生活だ。 まったく、レボラックを購入するときも、地球行き宇宙船のチケットを購入するときも、ペリドットはなんの断りもなしだ。とんでもないやつだ。 「クラウド、ありがとね」 「どういたしまして。それはともかく、そろそろ、飛び込んでくる奴がいるんじゃないかな」 「え?」 クラウドの言葉とほぼ同時に――インターフォンが鳴った。 リビングにいたルナがあわてて玄関ドアを開けると、そこにはロイドと、赤ん坊を抱いたキラがいた。 「アズラエルはいる!?」 ルナがなにか言う前に、切羽詰まった顔で、ロイドは叫んだ。後ろからクラウドが、 「アズは出かけてるけど、俺でよかったら、話を聞くよ。――ミシェルのことだろ?」 ロイドもキラも顔を見合わせ、「うん……」と返事をした。 「じゃあ、アズラエルは、ミシェルを説得してくれるために、でかけたんだね」 ロイドは、安心して、ふーっと大きく息をついて、天井を見上げた。 「あたしも、リサとミシェルが、本気で別れたなんて、信じられなくて――」 キラも、自分の赤ちゃん――キラリをあやしながら、深刻な顔で言った。 キラとロイドが来たことを知って、今日は真砂名神社から早々に帰ってきていたミシェルも、大広間に来た。ルナとミシェルとクラウドの三人で、ふたりの話を聞くことにした。 「いつものケンカじゃなくて、ちゃんと話し合って別れたんだって。ミシェルはそう言ってた。でも、リサに聞こうにも、あの子ぜんぜん連絡取れないのよ」 「あたしたち、このあいだ、真砂名神社であったの」 ルナは言った。 「ええ? 元気だった?」 「ぜんぜん」 ミシェルも言い、ステーキ店でした話を、ふたりにもした。 「そうかあ……アパート帰ってないんだ。ロイドと明日、リサのアパートまで行って、様子を見て来ようって言ってたの」 「携帯つかえないの、こういうとき、ほんと不便だよね」 ロイドは困り顔でそう言い、キラも、 「リサは、なんとかなると思う。あの子は、あたしたちより友達も多いし、宇宙船を降りる気はないと思うから――それより、ミシェルよ」 「そうなんだ」 ロイドは、今にも泣きそうだった。 「ミシェルは宇宙船を降ろしちゃいけない。――僕も、じぶんのことで手いっぱいで、ずっと解決を先送りにしてきたことを反省した。このままじゃ、ミシェルは死んじゃう」 「……!」 ルナとミシェルは顔を見合わせた。 リサが言っていたことは、おおげさではなかったのだ。 「あたしもそう思う」 キラも、やはりロイドと同じく、真剣に言った。 「このあいだ、はじめてロイドからミシェルの“裁判”のことを聞いたの。ふたりで、図書館に行って、当時の新聞とか調べたりしたんだよ? やっぱり、ミシェルが間違ってるの。ミシェルは裁判で、勝ち目なんかないと思う」 「いったい、どういうことなの?」 ミシェルが、ついに言った。 ロイドとクラウドが、交互に説明した。ロイドがいまいちわかっていない専門的な部分を、クラウドが補足するという形でだ――。 ミシェルは、L54の首都にある、「監査法人テプロ」の公認会計士だった。 あるとき、大企業ファッツオーク社内部で横領事件が発生した。社の監査を引き受けていたホックリーはじめ、テプロの公認会計士が関与しているとの疑いがかけられた。そのうちのひとりに、ミシェルが入っていた。 だがミシェルともう一名は「シロ」で、最初に逮捕されたホックリーなる人物は、「クロ」だった。それはうたがいようのない事実で、ホックリー自身も、罪を認めている。 彼は、完璧に黒い金を受け取っていた。 そこまでは、新聞を読めばわかることだった。大々的な横領事件として、新聞の紙面をにぎわせた。 アズラエルが――クラウドも、周囲の人間が解せないのは、ミシェルがホックリーを無実だと信じ込んでいて、彼の無実を証明しようとして、裁判まで起こしたということだ。 ホックリーが無実だという証拠を、彼はつかんでいるという。 それも、ほんとうのところは、どうか分からない。 ロイドの予想では、おそらく、それはウソだという。 「ウソ――なの」 「うん、たぶん……」 ルナの問いに、ロイドは、自信なさげではあったが、そう言った。 「ミシェルがそういったわけじゃないから、確証はないけど」 「……」 ミシェルは、ホックリーの無実の証拠など、持ってはいない。なぜなら、ミシェルが探偵事務所の仲間に、そういわれているのを、ロイドは聞いたことがある。宇宙船に乗ってからのことだ。 ロイドは、ずっとミシェルの言うことを鵜呑みにしていた。ホックリーは無実だから、裁判では勝てると。 聞こうとして聞いたわけではないが、ミシェルと、L25の探偵事務所の仲間とのやり取りは、一緒に暮らしていたロイドの耳には、いやでも入ってきた。 ミシェルが、ホックリーを釈放したい、無罪放免にしたいと思っているのはほんとうだ。だけれども、ホックリーは間違いなく罪を犯し、自身もそれを認めている。 ホックリーに弁護士はついているが、本人が罪を認めている以上、裁判も形だけのものにすぎない。 ミシェルはつまり、それをすべて分かっていて、――裁判だと言っているのだ。 ホックリーは無実だと、言い張るのだ。 (アズも、ミシェルはムチャクチャだってゆってた……) ルナは、朝のアズラエルの言葉を思い出した。聞いているかぎりでは、たしかに、ミシェルのやっていることは、意味が分からない。 そして、いよいよ危ういのは、彼の命を狙っているのが、ファッツオーク社ではないということだった。 アズラエルも最初にミシェルの依頼を聞いたとき、おかしいと思った。 企業が、ミシェルの暗殺をたくらむ? そもそも、裁判をしたところで、ファッツオーク社はめんどうなことにはなるが、ダメージはほぼないといっていい。 もともとファッツオーク社内で起こった横領事件で、関与していたのはホックリーだけ。 疑われたミシェルが名誉棄損だといって訴えを起こすなら、わかる。 だが、ミシェルは完全に「クロ」である、ホックリーの無罪を主張して、ファッツオーク社にそれを認めろと要求して、裁判を起こしたのだ。 メチャクチャである。 裁判は確実に企業側が勝つし、金を失い、名誉を失うのはミシェル側である。それが分かっていて、わざわざミシェルの暗殺まで考えるほど、企業側はヒマではない。ミシェルが自滅するのを待てばすむわけだ。 ミシェルも、金が有り余っているわけではない。裁判費用をこの宇宙船でためるうち、こんなに月日が経っていたわけである。 |