アズラエルは、調べていくうちに、ミシェルを狙っている組織をつきとめた。

なんのことはない。マフィアだった。

ミシェルは、探偵事務所の設立のために、あまりにもよくない筋から、金を借りた。おそらく、ミシェルを追い、命を狙っているのは、その組織ではないかということだった。

 

「じゃあ、ミシェルが命を狙われてるのは、裁判とはぜんぜん関係ないじゃない」

「そうなんだ」

 

そもそもが、恩師とはいえ、ホックリーの無罪の証拠を調査するだけのために、探偵事務所を設立したというのも、常軌を逸している。

 

アズラエルは、ミシェルの異常なまでの裁判への執着を、疑問に思った。

ロイドの話やリサの話を聞くにつけ、説得は無理だということはとっくに承知していたが、一度仕事を引き受けた手まえ、アズラエルは最後まで任務はまっとうする。

問題は、裁判が終わってからだった。

ミシェルはたしかに、死ぬだろう。――カサンドラが言ったように。

カサンドラの予言をみとめる気はなかったが、現実的に見ても、ミシェルは借金が返せなければ、その身体に高額の保険をかけられて、暗殺される。

アズラエルだって、いつまでも無償で、つきっきりでミシェルの命を守る義理はない。おそらく傭兵がついたと聞けば、暗殺者はなりを潜めるだろうが、傭兵が「期限付き」のボディガードだということは、相手も知っている。

期限切れの、そのあとは――。

 

「ミシェルの借金は、いくらぐらいあるの」

ルナはおもわず聞いた。ロイドはちょっと考えて、

「五千万デルは、あるとおもう」

「五千万デル……」

ミシェルも絶句し、ソファに沈んだ。オルティスが、二十年間貯め続けてきた金額とほぼ同じ。

「……」

ルナが言おうとしたのを、クラウドは目で制した。ルナが大金を持っているということを、クラウドはここで言わせる気はなかった。

「借金がだいたい五千万デルでも、そういう筋から金を借りれば、利息がとんでもない金利で膨れ上がる。根本的な解決が必要だ。金を返せばすむってもんじゃない」

クラウドは、ルナにも説明するように、言った。

 

「おかしいことは、まだあるんだ」

ロイドがポツリ、言った。

「ホックリーさんは、話を聞く限りでは、ミシェルの経理学校時代の恩師で、ミシェルを監査法人テプロに招いてくれたひとではあるけど、そんなにプライベートでも親しくしていたってわけじゃないみたい」

ルナもミシェルも、目を丸くした。

「じゃあ――とりあえず――恩師ではあるけど、それだけなのね?」

ますます、意味が分からなくなった。ミシェルが金と命をかけてまで、無罪を証明しなければいけない理由が、まったくない。

 

ロイドは、言葉をえらびながら、つぶやいた。

「それにね、ふつう……たとえばさ、自分が無罪だって信じてる人が有罪になったら、『どうしてあのひとが有罪なんだ』、とか、『あのひとがそんなことをするわけがない』とか、言う、よね?」

慌ててつけくわえた。

「た、例えばの話だけど!」

「うん。言うと思う。――それで?」

クラウドが促した。ロイドはためらいがちに、つづけた。

 

「ミシェルはさ、酔うと必ずいうんだけど……『先生を、牢屋から出してやらなきゃいけない』っていうんだ」

 

「――!」

「おかしくない? 無罪を信じてるなら、『ホックリーさんがあんなことをするわけがない』とか、言うでしょ? ミシェルは、絶対、そうは言わないの――それに、――あ」

ロイドは、今気付いたように、不思議そうな顔をした。

「ミシェルは、ホックリーさんのことを、先生って言わない……」

「え?」

ルナとクラウドが身を乗り出した。

「そうだよ。ミシェルはホックリーさんのことは、ホックリーさんとしか言わない。学生時代は先生って呼んでいたかもしれないけど、今はホックリーさん。でも、牢屋のことを言うときだけは、かならず、“先生”だ……」

 

 

 

 アズラエルが、中央区のホテルラウンジにあるバーに到着したのは、午後八時だった。

 K33区を出たのは午後五時だったが、彼は考えをまとめるために、シャイン・システムはつかわなかった。

 バーの奥の席で、ミシェルは待っていた。

 

 「よう。悪いな」

 「いいや。だがおまえ、こんな高そうなバーで飲むのか」

 アズラエルは座りながら、さっそく注文を伺いに来たウェイターに、「テキーラ」とだけ言って、ミシェルとの会話をつづけた。

 「裁判費用もかかるだろう。俺や、代理の傭兵への報酬もな。金はあまってるわけじゃねえはずだ」

 「おまえと、ともだちになるんじゃなかったよ」

 ミシェルは嘆息した。

 「傭兵ってのは、ちょっと過干渉気味じゃねえか。仕事だけをするって約束は、どこにいった」

 
 アズラエルもそのつもりだった。ミシェルと友人になったことは後悔していないが、依頼人と親しくなったことはまずかったと思っている。

 だが、むざむざ、友人を死地におくるつもりは、アズラエルにもない。 

 「おまえが裁判を諦めりゃ、ララが、E.C.Pの監査法人に口利いてやるそうだ」

 ミシェルの肩が、小さく揺れた。

 「ララが、つまり白龍グループが、マフィアのこともなんとかしてやると言ってる。おまえにその気があるならな――公認会計士として、再スタートをきれる最後のチャンスだぞ」

「……俺はな、免職になって、もう公認会計士じゃなくなったんだ」

 「公認会計士がダメなら、このまま地球まで行って、役員になれ。おまえなら、それができるはずだ」

 アズラエルの言葉に、ミシェルの顔がくらく沈んでいく。

「おまえ自身は、横領に加担してない。巻き添えを食っただけだ」

 「……やめろ」

 「なのに、恩師のためにしちゃ、やることがメチャクチャすぎる」

 「アズラエル……」

 「ホックリーは、完全にクロだ」

 「やめろ! いいかげんにしろ!!」

 

 ミシェルは叫び、店の中の空気がかたまった。ミシェルは、周囲をにらみ付け、浅い呼吸を繰り返した。

 

 アズラエルは話すのをやめなかった。

 「――ミシェル。やめとけ、おまえは、宇宙船を降りるな」

 信じられない顔で、ミシェルはアズラエルを見た。

 「おまえが、それを言うのか?」

 「どういう意味だ」

 「だったら、おまえは降りるべきだと言いたいね」

 ミシェルは吐き捨てた。

 

 「おまえは、ルナちゃんを愛してなんかいないんだろ、ほんとうは」

 

 アズラエルの上半身から、熱が消えた。

 「なに……?」

 「おまえが、おまえじゃない。ルナちゃんのまえではな――なぜおまえは、ルナちゃんに怯えてる?」

 

 アズラエルは、ミシェルを殴らなかった自分が、不思議だと思った。たったいま、思い切り殴りつけられたのに――正論は、いつの世も、相手を言葉でなぐりつけるだけだ。

 

 「おまえはいつも、ルナちゃんに触れるのを怖がってる。愛するのに怯えてる。いつもだ」

 アズラエルの表情が、凍りいているのにミシェルはやっと気づいた。

 「なぜわかる。……おまえがそうだからか?」

 ミシェルは、冷や汗をぬぐうようにし、酒を飲み干した。

 「――そうだ」

 

 それから、重い沈黙がつづいた。その間、アズラエルはテキーラを5杯干し、ミシェルはウィスキーを8杯干したが、ふたりとも、まったく酔わなかった。

 やがて、アズラエルは言った。

 

 「――おまえのボディガードは、俺が引き受ける」

 

 ミシェルが、顔を上げた。それから、「おまえはルナちゃんのそばに」といいかけて、黙った。ミシェルは少なくとも後悔はしていた。売り言葉に買い言葉で、アズラエルに言ったことを。

 「これ以上の追及は、ふたりともなしだ」

 アズラエルは、テキーラの6杯目を飲み干した。いい酒なのに、味がまったくしない。

 「任務は最初の通りだ。おまえの裁判が終わるまでの間、俺はおまえの命を守る。報酬は300万デル。――それでいいか」

 「ああ」

 ミシェルはうなずいた。

 「前金で、ぜんぶはらう。明日、お前の口座に」

 前金にするのは、ミシェルの精いっぱいの誠意だということは、アズラエルは分かっていた。

 なにしろ、任務が終わったが最後、自分は報酬をアズラエルに払えなくなるかもしれない――ミシェル自身も、それを、わかっていたのだから。

 

 



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