これで準備は、整った。 ラグ・ヴァーダの武神の声が、シェハザールにも届いた。 洞穴の入り口に姿を現した三人を見て――仲間が呼びに来たと思ったツァオは、目を見開いた。 たしかに、仲間にはちがいなかった。――だが、むかしの。 「モハどの……、ヒュピテム、ダスカ!」 見間違いではない。彼らは、L03の王宮に残してきた、かつての仲間、モハとヒュピテム、ダスカだった。 一度は、袂をわかったはずの。 「息災か――ツァオ」 先頭に立っていたのは、モハだ。 シェハザール、ツァオとおなじ、上級貴族の出。 彼らは、厚く被ったフードを脱ぎ、洞穴へ、一礼して入った。 「お久しぶりです、モハどの。ヒュピテム、ダスカよ」 シェハザールとツァオは、モハにだけ、L03の礼にのっとった挨拶をした。シェハザールのそれが終わると、今度は、ヒュピテムとダスカが、シェハザールとツァオに向かって、正式なあいさつをした。 儀礼は、それで済んだ。 「最後の話し合いに来た」 モハは、シェハザールがしめした上座に座ることもなく、告げた。 「そうだと思っていました。」 シェハザールは、しずかに言った。 「いずれ、あなたがたは“ここに”顔を出されると思っていました」 シェハザールには見えた。見えるようになっていた――いつからかは分からない。この地へ来て、エタカ・リーナ山岳に入り、この石柱に触れたときから、見えすぎるほど見えるようになっていた。――メルヴァのように。 L20の総本部内で、モハたち王宮護衛官が勝手に姿を消したことを、激怒している軍人たちが見える。 「L20の軍に、あなたがた王宮護衛官が相談役としてついてきた話は知っています」 シェハザールは、おなじ身分ではあったが、年上のモハには敬意を払っていた。 「相談役とは名ばかりだ」 モハは、大柄な肩をすくめた。 「総司令官のフライヤ殿は、われわれの意見を受け入れようとなされるが、他の将官たちは無理だ」 「なるほど――つまり」 シェハザールは、ラグ・ヴァーダの武神に言い聞かせるように言った。 「あなたがたをこのままお帰ししても、なんの問題もないということだ」 「問題はないな。われわれが、このエタカ・リーナ山岳に、“たった15人しか”おらぬといっても、だれも信じようとはせんからな」 この目でたしかめたといったところで同じだろう。 モハは言った。 現に、モハたちは、L20の軍議で、エタカ・リーナ山岳にそんな大軍勢がいるなどとは、なにかの間違いだと言った。ひとの気配を、だれよりも察知する能力を兼ねそなえたダスカがたしかめた。 そんなに大勢はいない。いても、二十人くらいだと。 だが、信じてくれたのは、フライヤだけだった。 そのフライヤは、王宮護衛官とL20の軍のあいだを取り持ちながら、見事総司令官を務めあげているといってもよいと、モハは褒めた。 フライヤは、アストロスの地を踏んで、調査を進めるうち、L20の軍略ではおそらくどうにもならないことを悟った。だから、自分の足で、アストロス中を巡っているのだった。なにか手掛かりはないか、方法はないかと、各地を。 王宮護衛官も舌を巻くような、想像を絶する熱心さと健脚だった。 「まるで、羽の生えた馬のようですな」 シェハザールは、小さく笑った。 足で駆け、羽ばたいては、翼を休めてまた駆ける。 フライヤは、まさしく、ペガサスのようだった。 フライヤ・G・メルフェスカ。 L20で、もっともラグ・ヴァーダの武神が警戒した稀代の軍略家。 おそらく、彼女の尽力のおかげで、L20の部隊は「全滅」を免れるだろう。 シェハザールは、ラグ・ヴァーダの武神に気づかれぬ、ほんのわずかな時間の間にそれを思った。 「フライヤ殿がおらぬでは、L20の軍隊は、全滅だろう」 モハは、シェハザールの思っていることと同じことを言った。 「彼らは、おまえたちの思うつぼに、嵌まっている」 そうは言いつつも、モハの背後にいるダスカは、殺気さえ消しているが、刀の柄に手をかけていた。 王宮護衛官の中でも一位、二位を争う剣の達人、ダスカ。御前試合で彼とまともに打ち合えるのは、ツァオくらいのものだった。 (ルフは、こやつではない) シェハザールは、「ルフ」がだれなのか、確かめることにした。 「シェハ、これが最後だ――山を降りろ」 モハは、抑えた声で説得した。 「すでにおまえには、高額な懸賞金がかけられている。メルヴァ様も、八騎士の皆も。だが、ラグ・ヴァーダの武神に協力するなどという、愚かなことはやめろ。その罪業は、末代までつづくだろう」 「いまなら、あなたがたの身柄をわれわれが預かり、L03内で裁くこともできる」 ヒュピテムも身を乗り出した。ダスカも、コワモテの顔に涙を浮かべた。 「お願いです――シェハさま! お戻りください!」 せめてツァオ、おまえだけでも――そう叫んだダスカは、ツァオを可愛がっていた先輩護衛官だった。ツァオも、ダスカは王宮護衛官の中では良きライバルであり、したしき先輩だった。 「もう、遅いのです!!」 ツァオが、涙にまみれた顔をあげて絶叫した。 「われわれが従うのは、“メルヴァ”さまです!!」 「ツァオ……」 ダスカが、苦しい顔をした。 「土産だ。――受け取れ」 この場にはふさわしくないかのような、軽やかな声とともに、声と同じくらい軽い品物が、投げられた。 この場の誰もが、その声に「聞き覚えが」なかった。 シェハザールの口から出たのは、若々しい青年の声――しかし、シェハの声ではない。 ラグ・ヴァーダの武神の声、だった。 そのあまりにもちいさなものを、目で捉え、手のひらに受け止めたのは――受け止めてしまったのは、モハだった。 「う、――おぉ、」 モハは、体の外から芯に向かって、なにかが浸食してくるのに気付いた。受け取ったちいさな玉――星守りからだ。彼はそれを投げ捨てようとしたが、手から離れない。 「に、逃げ――」 彼は、ヒュピテムとダスカにそういうのが精いっぱいだった。 「逃げ、逃げろ! ヒュピテム、ダスカ!」 ヒュピテムとダスカが、モハの異変に気づいたのは、モハの身体が、エメラルド・グリーンの光に、すっかり包み込まれたあとだった。 「モハさま!」 「逃げろ! 早く逃げろ、馬鹿者!!」 エメラルドの光の中で、モハが絶叫する。ヒュピテムは、ダスカの腕を取り、猛吹雪の中へ出た――。 ヒュピテムとダスカは、豪雪の中を必死で逃げた。洞穴の中から、緑光色があふれる。 「うわっ!!」 「ダスカ!!」 ダスカは足を踏み外し、雪の崖を一気に転がり落ちた。 ヒュピテムは、ラグ・ヴァーダの女王の加護を叫び、ダスカと一緒に、がけを滑り落ちた。 さかさまに転げ落ちていく目の端で、洞穴の光を捕らえる。 洞穴からあふれる光の色が、どこか彼らの母星、ラグ・ヴァーダ星の色に似ていることを不思議に思った。 |