地球行き宇宙船にも、テオが「アルビレオの衛星」だということは隠している。それは可能だった。なぜなら、この宇宙船の役員になる条件は、「地球に到達すること」が最も大切な条件であり、役員になる人間の過去は、あまり重要視されない。 履歴が立派な人間しかなれないのであれば、元テロリストのヴィアンカや、傭兵、チンピラや、犯罪に手を染めたこともあるオルティスなどは、役員になれなかったはずだ。 履歴書提出は、任意。 テオは、大学の部分だけ、学歴を詐称した。 すくなくとも、派遣役員の仕事は、ヒマではない。テオはやりがいを感じていた。 だが――まだ、「ここではない」と感じている。 「……」 忘れていた感情だった。久方ぶりに思い出した。過去の話などしたから。 テオは自分の脳内をよぎった過去にはいっさい触れず、大学卒業後、軍事惑星群に行って、L19のサイバー部隊に所属したことだけを、ぼそぼそと話した。 「テオのこと、はじめて聞いたよ」 「――え? そうだっけ」 シシーもそうなら、テオも、いままでこれといって心を許せる友人がいなかったのは、たしかだった。彼女がいたこともあったし、学校で浮くタイプでもなかったし、仲間外れにされるタイプでもなかったが、とくに親しい友人はできなかった。この、腹の底にいつでも眠っている、劣等感のせいもあっただろうか。 学校でも部隊でも、地球行き宇宙船に乗ってからも、それなりに周囲とうまくやってきたと思う。たまに食事に行ったり、飲みに行く友人はいるが、こんなふうにふたりきりで、自分のことを話すような会話をする友人は、いなかったかもしれない。 恋人も、しかり――。 (少なくとも俺は、あの大学のことは、だれにも話せなかった) 「……シシーは、“アルビレオの衛星”って、知ってる?」 「へっ?」 シシーから返ってきた返事は、いつものマヌケ声で、テオはどことなく安心した。 「その様子じゃ、知らないんだな」 「あ――あたし、自慢じゃないけど、ホント、いろんなこと知らないからねっ!」 シシーはやけくそみたいな声で、ご飯を頬張った。テオは苦笑した。 「いいんだ。それは――知らなくて」 シシーはきっと、テオが「アルビレオの衛星」だということを打ち明けても、きっと態度は変わらないだろう。 テオは照れ隠しもあって、「水もらうよ」と三本あったペットボトルのひとつを取った。 「じゃああたし、お茶」 いつもの空気がもどってきた――テオはほっとし、シシーが手にしたお茶のペットボトルのふたを、開けてやった。 シシーは驚き、戸惑い顔で、テオを見上げた。 「テオは――なんでそんなに、優しいの」 テオは、噎せるところだった。皮肉ばかりぶつけているはずのシシーに、優しいなんて言われるとは。 「や、優しいかな」 「優しいよ、テオは」 「……」 「あたしが誘っても、断ることないし、今回は、お屋敷に誘ってくれるし――あたし、みっともないところ見せたのに、こうやってお弁当持ってきてくれるし」 テオは返事に窮した。優しいなどと言われたのは、はじめてだった。いつもの雰囲気を取りもどしたと思ったが、どうも、それより空気の密度が濃い。 「テオは、彼女いたこと、ある?」 シシーがぺったりと背中をくっつけてきたので、テオは全身が強張った。 「あるよ」 それだけ言うのが、やっとだった。恋人は、いた。学生時代に一度、地球行き宇宙船に乗ってからも一度――つきあって、別れた。 学生時代は、テオに輪をかけて生真面目な女性と付き合い、三年たってキスをするのがやっとだった。彼女も潔癖で気真面目で、自分も礼儀に反してはならないと思いすぎたために、結局息苦しくなって、別れることになった。 地球行き宇宙船に乗ってからつきあった恋人とは、結婚寸前まで行ったが、別れた。シシーみたいに、明るく、気さくな女性だった。 別れたのは、テオの親が、相手の学歴と作法を気にしたからだった。テオは、家族に対する礼儀を重んじるあまり、彼女が「別れる」というのを止めることができなかった。あのときは、彼女にとっても、それが最良に思えた。 「礼儀」にこだわる自分の家族に合わせていくのは、彼女もつらいだろうと。 「あのね、テオ」 テオは、背中から発火するかと思った。シシーの声が、こんなにも甘やかに聞こえたことなんて、なかった。女性が苦手なわけでもないし、女と二人きりになるのも初めてではないのに、いったいなんだというのだ。この緊張感は――。 「あたしもいたけどね、地球行き宇宙船に乗ってからつきあった人なんだけど、別れちゃったよ。ずっとまえに」 それがどうしたと言いかけて、テオは、あやうく踏みとどまった。フォークを持った手は、すっかり止まっていた。 「あたしは――」 「シ、シシー!」 テオは、反射的に立ち上がった。 「弁当は、置いていく。これはニックさんのコンビニで毎日出る廃棄の弁当だそうだから、しばらくは、もらいに行くといい――じゃあ!」 赤い顔を見られないように、テオは慌ただしく部屋を出て行った。シシーは呆然と、テオの背中が玄関向こうに消えていくのを見――やがて、悲しそうに、テオの食べ残した弁当に目を落とした。 そのころ、屋敷では、食事を終えて大広間に結集した皆が、ルナとZOOカードを囲んでいるところだった。 ルナの合図で、テオとシシーを表す二枚のカードが浮かび上がる。リサたちは慣れてきたのか特になにも言わなかったが、アニタだけは、「すごい! すごい!」と叫びつづけ、アンジェリカに、「アニタさん、取材はやめてね」と念押しされていた。 「メリーゴーランドの夢ね」 クラウドは不満げにつぶやいた。 「ルナちゃん、最近、報告が滞っているよ」 「ごめんね」 ルナは眉をへの字にした。 テオとシシーのカードが夢に出てきたことを、ルナはまだクラウドに話していなかった。リサたちには話したが、クラウドにはまだだった――そういえば、まだだった――クシラとアルベリッヒが運命の相手であり、アニタとニックをくっつけることにした、というあたりで報告は終わっていた。夢の話はしていなかったらしい。 ルナの日記帳をななめ読みしながら、クラウドは不機嫌を納め、 「“礼儀正しいハクニー”と、“怖がりなシマリス”、ねえ」 と何度もつぶやいた。 「ルナちゃんの夢だけで見れば、このシマリスを襲ってきた、コヨーテほか、ルナちゃん曰く、“悪そうな動物”がきっと、シシーが抱えてる問題の原因なんだろうな」 「コヨーテたちの正体は分からない? ZOOカードを呼び出せないの?」 リサの問いに、アンジェリカが、 「たぶん出てこない。悪党どもは、逃げ隠れするもんだよ」 と思わず即答してしまい、サルビアに「アンジェ」とたしなめられた。 「ご、ごめん。ルナの勉強だもんね……あたしが簡単に口出ししちゃいけない」 そういって、ソファに引っ込んで口をつぐんだ。 「まァ、待てよ」 アンジェリカ同様、ソファに座っていたメンズ・ミシェルは、両手を広げた。 「なにも、そんなたいそうに占いなんかしなくたって、金の問題なら、法律で解決できることだってある」 リサの顔が思いっきりしかめられたので、ああ、これはケンカが勃発するなとだれもが思った。 「そもそも、いったい、なにを解決しようとしてる? メシの問題なら、当座はなんとかなったわけだ。金の問題か? シシーが抱えてる問題ってのは、なんなんだ? 一番親しいテオだって、なにが問題なのか、そこも理解してない。おまけに、俺たちは助けを求められたわけじゃない。テオにも、シシーにもだ。それなのに勝手に推測して、問題をややこしくするのは、タダのお節介ってヤツじゃないのか」 「俺もあまり、いいことだとは思わねえな」 グレンも言った。 「ZOOカードがすげえのは認めるが、頼まれてもいねえのに、ひとのプライベートにズカズカ踏み込むのは、賛成できねえ」 ZOOカードは――占い全般がそうだろうが――勝手にひとの内部を覗き見てしまうような感覚がある。アズラエルも言った。 「ああ。よけいなお世話だと思うぜ」 「なんて薄情なの!?」 リサが怒鳴った。 「いっしょにパーティーしたともだちでしょ!?」 「でも――ミシェルの言うことはもっともだよ」 クラウドはルナの日記帳をていねいに閉じ、ルナの膝の上に置いた。 「情報が少なすぎる。時期尚早だな」 |