テオは、シシーのアパートへ向かった。出てこなかったらどうしようと、チャイムを押してから考えたが、シシーは顔を出した。目が真っ赤に、泣き腫れていた。

 「シシー」

 彼女がなにか言う前に、テオは、持ってきた弁当を突き出した。

 「嫌じゃなかったら、一緒に食べないか。俺と一緒が嫌なら、ひとりで食べていい。これは、コンビニの廃棄弁当だ」

 「廃棄……」

 「コンビニは、定時になると弁当やサンドイッチは廃棄するだろ? つまり、タダだ。金は要らない」

 シシーは目を見張り、おそるおそる、ビニール袋を受け取った。そして、ぎゅっと弁当を抱きしめた。抱えた拍子に、サンドイッチを落とした。テオが拾う前に、あわててしゃがみこんで、必死な形相で袋にしまいなおした。

 たしかに、シシーの様子はおかしかった。

あたりをキョロキョロ見回し、「は、入って」と鬼気迫る表情で、言った。

 

 部屋は、メチャクチャではなかった。カルパナがさっき言ったように、過食症の気配は見当たらない。大量の食べ物やゴミが、狭いキッチンや部屋を埋め尽くしているなんてことはなかったし、食器は自動洗浄機の中にあったし、床はホコリの塊がすみに存在していたが、その程度のものだった。以前訪問したときより、片付いている。

 部屋は暗い。

 

 「ごめん……掃除してなくて」

 シシーは言い、いきなり床に座って、弁当を食べ始めた。テオは、シシーが何をしても、動揺しないことに決めた。

 

 「いつから食べてないんだ?」

 テオは慎重に問うたが、その返事はシシーから返ってはこなかった。彼女は夢中で弁当を頬張っていた。テオは、ほっぺたをいっぱいに膨らませて食事するシシーを、リスだと思うことにした。ほお袋に、これでもかとナッツをつめこむ小動物。そう思えば可愛らしい。

シシーは弁当を食べながら、部屋の電気をつけ、はっと気づいたように、「ごめん、あたし勝手に食べちゃった……」と謝りながら、テオに弁当をひとつ、勧めた。

 どうやら、弁当をゴミ箱に投げ込むという事態は避けられた。テオはほっとし、シシーに習って床に座り、弁当をあけた。

 

 「テオって、こういうの、食べるんだね」

 本気で驚いているようだった。たしかにテオは、普段から、コンビニ弁当の類は口にしない。

 「好んで食いはしないが、なんでも食べるよ。戦場じゃ、贅沢は言っていられなかった」

 「それって、サイバー部隊にいたときの話?」

 「ああ。泥水につかったクラッカーを食って、寄生虫にやられたことがある」

 シシーがむぐっと、ご飯をのどに詰まらせた。

 「悪い。食事中に――」

 テオは気づいて謝ったが、シシーは笑った。やっと、明るく笑った。

 「テオが、そんな話するなんて」

コンビニ弁当を食うぐらいなら、同じ値段で、中央役所食堂やカフェで提供されるあたたかい食事を食べたいというだけで、テオはコンビニ弁当を食べられないわけではない。

部隊にいたときのことがトラウマで、クラッカーだけは食えないが、好き嫌いはない。

シシーは、胃に食べ物が入って、少し落ち着いたのか、ようやくいつものようにしゃべり始めた。

「テオって、L31の出身だっけ」

「そうだよ」

「L3系って、頭のいい人ばかりいるんだよね」

「そういうことになってる」

「テオも、すごく頭いいもんね」

「……俺なんか、そんなに頭は良くない。もっと頭のいい奴は、ごろごろいる」

 

テオは、L31で生まれ、育った。父母ともに教師で、なに不自由なく育てられた。L3系の惑星群は、「L系惑星群の頭脳が結集している星」というのもあって、大学までエスカレーター式。

そのなかでも、テオは、かなり『特別』な大学に入った。だが、なんの自慢にもならない。世界レベルで見たらテオは賢いほうだろうが、あの大学では最低レベルだったからだ。

テオは大学の名を口にしなかった。

あの時代は、テオにとっては暗黒だ。どんなに努力しても、最低ラインから上がれなかった悔しさが、マグマのように湧き出てくる。まわりは怪物ばかり。おまけに、よそから一年ほど留学してきて、大学のうわべだけに触れて行った連中が、テオよりはるかに実力が上、というのはいくらでもあった。彼らは、「アルビレオ大学」に入れなかったわけではない。選べない環境にあったか、自ら選ばなかったのだ。

大学だけではない。世界には怪物があふれるほど、いた。

だが、あそこは世界最高峰。あの大学に在籍していたというだけで、評価されるのは当然だった。入学も困難であれば、卒業も困難だ。テオは、四年制大学を、六年かかって卒業した。

あの大学にいたことが、劣等感につながるなんて、だれも想像できないに決まっている。

それでもなんとか卒業できたテオには、世界のあまたの企業から、信じられない優遇条件で、目を通しきれないほどの求人通知が来た。テオはすべてを蹴った。

なぜなら、それらの企業には、テオが追いつくことさえできなかった怪物たちが、あちこちで根を張っているからだ。

 

「アルビレオの衛星」。

L3系最高、つまり世界最高峰の教育機関である、「アルビレオ大学」の卒業生につけられる頭文字。

世界で最も尊く、英知の象徴にして、テオにとっては暗黒の称号。

 

テオは素性をかくし、L19に向かった。大学の名はいっさい出さなかった。「称号」に振り回されない場所に行きたかった。

サイバー部隊に所属した。仕事自体は楽だった。あまりに楽だった――テオは、ふつうならば安全な場所で任務に着き、戦地にいくことがほとんどないサイバー部隊の中で、ときおり入る危険な任務――傭兵しか行かないような激戦地、あるいは救出部隊に、何度も志願した。

生きている実感を得たいと思っていたのかもしれない。

宇宙船が破壊されて宇宙に投げ出され、かろうじて救出が間に合って生きながらえたことと、例の泥水まみれのクラッカーを食って、寄生虫に腹を侵略されかけたことをのぞけば、退屈な場所だった。

 

死ぬような目に遭っても、テオは「称号」をつかって、安全な場所に行きたいと思わなかった。

あの大学は、卒業生の五割が世界のトップ企業に就職したり、政界に行ったり、司法や医療、化学――さまざまな得意分野で世界に出ていく。そして三割が、L3系に残り、後世を育てる道を歩む。

残りの二割は。

辺境の地へ向かうのだ。原住民に勉学を教えたり、和平交渉をしたり、辺境の、病に苦しむ貧しい人々のために医療チームを組んで救済に当たったりする。

 

テオは、どこにも属せなかった。父も母も、祖父も祖母も、「三割」の人間だった。しかしテオは、地元に残れば「称号」の劣等感からのがれられず、「五割」に入ったとしてもそうだということが分かっていた。

結果としては、いわゆる、その他と呼ばれる「二割」の中に入ったのだろうが、それも違うと思っていた。テオには、弱者を助けようなどという慈悲心も使命感もない。持ち合わせてはいない。

劣等感があるのみだった。

行くのは、ここではないどこか、でよかった。

 

宇宙船から放り出された事件のあとは、父母が血相を変えてテオを呼びもどした。そのあと、二ヶ月ほどつとめたL5系の企業は、退屈すぎて、鬱になりかけるほどだった。

テオは分からなかった。

ここは自分の居場所ではない。サイバー部隊も違うと思っていた。

どこへ行けば、劣等感から逃れられる?

どこまでも、あの大学の怪物たちの顔がこびりつく。負け犬だった自分、負け犬から這い上がることさえできなかった自分。

商社勤務となって二ヶ月も経たないうち、地球行き宇宙船のチケットが当選し、乗った。

テオは、役員になれる航路までは乗ったが、祖父が危篤になったため、宇宙船を降りた。

そして、派遣役員になって、現在に至る。

 



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