二十三話 逃亡劇 W



 

 「着きましたよ。……お客さん、だいじょうぶですか?」

 

 ルナは、タクシー運転手の声でびくりとおおげさに身体を揺らして、目を覚ました。

 「あなた大丈夫? 気分悪いの? 病院向かいましょうか?」

 女性のタクシー運転手が、心配な様子でルナを覗き込んでいた。

それもそのはずだ。

ルナの頬は涙でびしょびしょだったし、身体はものすごく嫌な汗をかいている。瞼を開けるのも一苦労なほど、くたくただった。

 

 「すごくうなされていたのよ。途中で一回起こそうとしたんだけど、起きなかったから」

 「……あ、ごめんなさい。大丈夫です。すっごいヤな夢、みてたみたいで……」

 「そう? だいじょうぶならいいけど」

 彼女はティッシュの箱と、まだ開けていないペットボトルの水をルナに差し出してきた。ルナはありがとうございます、と言って受け取って水を飲み、顔をふいた。

 まったく、この間からタクシー運転手さんには心配されてばかりだ。

 「やっぱり、病院いったほうがいいかしら」

 ルナは慌てて首を振った。「い、いいえ。だいじょうぶです」

 

 中年の、優しげな顔だちの運転手さん。彼女はルナを安心させるように一度微笑した。

 「あなた、宇宙船に乗ってから体調崩してるんじゃない?」

 「――え?」

 体調を崩しているというほどではないが、結構な頻度で嫌な夢を見てうなされることはある、と言ったら。

 

 「ああ。よくあるのよ。この宇宙船の環境に慣れるまで、知らずに身体がくたびれていたりするのね。怖い夢見たりね、そういうひと、よく見かけますよ。宇宙船に入って一二か月は、そう言った理由で鬱になったり、体調崩して病院行く人がけっこういるの。母星で結構忙しく働いていた人なんか――ここって、なにもすることがないでしょう? 急に気が抜けてバッタリ、倒れちゃったりするのよねえ。くたびれが一気に出たーって感じで」

 そうなのか。ルナにとっては、けっこうバタバタしていた一ヶ月だった。

 「ここの温泉はいいですよ。ゆっくり湯治して、疲れを癒してくださいね。病院は神社から西のほうの、住宅街の真ん中にありますからね。近くまで行けば大きい建物だからすぐわかるわ。もし体調悪かったら行ってみて」

 「あ、ありがとうございます」

 親切な運転手に見送られ、ルナはK05区に降り立った。タクシーを見送ると、ルナは振り返って驚愕した。

 

 ――山!

 

 山程度のこと、普通ならば驚くことではない。だが。

 ここは宇宙船の中なのだ。

 タクシーの中で爆睡していたから、景色を見ていなかったのだが、ルナは思わず大路の真ん中で見とれてしまった。車が走っていないことが幸いした。

 

(ほんとに、宇宙船の中だって忘れそう)

 

 彼方に見えるのは、正真正銘の山だった。

山正面に、大きな階段が見え、鳥居が見える。そのふもとに向かって、古い木造りの家屋が立ち並んでいるのだった。こちらは、ルナたちの区画より雪が積もるのだろうか。流雪溝が道路に点々と見える。晴れてはいたが寒さは強く、雪がうっすら地面に積もっている。山も、ところどころ雪化粧されていた。

 

タクシーが行ったほうを振り向くと、そちらにも大きな鳥居が、K05地区の門構えのように佇んでいるのだった。

 K05区は、無料パンフレットのチラシを見ると、この山を北にして(山には神社がある。)山を眺めて右側には川が流れているらしい。

その付近に温泉宿は点々とある。椿の宿もそっちのほうだった。左側の方は居住区があって、病院はそこにあるらしい。ルナが今いる位置は、商店街のようだった。土産物売り場などが並んでいる。

K27あたりとは違い、大きなデパートやマンションがなくて、平屋作りの建物が並んでいるため、景色が遠くまで見渡せる。ルナはどことなくこの光景が懐かしいと思った。

 

 (やっぱまず、神社よね。神社行こう)

 どんな神様なのかな。ルナはこの宇宙船の乗ってくる前に近所の神社でもらいうけてきたお守りを、改めて眺めた。

 

(もとは地球にいた神様なのよね。ここの神様もそうなのかな)

一旦ベンチに座って地図を見、公衆トイレを見つけ、化粧を直した。化粧した顔はどうもすごいことになっていたし。

 彼方に見えた神社の階段は、それでもルナが周りを眺めながら歩くとずいぶん遠くだった。商店街を冷やかしながらあるく。

 

 (あっ。コレ、可愛い)

 漆塗りの綺麗な櫛や、口紅のはいったオシャレな貝柄の化粧品、ピン、かんざし。

綺麗な小物が、店頭に並んでいる。いい値段だったが、浴衣に合うよね、とルナはピンとかんざしを自分用に買い、ミシェルたちへのおみやげもここで買うことに決めた。キラとリサには、綺麗な漆塗りのピアス。ピアスを開けていないミシェルには、漆ボックスに入った可愛いラメ入りのマニキュア。

 (そういえば、ジュリさんの誕生日なのよね)

 ジュリには、貝殻に入ったリップを選んだ。可愛い縮緬の布に入っている。

 (あ、あれ可愛い。レイチェルたちにはどうしようかな。――あたしも欲しいな、このマニキュア)

これ以上ここにいたら、アレも可愛い、コレも可愛いと散財しそうだったので、ルナは慌てて店を出た。

 ぶらぶらとあるいていると、お腹が減ったことに気づいた。時間は十二時近い。美味しそうな匂いが漂う店はいくつかあったが、この調子ではいつ神社に辿り着けるか分からないので、ルナはまず神社に参拝することに決めた。

 

 神社は目前に見えるのに、ひろい大路は結構距離があった。

 

 やっと神社の表門に辿り着いたころには汗ばんでいた。だが山の上の拝殿までつづく階段は、恐ろしく長い。

 (――あ!)

 ルナは右手に見える川に目を奪われた。山を背景に、ひどく澄んだ水が流れている。川幅は広かったが、浅そうで、玉砂利の河原もひろく、すぐそばまで近寄れそうだった。

 ルナは河原が大好きなので、参拝した後、いってみることに決めた。

 (何かお弁当みたいの買って、河原で食べるのもいいかも)

 

 ぜえぜえと息を切らせながら、階段を上り――明日は筋肉痛か。

やっと祭壇のあるところまでくると、お賽銭をあげ、柏手を打った。ひろい玉砂利の拝殿には、ルナ以外にも、不思議な格好をした神官や、神官の恰好をした、ルナくらいの若い女性もいた。

 




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