「ねえミヒャエル」

 「はい」

 「……真砂名の神が偽物だろうが、本物だろうが、アンジェは本物だよ。そこらへんはようく言っといておやり」

 「はい」

 「あのこの努力は、みんなが見てるさ」

 「ありがとうございます、ララさま」

 カザマは深々と頭を下げた。

 

 店に入ると、セルゲイとルナが立ち上がったところだった。サルディオネの号泣は、留まるところを知らなかった。セルゲイとルナは、カザマと一緒に店を出た。ルナはサルディオネが気になったが、今はとても声をかけられる状況ではない。

サルーディーバもそっと立ち、店の外へルナたちを見送りに来た。

 大駐車場まで、しばらく歩かねばならない。カザマは、サルディオネの様子が落ち着くまでここに残るから、帰りはセルゲイの車で帰って欲しいとルナに告げた。

 

「――ルナ」

サルーディーバは、ルナを呼び止めた。

 「……アズラエルさんとは、仲良くやっておいでですか」

 「え? うん」

 普通に仲良しだよ? ルナは言った。

 「セルゲイさん。ちょっと先に行っていてください」

 穏やかな口調だが、有無を言わせぬ口調だ。セルゲイは素直に「じゃあ先行ってるね」と歩き出した。サルーディーバはカザマも店内にいて、ここにはルナと自分、二人だけであることを確かめ、声を低めて言った。

 

 「ルナ」 

 おだやかで、微笑をたたえてはいるが、反論は許さない。そういう命令じみた声音だった。ルナは一瞬怯んだ。

 

 「あなたは、グレンさんと結ばれるべきです」

 

 「――え?」

 いったい、サルーディーバは何を言い出すのか。

 「アズラエルは諦めなさい」

 「ちょ、サルーディーバ、さん……?」

 「メルヴァは勘違いしているのです。彼を今導くのはL03の”偽物の”真砂名の神。ですから――彼は間違っている」

 意味が分からない。ルナは混乱した。

 「ルナ。いいですか。アズラエルは貴女を捨てます。必ず」

 きっぱりと言い切るサルーディーバに、ルナは急に不安になった。

 アズが、あたしを、捨てる?

 「何があっても、ずっと一緒にいてくれるのはグレンさんです。あなたは必ずグレンさんと――きゃあ!?」

 

 サルーディーバが頭を押さえて蹲った。

 ルナがあわてて「だいじょうぶ!?」と駆け寄ったが、サルーディーバの後ろには、腕を組んで、恐ろしげな顔で仁王立ちしているアントニオが立っていた。アントニオは彼女の頭を叩いたのではない。そんな優しいものではなかった。サルーディーバは、頭を中から焼かれるような痛みに悲鳴を上げたのだ。ルナはこんなに恐ろしい彼を見たことがない。思わず身震いするほどだ。

 

 「――余計なことは言わないの!」

 

 それだけ言って、アントニオはサルーディーバの腕をつかんで助け起こす。その時点で、いつものアントニオに戻っていた。

 「まったく! しょうがない女の子たちだよほんとに!」

 いつもの口調ではあるが、彼はひどく怒っていた。

 「さっきの君のセリフ、君が嫌ってるL03のやり方と何ら変わりないんだよ。そんなバカなこと言うなら、ルナちゃんと会うのマジで禁止にするよ!?」

 「――すみません、ですが、私は、……イシュメルと、ルナさんの幸せを思って、」

 「人の気持ちはそんな簡単なものじゃない。愛してる男に捨てられるなんて言われたら、どれだけのショックを受けるか分からないのか。しかも、君の言葉で!」

 サルーディーバは、やっと気づいたようだった。目を伏せ、――だが、言い募った。

 「ですが、ですが、アントニオ。私はルナさんが深く傷つく前に――、」

 「まだ言うの! ルナちゃんの恋を、君の勝手な思い込みで邪魔するなら、俺にも考えがあるよ」

 「そんな――私は、ただ……、」

 サルーディーバは、涙目になっていた。アタマが痛くてではない。ルナはそう感じた。

 「ルナちゃん。びっくりしたかもしんないけど、今の聞かなかったことにね。大ウソだから」

 「う、うん……」

 「だいじょうぶ! アズラエルはルナちゃんにメロメロだからね!」

 今日は早くお帰り、とアントニオが笑顔で言う。

 ルナは、逃げるように、その場を後にした。

 

 

 ――グレンと結ばれるべき。

 ――アズラエルは必ず貴方を捨てる。

 ――アズラエルは諦めなさい。

 ――アズラエルは貴女を捨てる。

 ――グレンは何があってもあなたのそばにいる……。

 ――グレンと、結ばれる……。

 

 頭を、さっきのサルーディーバのセリフが駆け巡って、ぐるぐる回った。ルナはぺたぺた、必死で走った。サルーディーバのセリフを全部忘れてしまおうと、夢中で走った。だが、振り払おうとすればするほど、言葉は脳みそを駆け巡る。

 

 ――アズが、あたしを捨てる……!

 

無我無中で走っていたら、セルゲイの背にぶつかった。

 「うわっ」セルゲイが声を上げた。

「ルナちゃんか、びっくりした」

振り向くと、ルナのつぶらなおめめに、大粒の涙が浮かんでいる。

 「う、」

 「ど、どうしたの、ルナちゃん」

 「うあああああああんん!!」

 ルナは泣いた。ここ数日の張りつめていた気持ちが、一気に破れてしまったようだった。

 

 

 「――サルちゃん」

 サルーディーバは、アントニオの厳しい声にびくりと肩を震わせた。

 「君は混乱してる。ずっとだ。それは俺も分かってる。だからルナちゃんには会わせたくなかった。……分かるよね」

 小さくうなずくサルーディーバは、零れ落ちる涙を拭った。

 「サルちゃん、最初に言ってたように、君は俺の妻になる?」

 サルーディーバはその言葉を聞いたとたんに狼狽え、目を泳がせた。この宇宙船に乗った時に、すでにそれは断ったのに、なぜ今更?

 アントニオの心は読めない。それは、力がなくなっていなくてもそうだ。彼の心だけは読めない。それが、サルーディーバを一層不安に陥れた。