六十六話 うさぎ・コンペティション




 

 夢の中であることは分かっている。

 ルナは、ひとつの席にちまっと座っていた。

 周囲は非情に騒がしい。

 上を見上げれば、空を覆い隠し、あたりをまっくらにしてしまうほどの葉っぱの茂み――てっぺんは茂みにしか見えない、背の高い木々がルナたちを囲んでいた。

 薄暗がりの中、幅の広い大きなテーブルに置かれた燭台の蝋燭だけが、輝いて見えた。

 白いレースのテーブルクロスが敷かれた大きなテーブルには、そこここにアンティークのティー・ポットが置いてあって、無論ルナの席にも、紅茶の入ったティー・カップと、クッキーののった皿が置かれていた。

 ルナは、紅茶の水面に映った自分の姿を見て、驚いた。あわてて両手で顔を挟んでみるが、その両手もふわふわのピンクの毛皮。なんということか、自分はうさぎだ。

 ピンクのウサギ。真っ白なドレスを着た。

 自分の姿に驚いている場合ではないのだった。ルナは、さっきからひどくやかましい周囲の者たちが、皆うさぎであることに気付いた。

 ルナは大テーブルの端っこに座っていて、ルナの向かいにも隣にも、たくさんのうさぎが座っている。何十匹もいるのではないか。

 白いウサギ、赤いウサギ、白地に黄色の水玉模様、スカイ・ブルーの雲模様、ベレー帽から耳が飛び出ている茶色いウサギ、なんとまあ、カラフルなうさぎたちのあつまりなのか。

 

 「#%‘UG’(ANB)(U)KS$#GU!#!」

 「●××&%‘(’)●○!」

 

 うさぎたちは怒っていたり叫んでいたり、あるいは席を立って朗朗と語っているのだが、収拾がついていないのは、ルナにもわかった。一番奥のペパーミント・グリーンのうさぎが、白いボードにおかしな絵をかいて、必死に声を張り上げているのだが、誰も聞いていない。

 うさぎたちの言葉も、もにゃもにゃとかきゅうきゅうとか言った風にしか、ルナには聞こえない。何を言っているか、まったくわからないのだ。

 ルナがあたりを見渡していると、真向かいに座っているウサギと目があった。

 そのうさぎは、無表情でルナをじっと見つめた。真っ赤な目をしてい、カーキ色の軍服を着た白いウサギだ。

 ルナの右隣に座っているのは、真っ黒なウサギ。ルナは、いつか遊園地でこのうさぎを見たことがある気がした。真っ黒なウサギはルナと目があうと微笑んで、「紅茶が冷めるわ」と言った。ルナに飲むよう促す。

 この大騒ぎの中で静かなのは、ルナの隣のこの黒ウサギと、真向かいの白ウサギ、そしてルナの左隣の上座にいる、大きな黒いウサギと、グレーのしましまのウサギだけだった。

 ルナはキラキラした角砂糖を一つ放り込み、かき混ぜてミルクを流した。紅茶はまだ熱かった。それを一口飲むと、それが合図のように、上座にいたグレーのしましまのウサギが、手を挙げて立った。

 

 「諸君! ひとまず落ち着こうではないか」

 

 彼の一声で、座は静まった。うさぎたちはおのおの席に着き、上座の言葉を待った。

グレーのしましまウサギは、恐らく老人であろうとルナは思った。ヒゲがしおれてい、腰が曲がっていて眼鏡をかけている。おじいさんうさぎだ。

 

 「諸君。今日のこの場は論争の場ではないはずだ」

 グレーのおじいさんうさぎは、咳ばらいをした。

 「今日のあつまりは、うさぎ・コンペ――われらは今日、「最良の選択」を探しに集会を開いたのではなかったか? たしかに意見を出し合い、もっともよきアイデアを競うことは喜ばしいことである。皆々の提案はどれも素晴らしい! だがすこし、収拾がつかなくなったようだ――。われわれウサギが如何に誇り高く、有能な「カード」であるか、お集まりの諸君もじゅうぶんにご承知と思う。だが、――」

 一匹のウサギがなにか言った。おじいさんうさぎは、トンカチのようなもので二三度テーブルを叩く。すると、そのウサギは黙った。

 「だが、われらウサギのカードは、『その身を犠牲にして』だれかを救うさだめのカードであることは事実だ。それはどうあっても、悲しむべきことであることも事実」

 何匹かのウサギが、それに抗議するように立ち上がる。さっきボードでへんな絵をかいていたウサギも、なにかわめいた。

 

 「いや諸君。君たちの崇高な考えも、当方としてはじゅうぶんわかっているつもりだ。きっと、犠牲になろうとも志は翳ることはない。悲しむべきことではない。犠牲は善か? 否とは言わぬつもりだ。なにせ、われらは同じウサギ。だれよりもわれわれは、身の上を互いに共感できる――だが、だれかのためにこの身を犠牲にする、それははたして最良の選択なのか?」

 真っ赤なウサギが、きゃいきゃいと叫んだ。

 「われらうさぎの崇高なさだめを冒涜する気はない。だが、考えたことはなかったか、諸君。あのとき、この身を犠牲にせず生きていれば、まだだれかを救うことが叶ったかもしれない、ということは? ――」

 

 とたんに、座がしーんとなった。

 「……君たちのさだめのシナリオも、一口には言えない、さまざまなドラマがあったことだろうと思う」

 同じく上座の、大きな真っ黒ウサギが口を利いた。

 「君たちの中には、選択の余地がありながらも、その身を犠牲にすることを考えた者もいるだろうし、選択の余地がなく運命に流された者もあったかもしれない。だけれど、俺たちはそれらを否定したいんじゃない。俺たちウサギが、何をも犠牲にすることなく、ひとを救える選択を、探したいんだ。可能性を」

 ウサギたちの間に、すすり泣きが広がった。互いに肩を抱き合い、泣くウサギもいる。

 赤いウサギがまたなにかわめき、席を立っていなくなった。

 

 「君の話を。『ジャータカの子ウサギ』」

 大きな真っ黒ウサギに促され、ルナの隣の、ショールをつけた黒ウサギが、しずしずと立ち、礼をした。うさぎたちも、頭を下げた。

 「わたくしは、ジャータカの子ウサギです」

 黒ウサギは言った。

 「わたくしは、L03に、予言師の子として生まれました。運命の名を持つ男の双子の姉として。その人生ははかなく、残酷なものでした」

 彼女が話すごとに、ざわめきは静かに広がり、嗚咽がそこかしこで聞こえた。

 「私の運命は、私が死んだ今も、終わったとは言えません。弟のさだめを見届けるまでは。けれど、わたくし自身は、悔いなくやってきたと思っております」

彼女は話し終わると、自身も目を赤くして、静かに席に座った。

 

 「つらい話をさせてしまったね。すまない。……では、『真っ白な子ウサギ』」

 ルナの真向かいの白ウサギが立った。

 「あたしは真っ白な子ウサギです」

 彼女は礼をしなかったが、まっすぐに皆のほうを向いて話した。

 「あたしは、L18の傭兵でした。……愛する男と、仲間のために、命を捨てました」

 真っ白な子ウサギは、胸を張って話した。少しも後悔はしていないぞという顔で。

 「……経緯は以上です。スイッチを押すときは、本当に怖かった。孤独でした。でも、愛する人がそばについてくれていると思って、泣きながらボタンを押しました。想いだけは、いつでもそばにいられる。あたしは愛する人と地球に行きたかった。傭兵としての誇りをあたしにくれた、大好きなひと。あたしのカラダは仕掛け爆弾で粉みじんに吹っ飛びました」

 そこだけは、力のない声だったが、彼女は張りのある声で最後を締めくくった。

 「でも、本当に悔いはないんです」

 彼女は、ルナをまっすぐに見つめて、そして微笑んだ。ルナは動揺した。

 「あたしの愛する人たちは、きっと幸せになる」

 

 「ありがとう。真っ白な子ウサギ」

 ウサギたちは、涙ながらの拍手で、彼女が席に着くのを見守った。