クラウドとミシェルは、またしばらく歩いた。

 道の右手の、大きな樫の木によっかかって、格好つけている鳥がいる。ミシェルは笑ってしまった。その鳥は、形だけは小鳥だ。濃いグレーの小鳥。なのに、さっきのアズライオンほど大きいのだ。クラウドは、その小鳥を無視したけれど、その大きな小鳥は黙ってついてくる。さらに笑えることに、小鳥はぺたぺたと歩いてついてくるのだ。羽を揺らしもしないで。

 

 やがて、今度は道の真ん中に真っ黒な猫が現れた。

 ミシェルとクラウドと、小鳥が立ち止まると、黒い猫は小さくお辞儀をし、小声で、

 「悪気はなかったんだよ」と呟いた。

これは、謝っているのだろうか。

でも、謝られる覚えがなくて、ミシェルは困ったように黒猫を見た。

 

 「本当にごめんなさい。あの絵はあんたが描いたものだ」

 黒い猫はお辞儀をしたまま固まっている。ミシェルの許しがあるまでは、顔を上げないぞという姿勢だ。

 ミシェルは分からずに戸惑ったが、代わりにクラウドが言った。

 「……もういいよ。ミシェルは怒っていないよ黒い猫さん」

 ミシェルも、慌てて、同意するように何度も頷いた。この猫はだれ? 見たことがあるような気がするけれど、分からない。

 「黒い猫さん、あれは、不可抗力というものだよ。君は悪くない。君もまた、メディアというもの押し上げられた、犠牲者に過ぎなかった。ミシェルは、名誉も、栄華も望んでいなかった。絵を描ければそれでしあわせだったんだ」

 ミシェルは、クラウドの言うことはさっぱりわからなかったが、多分、その通りなのだろうなと思った。

「でも、あたしはあんたを傷つけてしまった。何回も。あたしはさ、だから今世は絵を描かないって決めたんだ」

 「……気にしないでいいのに」

 絵を描きたいなら、描けばいい。ミシェルは思ったままを言ったが、黒い猫は涙交じりの顔を上げて、

 「許してくれてありがとう。でもこれは、あたしのケジメなの。あたしは今世、絵の道を歩まずに、こどもを育てて、平凡だけどしあわせな生活をします。ありがとう」

 黒い猫は、「お詫びと言っちゃなんだけど」と言って、ケーキ箱ほどの、リボンをかけた大きな箱をミシェルにプレゼントしてくれた。

 「どうか、大切にしてね」

 「……ありがとう」

 ミシェルは礼を言ったが、箱に目を取られたすきに、黒い猫はめのまえから跡形もなく消えていた。

 

 ミシェルたちは、道を歩き出したが、小鳥もまだついてくる。小鳥が、ちらちらと箱を見ているのに気付いて、ミシェルが言った。

 「箱の中身、気になる?」

 小鳥は頷いた。ミシェルは、立ち止まって、箱を開けてみることにした。

 リボンを解き、ふたを開けると、キラキラとした煙が立ち上る。小鳥は焦ったように言った。

 「そのなかにボタンは入っていない?」

 ボタン?

 ミシェルは箱のなかを覗き込んだが、キラキラした煙が立ち上っただけで、中身はカラっぽだった。

 「ボタンじゃないのか……」

 小鳥はひどくがっかりして羽を落とし、ぺたぺたと元来た道を戻ろうとする。

 「ボタンが見つかったら、また君に会いに来るよ」

 飛べない小鳥は、やはり飛ばずに赤い道をとぼとぼと帰って行った。

 「あんなやつ、無視していいんだよ」

 クラウドが苛だたしそうに言うので、ミシェルは笑った。大切にしてねと言われたが、箱もリボンも、煙になって消えてしまった。

 

 やがて、森の向こうに、不思議な建物が見えてきた。

 ここが目的地なのか?

 白木で作られ、漆を塗られた朱塗りの建物。そこは、暗い森の中で、スポットライトのようにどこからか光が当てられて、はっきりと見えた。

 「神社みたい」

 ミシェルが呟いていると、

 (そうだよ。神社だ)

 どこからか野太い声がした。ぬうっと、建物に黒い影が映る。ミシェルは振り向いて、今度こそ「ニャー!!」と悲鳴を上げてクラウドの陰にかくれた。

 

 「八つ頭の龍、びっくりさせないで」

 建物と同じくらいはあろうかという、大きな龍。しかも、頭が八つもあり、キラキラ輝いているのだ。金? 銀? 一見しては判断がつかないが、ミシェルはその龍がとても美しいのにやっと気づいた。

 

 (だってあたしは、その子を待っていたんだもの)

 頭が八つの龍は、そう言った。野太い声、に聞こえたのは、八つの頭が一斉にしゃべるからだ。龍のコーラス。

 (おや、おまえ、いいプレゼントをもらったねえ)

 龍が言う。

 「でも、煙になって消えちゃったんだけど」

 (ちゃあんと持ってるさ。ほら、ここに)

 ミシェルのおなかのあたりに、さっきのキラキラした煙が巻き付いている。

 「あれ? ほんとだ。さっきの煙だ」

 

 (あのこがね、あんたに幸せをくれたんだよ。二人目の子をね)

 「二人目?」

 (そうさ、あの黒い猫は、三人の子を産むさだめだった。けれど、お詫びにってあんたに自分の、二番目に産むはずの子をくれたのさ)

 「ええ!?」

 そ、そんなのダメだよ! ちゃんと返さなきゃ! ミシェルは焦って騒いだが、

 (あんたの天命では、今世は子どもは産めないことになってるんだよ。返しちまって、いいのかい?)

 龍は優しく言った。ミシェルは驚いてクラウドを振り返った。クラウドは悲しげにミシェルを見つめていた。

 (あんた、芸術家として大成はするけれども、こどもは望めないよ。そういう人生を、自分で選んだんだ)

 「そ、そんな……」

 ミシェルはショックで、クラウドと龍を、交互に見た。

 (だけど、黒い猫が自分の二人目の子をくれた。大切にしてくれってね。いいんじゃないか。しあわせのおすそ分けは、もらっておきな)

 ミシェルは、大切そうに、おなかのあたりを撫でた。キラキラが、中に吸い込まれていくような感じがした。ミシェルは黒猫に、心の中でもう一度、「ありがとう」と呟いた。

 

 (ああ、長かったよ……)

 龍は大きく嘆息し、頭を一つだけ、ミシェルの傍に寄せた。

 (頭にお乗り。見せてあげるから)

 ミシェルが躊躇していると、クラウドが微笑んでいる。クラウドが笑顔ならだいじょうぶだと思って、ミシェルは龍の頭に乗った。

 龍がミシェルをのせ、首を高く掲げた。

 (ほうら)

 龍は言った。

 

 ――なにが、見える?