画面にバクスターが映る。ジュリがカメラを持っているのだ。グレンをもっと、頑なにしたような顔。似ている。バクスターは奪い取るようにジュリからカメラを取り上げた。視点が変わる。浴衣姿のジュリが映る。写真で見た彼女より、ずっと痩せていた。生死の境を彷徨ったというのが、分かるような衰弱ぶりだった。投薬治療にくわえ、グレンが知っているだけでも、ジュリは三回も手術を受けていたらしい。この映像は特に、手術を受けたばかりのころなのかもしれなかった。

 

 『まだ重いものを持つなと医者から言われただろう。傷が開く』

 『これはそんなに重くないわ』

 『いい。君には持たせられん。私が撮る。あんな馬鹿騒ぎには参加したくないからな』

 『まったく、素直じゃない男だねえ!!』

 バクスターの持ったカメラがエレナを映した。ルーイの母親だ。

 『素直に、無理させたくないからって言えばいいじゃないか! ジュリが箸より重いモノ持てなくなったらどうしてくれんだよ!』

 『わたしの妻なら、それも許される』

 『ッカー!! ごちそうさん!!』

 『エレナー!! エレナエレナエレナ!! 愛してるよー!!』

 『うわっ!! 来るんじゃないよ酒臭い!!』

 急にエレナに飛びつくセバスチアンが画面に映る。フン、と鼻を鳴らすバクスター。ニックの大歓声とともに、夜空に上がる花火が映し出された。

ドオン、ドン。腹に響く音。ジュリの素敵ね、という声。バクスターはジュリばかり映していた。ジュリのはにかんだ笑顔。うっとりと花火を見つめる横顔、バクスターに向ける、甘い笑顔。映像は三十分ほど続いた。持ち続けるのに飽きたバクスターが電源を切るまで。

 

 「――グレンのお母さん、綺麗な人だったね」

 ルナが呟いたが、話しかける相手はここにはいなかった。セルゲイが代わりに「そうだね」と頷いてくれた。グレンは戻ってこない。

 ニックは映像をまた早送りした。しばらく画面が飛ぶように進み、やがて、また一つの画面を映し出した。

 

 『ニーック! これ、どうす……、うわつめてっ!!』

 

 金髪の青年――Tシャツに、ジーンズを膝まで捲った青年が、ホースで水を掛けられて悲鳴を上げて画面から消えた。急に黒髪の青年がドアップで画面に映る。ニッと、歯をむき出しにしたイタズラな笑い顔。カメラはどこかに固定されたようだ。黒髪の青年がバケツを引っ掴んで走っていき、思い切り金髪の青年の頭に水をぶっかけた。ニックが同時にホースで二人に水を浴びせる。悲鳴、笑い声。「気持ちいー!!」黒髪の青年がそう叫んで大の字にのたばった。「アイス! アイス!」エリックが騒いで両手に棒アイスを持っている。あの貫禄ある灰色ウサギと同一人物とは思えないほど、無邪気な笑顔。

 夏だ。日差しはずいぶん暑そうで、セミの声が入っている。さっきの写真では貧弱そうに見えたふたりも、心なしか日に焼けて、伸びた手足も逞しく見える。

 

 これが、ユキトおじいちゃんと、エリックさん。

 

 彼らが、画面の中とはいえ、喋ってはしゃいで、笑っている。それは写真で見るより強烈な印象だった。ユキトおじいちゃんは意外と声が低い。まるでアズラエルみたいだ。ルナはそう思った。エリックは対照的にちょっと高い。おとなしそうに見えたけれど、ユキトおじいちゃんのさっきの笑顔はちょっとワルだったとか。

 「信じらんない……。こんなの見れるなんて」

 ミシェルのつぶやきは、皆の心中を代弁していた。ルナもまさか、ユキトおじいちゃんの声が聞けるとは――喋って、動いている姿が見れるとは思っていなかった。

 

 「ニック、ありがとう」

 ルナが思わず言うと、ニックは驚いて目を丸くし、それからにっこりと笑った。

 「こういうことがあるとさ、取っといてよかったなーって思うよ」

 みんなが映像に見惚れている間に、グレンがいつの間にか戻ってきていた。彼も映像を立ったまま眺めている。

 

 「――ジュリちゃんってさ、ちょっと上品なお嬢様みたいじゃない。喋り方が」

 ニックが、なにげなくグレンに話しかけた。

「そうだったか?」

 覚えていない。――まさか、こんなところで、覚えてもいない母親の声が聞けるなんて思わなかった。思わず動揺し、鼻がツンときて、部屋を出てしまった。

 

 「L44の娼婦さんだなんて思わなくってさ。びっくり。君はジュリちゃんの出自を?」

 「――いや。知らない」

 事実だった。グレンは知らなかった。母親の、娼婦であるまえの人生など。

 「彼女ね、L系惑星群原住民の、貴族のお姫様だったんだってさ」

 「は……!?」

 「ホントかどうかは知らないけど。でもL4系やL8系に行けば、――あるのかな? でも貴族ってのは存在するよね。九歳くらいのときに、地球人に家襲われて、家族バラバラになって、自分はL44に売られたってそう言ってた」

 「……」

 「君のお父さんは知っていたよ。でもね、ほんとうに上品なんだもの、しぐさが。どこかのお姫様みたいにさ。だから僕信じちゃったよ」

 「――そうだな」

 

 日が、暮れはじめていた。

 

 「……なんだか、とんでもないもの見ちゃったな」

 セルゲイが呟き、クラウドが同意した。

 「六十年前の映像だもんね……」

 L18にも、アーズガルド家にも、ユキトに関する映像も写真も残ってなどいない。となると、この映像だけが唯一、彼の生きた証になるのだ。こんなところに残っているなど、ドーソンのだれもが思いもしないだろう。

 彼らはニックにそろそろ帰ることを告げ、席を立った。

 グレンはいらない、と言ったが、ニックはグレンに写真と、さっきの両親が映ったDVDを押し付けた。「どうしてもいらないって思ったら、また返しに来てよ」そう言って。グレンは複雑な顔をしながらも、最終的に受け取った。

 アズラエルは写真もDVDも喜んで受け取った。ツキヨおばあちゃんに送るつもりなのは、ルナにもわかった。

 

 みんなが部屋を出、ルナも一番最後に部屋を出た――が。

「あー!!!!!!」

 すっかり、忘れていた。

 あわてて、ニックに許可を取って部屋に戻る。ルナは探した。右から三番目の写真。

 

 「――あ」

 

 あれ? これは――。

 

 「デレク?」

 そこにあったのは、デレクの写真だ。デレクと、見知らぬ女の人と、それからニックがこのコンビニを背景にポーズを決めている写真。デレクは今も若く見えるが、写真の彼はもっと若かった。

 

 「うんそうだよ」

 ニックの軽い返事。「デレクと知り合い?」

 「う、うん……!」

 「マタドール・カフェに行ったことある? デレクはそこのバーテンダーで……」

 「ニックさん!!」

 「うん?」

 「この写真下さい!!」

 

 

  いったいこの写真に何の意味が? 

 

 ルナはニックから写真を貰い、難しい顔をして車に乗った。

 「じゃあ、またね! 今日は楽しかったよ! バーベキューパーティ楽しみにしてるから!!」

 アズラエルは、コンビニの電話番号をニックから受け取ることを忘れなかった。そして、男たちはこっそりと申し合わせてレジの傍に金を置いてきた。ずいぶん遠慮なく飲み食いしてしまったからだ。次のバーベキューパーティーはエレナ出産後の予定だが、コンビニにはまた遊びにくることを約束した。ニックは大喜びだった。ミシェルに大量のお菓子と飲み物をみやげに持たせて、「また来てね」と念を押す。ミシェルはなんとなく、田舎のおじいちゃんちから帰るときのような気分だと思った。

グレンは、あの映像を見てからおとなしくなってしまった。ルナ同様、何かを考え込むように黙り込んで、口を利かなかった。

ルナもまた、気難しい顔でデレクの写真を睨んでいて、セルゲイが出発したのにも気づいていない有様だった。

ルナの様子が、今日はおかしい。アズラエルだけではなく、ミシェルもクラウドもやっとそう思い始めていた。

 

 ニックに大手を振られながらコンビニを後にしたルナ一行は、セルゲイたちとは逆方向――椿の宿へ戻る道を走り出した。