七十八話 鍵 T




 

 五十人入っても広々とした空間を保つ、このビルで一番大きい会議室は、たったふたりの熱気で埋め尽くされていた。熱気は主に、オトゥールが発していた。ミラは、ずいぶん年若――それでも二十八になる、自分の姪と同い年の使者を少し見直していた。

 

 オトゥール・B・ロナウドとミラ・G・マッケラン。

 

 話し合いとは名ばかり。知る人ぞ知る世間体には「話し合い」と称されているこの会合は、まったく話し合いなどなされていなかった。

ミラはオトゥールの訪問には応ずるが、話し合いなどしない。ミラ側からは意見など出さない。話さない。オトゥールの話を三十分黙って聞くだけ。多忙なミラに、三十分は長い。おなじ軍事惑星群の名家の、跡取りであるから時間を割いてやっている――というわけでもない。姪と同い年の青年を、暖かい目で見てやっているわけではない。

 ミラは、最初からオトゥールを試している。

 オトゥール側からすれば、これほど糠に釘と言った手ごたえのない相手もいないだろう。

 話は聞いてくれるが、同意も否定もなくタバコをくゆらせ、足を組んだ年配の女がめのまえにいる、それだけの三十分だった。

 

オトゥールは話を簡潔に、要点だけを、しかも相手の心を揺るがせる熱意を持って話そうと毎回構想を練ってくるというのに、めのまえの人物のあまりのそっけなさにいつもそれは打ち砕かれる。

彼女はオトゥールの話を聞いて、それだけか? とでもいうように「では」と無関心のまま席を立つ。最初の日はさすがのオトゥールもめげそうになった。だが彼女は、オトゥールの二度目の訪問を受けた。三度目も、また四度目も。アポイントは取れる。彼女は会ってはくれる。だが、ただ話を聞くだけ。

何か試されていることは、オトゥールにも分かった。だから彼は、毎回同じ話を、常に熱意だけを持って話すことになった。訪問の回数も十数回はとうに超えているはずだが、彼女の静けさは変わらない。

 

 オトゥールが、くりかえしL20の首相たるミラを訪問しているのは、マッケラン家に、ロナウド家が画策している「計画」に乗ってもらうためだ。

 ロナウド家の計画とは、軍事惑星群の大改革だ。

 傭兵と、軍人の垣根を完全になくす。三度のバブロスカ革命を経たが、軍人と傭兵との差別はどうしてもなくならない。ロナウド家が求めるものは、その差別の垣根を完全に取り払うことだ。傭兵も自由に「軍人」になれ、将校にもなれる。そのためには、軍事惑星に長く根付いた差別そのものを撤廃する。ドーソン一族の、L18における支配権を取り上げようとしているのも、その一環だった。

 それにはやはり、軍事惑星の四名家のひとつであるマッケラン家の協力が不可欠だ。オトゥールは、L20の首相であり、マッケラン家当主のミラを説得するために、くりかえしここを訪れていたのである。

 しかし彼女は、オトゥールの話を聞くだけで、具体的に返事はくれなかった。オトゥールは根気強く通った。L20の、この都庁に。

 

 オトゥールの訪問が二十四回目を数えた今日。

 沈黙の雌獅子が、はじめて口を利いた。

 

 「坊や。今日は二十四回目になるよ。あんたがあたしを尋ねてきてから」

 

 オトゥールの話がいつものように終わったあとだった。秘書が時間を告げに来れば即座に席を立つ彼女が、今日は黙って座っているし、あのきつい顔の秘書が来ない。

 予想だにしなかった彼女の言葉に、オトゥールが呆気にとられていると。

 

 「あたしのほうの時間は心配いらない。今日はあたしのプライベートな時間を当てている。あんたは、今日は時間の余裕はあるかい」

 今まで、オトゥールの言葉に返事さえくれなかった彼女が、今日はオトゥールに時間はあるかと聞いている。なくても、絞り出すに違いなかった。

 「じゅうぶんに」

「そう。――まあ、よく二十四回も通ったもんだよ」

 「どうも……」

 常に無表情で、オトゥールを探るようにみていた女が初めて口を利いた。オトゥールはそれに圧倒され、思わずどもる。それを見てミラは笑った。悪意はなかった。

 「さっきまでよく口が回っていたようだがね。なにさ、アドリブは苦手かい」

 「そんなことは、」

 声が上擦る。オトゥールはどんな大物の前に立っても物おじせぬ性格であるはずだった。だがさすがに、L20をまとめてきた雌獅子の貫録は違った。圧倒されていた。

 

 ドアが開き、ミラの秘書がコーヒーを運んでくる。秘書の顔も今までほどきつくないような気が、オトゥールにはした。秘書はオトゥールとミラのまえにコーヒーを置くと、すぐに下がった。

 「お飲み」

 ミラはぴしゃりと言って、先にコーヒーに口をつけた。

 「それだけくっちゃべったら喉が渇いただろうよ」

 「いただきます」

 オトゥールは遠慮なく熱いコーヒーを啜った。「うまい」素直な気持ちが、口から出た。

 ミラは頷き、その目は幾分か和らいだ。L20の首相の目から、姪と同い年の若者を慈しむ目になる。

 

 「あんたの噂は聞いてる。ロナウド家にしちゃ、ウソのつけない真っ正直な小僧がいるってねえ。あそこは頭のいいヤツばっかで油断ならない。あんたの爺のあたりにゃ、腹黒いやつばっか綺麗に集まってねえ、そういわれてたもんさ。ウチでは代々言ってたよ。ドーソンなんざァ怖かない。怖いのはロナウドだってね。まァ、賢いのさ、ドーソンと違って。ドーソンは戦にゃ強いが、欲ばりを隠そうともしない。自分ばっかりが偉いようなツラしてやがるものみんなそろって。アレじゃあ、滅ぶのは目に見えてる。ロナウドは中堅をいって、目立つことはしないが名誉も賞賛も、美味しいとこはみんな持ってく。いつでもそうだろう? まあ――長続きするコツだわね」

 オトゥールは慌てて言った。

 「そんなことは――。今回のことにしても、L19が軍事惑星群のトップに立とうなどとは、父も一族も、全く思ってはいません」

 ちらりとミラは、オトゥールを見た。視線をオトゥールの顔に捻じ込むように。オトゥールも負けるわけにはいかなかった。その強烈な嫌疑の塊を受け止めた。冷や汗が背筋を伝う。自分はL19と、ロナウド家を背負ってここへきているのだ。

 ひいては、軍事惑星群の未来をも。

 

 「じゃあ、L20をやり玉にして、L19が影から操ろうって魂胆かい」

 「そんなことは――絶対に、ありません」

 「言い切れるのかい」

 「父も私も、一切そんなことは思っておりません。毎回お伝えしているように、――軍事惑星群の未来は、マッケラン家とアーズガルド、そして我がロナウド家が真に力を合わせて作っていくものだと考えています。軍事惑星群の創世期のように」

 「……」

 ミラはそれに対して返事をしなかった。だが幾分か和らいだ声でこう言った。

 「――あんたは、マッケラン家がドーソン家を憎んでいると、心底憎んでいると、そう思っているね」

 オトゥールは、返答すべきか迷った。だがここでうやむやな返事はできない。それは確信していた。この質問の重さを、オトゥールは重々承知していた。

 間を置いて、彼は頷いた。

 「……そう、思っています」

 ミラは嘆息した。深く、嘆息した。

 

 「ドーソンを憎んでいるからと言って、あえて軍事惑星のバランスを欠くような計画に、マッケランが乗ると思った?」

 「軍事惑星のバランスを崩したのはドーソンです」

 オトゥールはきっぱりと言い切った。ミラは首を振り、席を立って窓辺に佇んだ。

 

 「あんたの親父があんたを寄越したわけが良くわかる。あたしとあんたの親父じゃ、腹の探り合いで終わったかもしれないね、この話は」

 「……」

 「マッケランは、ドーソンの味方もしなければ敵にもならない。滅びゆくのが分かっていても助け舟は出したりしないが、あえて滅びを促進させるような真似もしたかない。……触れたかないんだよ。ドーソンにさ。中立を保つ、それじゃダメなのかい?」

 オトゥールは迷うように、俯いた。ぎゅっと握った拳が、ためらいを示している。

 踏み込んでいいものか、オトゥールは迷った。踏み込み方次第では、この話が全くの白紙に戻り、ミラが二度と会ってくれない可能性もある。

 マッケランとドーソンの間には、避けてはとおれない重い因縁がある。いや――それは、ミラとカレンと、ドーソンの間にだ。もとより、それを無視してこの話は進まないのだ。

 「あんた、説得の使者がそんなツラしちゃァいけないよ」

 オトゥールの真剣に悩んだ顔を見てとり、ミラは微笑した。