「……下がってる」

 ララは、豪奢な寝台から起き上がり、額に手を当ててみた。熱はすっかり下がり、額の冷えピタはもはや用無しだった。まさか本当に、夢の中のピンク色うさぎが、ララの熱を一晩分、引き受けてくれたのだろうか。

 

 「ララ様、おはようございます――、! 起き上がって、よろしいんですか?」

 「サルディオネを呼んどくれ!」

 

 冷たい飲み物や追加の冷えピタをワゴンに乗せて運んできた給仕は、すっかり元気そうなララに仰天し――それから、久しぶりの主の命令に、ワゴンを置いたまますっ飛んで行った。サルディオネを呼ぶために。

 

 一時間後、サルディオネがララの部屋に顔を出したその時には、ララはいつも通り、仕事着である真っ黒なサテン生地のドレスに身を包み、果物とコーヒーの朝食を取っていた。

 「熱、下がったの」

 顔色はよさそうだねと、向かいにあつらえたソファにサルディオネが座ると、すぐにメイドが、コーヒーと茶菓子をサルディオネの前に置いた。それが済むと、ララが手を払って、出て行けと命ずる。メイドが部屋から出たとたんに、ララは猛然と喋り出した。

 

 「ヘンな夢を見たんだよ」

 「ヘンな夢?」

 「あたしゃ、夢の類は滅多に見ない。――夢を見るほど、長いこと寝ないからね、あたしは。久しぶりに寝てばっかりいたから、おかしな夢を見たよ」

 「でもそれが、何か意味があると感じたから、あたしを呼んだんでしょ」

 サルディオネがクッキーを口に運ぶと、ララは大げさに頷き、ソファにふんぞり返った。

 「そのとおり! あたしのZOOカードは、たしか、八つ頭の龍――頭が八つある龍だったよね?」

 「うん」

 「夢の中で、なぜかあたしは、その龍なんだ」

 

 サルディオネが、クッキーを齧るのをピタリとやめて、身を乗り出してきた。ララが話を続ける。

 

 「八つの頭ぜんぶに冷えピタ貼っててさあ――笑うんじゃないよ。ちっちゃなピンク色のうさぎと、何か話してるんだ」

 「ピンク色のウサギ!?」

 サルディオネが絶叫した。「そのうさぎ、月を眺める子ウサギ!?」

 「さあ。名前は覚えてない」

 ララは首を振る。

 「だけどね、あたしはなんだか、そのうさぎと顔見知りみたいでね。――何話してたかなんて、ほとんど忘れちまったけど。あたしは夢の中でも、船大工の絵が燃えちまったことが悔しくて、泣いてるんだ――彼女が――たぶん、あのうさぎは女の子だとおもうんだけどねえ――。彼女が、あたしに、ちっちゃなシャンデリアのミニチュアをくれて、熱を一日分引き受けてやるって言って、冷えピタを持ってったのさ」

 「シャンデリア、だって?」

 「今朝起きたら、熱は下がってるだろ? このとおり。まさか、本当にあの子ウサギちゃんがあたしの熱を持ってってくれたのかと思ってねえ……」

 

 サルディオネが興味を持ったところと、ララが気になったところは、全く別のようだった。

 

 「ピンクの子ウサギ――。それが、月を眺める子ウサギだとしたなら、ララ、出会ったことに意味があるよ」

 「そうかい? さっぱり、意味が分からないけどね、あたしには」

 「だから、あたしを呼んだんでしょ」

 サルディオネは、彼女の仕事カバンである、いつも持ち歩いている大きな茶色の肩掛けカバンから、ノートを数冊取り出す。ZOOカードの占いの、記録帳だ。

 「月を眺める子ウサギは、このところ、姿を消してるんだ。ZOOの支配者たるあたしが呼んでも、姿を現さない。なにをしているのか、あたしは分からないし、見つけられないけど――そこここで姿を現して、何かしてるらしい。カードたちのうわさではね」

 「あんたはZOOの支配者だろ? そのあんたがカードを呼び出せないなんてこと、あるのかい」

 「あるよ。――あたしは、ZOOカードの支配者ではあるけれど、ZOOカードは真砂名の神があたしにくれたものだ。あたしは、真砂名の神に、一時的に『支配者』として認められているだけ。月を眺める子ウサギは、いまは真砂名の神のご意志で動いているんだ。だから、あたしがどう探しても、見つからないことだってある」

 「……」

 

 サルディオネはノートをペラペラとめくり、「シャンデリア……の持つ夢の象意は、」と独り言を呟いている。ララが口を挟んだ。

 「どうして、そのピンクのうさこちゃんが、あたしの熱を持って行ってくれたんだい? あたしと、その月を眺める子ウサギとは、なにか関わりがあるの」

 サルディオネはニヤリと笑い――「あるよ」と意味深な口調で言った。

 「もっとも、」

 サルディオネは、ノートから目を離して、コーヒーを口に含む。

 「ララは月を眺める子ウサギに会いたくないかもしれない――なぜなら、あんたが、この世で一番頭が上がらない人間だからさ」

 「なんだって?」

 

 宇宙船の株主であり、世界遺産保護団体の理事であり、真砂名神社修復の責任者も務めているララが、頭の上がらない相手? ララは首を傾げた。よほどの大物だろう。美術関係の大家か、政治家か。政治家だって、ララに頭が上がらないやつがいるのだ。では、ララよりもっと上役の、宇宙船の株主や、E.C.Pの理事? 取締役とか――。だが、ララの見知った顔の中には、とてもではないが、あの可愛らしいピンクの子ウサギと一致するようなイメージの人間はいなかった。

 

 「いったい、誰なんだい? 月を眺める子ウサギってのは」

 「前も言ったよ。高僧のトラか、月を眺める子ウサギが、ララ、あんたの“運命の相手”を連れてくるって」

 

 ララは、美人が台無しになるほど大口を開けて、手を打った。それは、この宇宙船に乗ったころ、サルディオネに言われていたことだったが、高僧のトラがアントニオだと知っているララは、彼が連れてくると決めつけてしまい、片方の、月を眺める子ウサギのことはすっかり忘れてしまっていたのだった。

 

 「あたしは――夢で――やっと、あたしのキューピッドに出会えたのかい……」

 「ええと……シャンデリア……、」

 「誰!? 月を眺める子ウサギって、誰だい!?」

 何者なんだと詰め寄るララに、サルディオネはうわの空で言った。

 「ララ、あんたの前世の一つに、この宇宙船の美術館を創設した、責任者の前世があっただろ」

 ララは、深く頷いた。あの前世があったから、今のララがあると言っていいと、ララは、自分でもそう思っている。

 「月を眺める子ウサギは、そのときの、あんたがいた会社の女社長――つまり、あんたに多額の融資をしてくれた、あの大恩人だよ」

 

 ララはそれを聞いて、へたりとソファに倒れ込んだ。

 前世の記憶など、当然ない。けれど、サルディオネにその前世の話を聞いた時から、もし出会えるなら、かの女社長にもう一度会いたいと――礼を言いたいと、心の奥が、叫んだのだった。

 彼女は、自分が望むままに金を工面してくれ、応援してくれた。大仕事が終わって、燃え尽きた自分に、長い有給休暇さえ与えて、面倒を見てくれた。彼女が亡くなった後、会社を立て直すのは大変だったが、彼女の夫が支援してくれたので、自分の苦労は大したことはなかった。

 彼女がいたから、今の自分がいる。その彼女が、今度は、じぶんのために熱を引き受けてくれ、運命の相手まで連れて来ようとしているのか。

 

 「――世話になってばかりだ、彼女には……」

 ふと、デジャヴュのような気がした。夢の中でも、そう言っていたような。

 「会いたいよ、アンジェ」

 ララは、そう呟いた。

 「運命の相手もそうだけど、彼女にも、もう一度会いたい」

 

 今度こそ、自分が彼女の助けになりたい。ララは、そう思っていた。

 

 「うん、だからさ、……多分、シャンデリアがキーワードなんだ……。彼女があんたに渡したっていうシャンデリア。――ああ、わかんない。シャンデリアっていう、夢の象意ははじめてなのかも……ララ、」

 「なんだい。何でも聞いて」

 「そのシャンデリアって、どんなシャンデリア? ほんとうにシャンデリアだった?」

 ララは、必死で頭をひねって思い出そうとした。

 「シャンデリア――だったよ。すごく、小さなね。ちっちゃなうさこちゃんの手に納まるくらいの奴だったから、相当小さい――あ、でも、あのシャンデリア、見たことあるかも――、」

 「え!? どこで?」

 「ほんとにシャンデリアなんだけど、――そう、変わった形でね。――ああ、――あれ?」

 ララは、脳裏に閃いた形に、またしても手を打った。

 「あれ、アンジェラがデザインしたヤツだ――そうだ、」

 「マジで!?」

 「――そう。ムスタファの屋敷の、大広間のシャンデリア――そうだ! あの大広間はぜんぶ、デザイナーたちの設計で、シャンデリアのデザインも、アンジェラがしたんだ。そのとき、アンジェラが見本のためにって作った小さなシャンデリアが、あれだよ!」

 「ムスタファの――大広間の――」

 サルディオネがはっと気づいたように、叫んだ。

 

 「わーかったー!!」

 「何が分かったんだい」

 「ぜんぶ謎が解けた! なんでアンジェラとあんたが、クラウドとアズラエルに声をかけたかも、なんで月を眺める子ウサギが、こぐまを助けるのかも!」

 「あたしには、さっぱりわからないね」

 ララの呆れ声に、サルディオネは大興奮で言った。

 「ララ! ムスタファに頼めるのはあんただけだ! ムスタファの屋敷で、あのシャンデリアがある大広間で、盛大なパーティーを開くんだ」

 「なんだって?」

 「ララ、あんたじゃなく、ムスタファに招待状を出してもらって。あんたからじゃ、クラウドもアズラエルも用心しちゃって、来ないかもしれない。だからムスタファに出してもらうの。パートナー必須って条件でね」

 「クラウド?」

 最近、彼女ができてからと言うもの、ずいぶんと冷たくなったもとカレに、ララは顔をしかめた。嫌われているのが分かっているのに、なぜ呼ばなきゃならない。アズラエルもそう。恋人が可愛いのは分かるが、まったくこちらに顔を見せなくなったのは、薄情と言うほかない。

 「あいつらにはかなり良くしてやったってのにさ! 薄情なもんだよ」

 

 「違うよ」拗ねたように言うララに、サルディオネは笑った。

 「ララ、あんたがクラウドに声をかけたのは、彼があんたの運命の相手の近くにいるからさ。でなければ、あんたはクラウドには声をかけなかったはずだ。無意識に、気づいていたから、彼と親しくなろうとしたのさ――無意識下の、八つ頭の龍がね」

 「ええ?」

 ララは、仰天した。

 「あたしは、運命の相手の名も、月を眺める子ウサギの名も教えないよ。それが真砂名の神のご意志だ。ララ、あんたが、先入観なしに直接彼女らと会って、気づかなきゃいけない」

 「つまりは――クラウドとアズラエルが連れてくるパートナーが、そのどっちかだってことだね?」

 「――あ」

 慌てて口を押えたサルディオネだが、もう遅かった。しかしララの方は、すっかりご機嫌が直って、キセルを吹かしながら、満足そうに笑った。

 

 「やっと――やっと、会えるのかい」

 

……あたしの、運命の相手に。