ピリリリリ。ピリリリリ。ピリリリリ。

 

 フライヤは、目覚まし時計の音で目を覚ました。

 「ふああ……。まだ目が痛い……」

午前八時。昨夜遅くまでネットで調べ物をしていたから、遅めに目覚ましをセットしたのを、フライヤは思い出した。

 

 サルーディーバの記念館関連からいろんなところに派生して、L03の歴史や風俗、文化まで調べ上げていた。最近の自分は辺境の惑星群オタクだと自負できる。フライヤは無宗教だし、どちらさまの神を信じているわけでもないが、辺境惑星群独自の文化や歴史には、じつに興味があった。

 (変な夢、見たわ……)

 あまりにいろいろな情報を、一気に脳に詰め込み過ぎたのだろうか。おかしな夢を見た。

夢の中で、フライヤは光るペガサスで、なんだか大きな布を被っていて。ぬいぐるみみたいな小さいピンクのうさぎに連れられて、遊園地をうろついていた。幸せな――オチがあったような、そうではなかったような気もするのだが、いかんせん、覚えていない。

 できるなら、今日も一日じゅう部屋に引きこもって、調べ物をしたいところだったが、そうはいかない。今日は、新しい仕事がはじまる日なのだ。

 

 母親と二人暮らしの、手狭なアパートのキッチンへ行くと、パンと冷えた目玉焼きが置いてある。レジ打ちのバイトへ行った母親が作っておいてくれた朝食。毎朝、紅茶だけは自分で淹れるフライヤは、パンをトースターに突っ込んでから、湯を沸かし、ティーバッグで紅茶を淹れた。できるなら、紅茶の茶葉を買いたいところだったが、定職についていない自分が高い紅茶缶を買う贅沢はできない。ティーバッグのお徳用パックを買うのが関の山だった。

 

 フライヤの家族は、生活に困っているわけではないが、裕福ではなかった。

死んだ父親の所属していた白龍グループは、大きな傭兵グループだけあって、遺族への補償もしっかりしている。遊んで暮らせるほどの金は入っては来ないが、父親の死亡保険金は、結構な補償額だった。だが、その金はいまは使えない。母親の老後のためだ。

切り詰める生活は慣れっこだったが、来年、フライヤの学費と生活費の一部に充てていた、母親の怪我の保証金が終わる。生活は、もっと苦しくなるかもしれない。

 フライヤの父親も母親も、白龍グループの傭兵だった。父親のほうは、ぎりぎり認定資格をもらえた――最低レベルの認定ランク――の傭兵。母親は認定資格なし。ふたりそろって出来のよくない傭兵で、白龍グループの斥候兵だった。出世には程遠い、雑務と戦闘にしか使われない下っ端。

 父親は任務で死んだ。骨すら帰って来なかった。母親も任務で大けがを負い、一命は取り留めたが、足を悪くしてもう傭兵の仕事はできなくなった。白龍グループをわずかな退職金と、来年終わる保証金をもらって辞めて、今は近所の大型スーパーでレジ打ちのバイトをしている。

 あと十年もすれば、母親の足はもっと悪くなって、働けなくなるだろう。そのときに金が要る。だから、父親の死亡保険金はつかえない。

 

 フライヤは昔から思っていた。

 大規模な傭兵グループの斥候兵と、前線で戦っている軍人の一般兵と、いったい、なにが違うのだろうと。立場的には変わりはあるまい、だがすくなくとも、軍人のほうは、軍事惑星群では人権がある。傭兵にはそれがない。白龍グループが面倒を見てくれなければ、母親も自分も、のたれ死んでいたとフライヤは思っている。

傭兵は、傭兵の仕事ができなくなっても、仕事場所が限られる。今母親が務めている、白龍グループ系列の大型スーパーのレジ打ちの仕事も、空きが出るまで待たなければならなかった。でも、まだましな方だ。

白龍グループや、ヤマトやブラッディ・ベリーなど大きいグループは、動けなくなった傭兵の保証もしっかりしているが、たいていの傭兵グループは、怪我で使えなくなった傭兵は切り捨てる。軍部も、軍事惑星群も――傭兵の面倒は見てくれない。

 

 身体を壊して仕事ができなくなった傭兵が、野垂れ死にすることなど、珍しくもなんともない。

 

 そんな生活環境なのに、足の悪い母親をわずかな給金で働かせているのに、ほぼ無職のままの自分をフライヤは何度自責したかしれないが、白龍グループに入るのは怖かったのだ。

 

 自分も、両親と同じように死ぬか、身体を壊してやめるような気がして。

 

 傭兵グループは一度所属したら、死ぬか、怪我で傭兵としての仕事ができなくなるか、あるいはその傭兵グループが解体されるか、いずれかでないと足ヌケはできない。傭兵グループによって多少の違いはあれど、これらはだいたい共通した条件だ。

 白龍グループは、幹部ではなく、フライヤの両親のような末端の人間であれば、いつ足ヌケしても構わないが、ほかのグループには所属できない。つまり、白龍グループをやめたあとは、フリーの傭兵になるか、自分で傭兵グループを立ち上げるか、一般市民になるかの選択肢しかない。

 フライヤは、L20の軍事学校卒業後、すぐに親友シンシアの作った「ホワイト・ラビット」という傭兵グループに所属した。ホワイト・ラビットは白龍グループの傘下だったし、シンシアの死後、解体されたホワイト・ラビットの傭兵のほとんどは、白龍グループに戻ったはずだ。フライヤもそうするはずだったが、二の足を踏んだ。そうして、無職になって――年を越した。

 

 フライヤはためいきを吐いた。吐くしかないためいきを。

 オリーヴや、オリーヴの兄――アズラエルとか。彼らは、特別なのだ。フライヤのような、平凡に生まれた人間とは違う。

 彼らは、傭兵になるべくして生まれたような人間たちだ。フライヤから見たら、手も届かないエリートであることは違いない。自分は、軍事惑星では格差の底辺――まだのたれ死んでいない分ましかもしれない。

 でも、もし母親が入院でもすることになったら。フライヤはそれを考えると不安でたまらなくなる。母親の入院費用を稼ぎながら、果たして自分は生活していけるのだろうか。

 

 平凡に生まれた両親と同じく、平凡なフライヤに、母親は無理を言わなかった。白龍グループに入れとも、傭兵の仕事をしろとも。母親は、フライヤの結婚を望んだ。できれば、傭兵でない、一般市民との。それは、モテないうえに引っ込み思案なフライヤには――最大の難関だったが。

軍事惑星群に住んでいるからといって、傭兵のこだからといって、傭兵にならなければいけないわけではない。フライヤは、レジ打ちのバイトでも良かった。だが、白龍グループは、健康体で、最低ランクといえども認定資格を持っているフライヤに、レジ打ちのバイトの世話はしてくれなかった。白龍グループがレジ打ちの仕事を回してくれるのは、自社の傭兵が任務で身体をダメにして、傭兵の仕事ができなくなったときだけだ。フライヤは、白龍グループの傭兵になるように勧められた。だがフライヤは、白龍グループには入りたくなかった。万年落ちこぼれのフライヤは、入っても、両親と同じ斥候兵になるしか道はなかった。

 嫌だとは言っても、白龍グループに入るしか働く場がないなら、そうするほかない。友人が少ないフライヤは、シンシアのほかにグループを作っている友人もいなかったし、フリーで仕事ができるほど、有能な傭兵ではない。

 フライヤは、もうあきらめていた。無職になって、数ヶ月。怖くても、白龍グループに入って、斥候兵になるしか選択肢はない――。

 

そんな折だった。オリーヴからの誘いがあり、久々に傭兵としての仕事をした――L05での任務。

 その後、バイト代をもらいに行ったときに、アダムが誘ってくれたのだ。「ウチに来ねえか」と。

 

 L05の任務のときに、絶対機嫌を損ねてしまったと思っていたが、アダムはぜんぜん怒っていなかった。やはりあれは、単に電波が悪かったせいだろうか。アダムは怒っているどころか、フライヤの身の上をじつに根気強く聞き、大変な好条件でフライヤのスカウトをしてくれたのである。

 アダムは思った以上の給料も約束してくれたし、彼が白龍グループに掛け合ってくれて――「アダム・ファミリー」は「メフラー商社」つながりなので――フライヤを、アダム・ファミリーに所属させてもいいという認可をもらってくれた。

フライヤの両親は白龍グループだが、フライヤ自身は白龍グループに一度も所属していないことと、せっかく認定の資格があるのだから、どこでもいいから傭兵グループに入ったほうがいいということで、あっさり認可をくれた。白龍グループは、とくに優秀でないフライヤは、他のグループに行っても差し支えないと判断したらしい。