オリーヴの言った通り、アダムは太っ腹で、親分肌で、信じられないほど頼りになる人間だった。

 母親も、アダムのことは知っているし、オリーヴのことも知っている。だからこそ、心配した。アダムたちの人となりではなく――フライヤが、あの「やり手の」傭兵グループでやっていけるのかと。

 「アダム・ファミリー」は少数精鋭だ。実力のない傭兵もそれなりに雇ってくれる、白龍グループやヤマトのような大規模グループとは違い、少数であればあるほど、ひとりひとりに相応のスキルが求められる。「アダム・ファミリー」は構成員全員が、それぞれ傭兵グループを作っていてもいいほどの実力の持ち主ばかり。傭兵のエリートばかり集まっているグループに、落ちこぼれの娘が入って、足を引っ張りはしないかと――ついていけないのではないかと、心配をしたのだった。

 心配はしたが、アダム自身の人柄と、アダムはフライヤを危険地域の任務に行かせる気はない――そして、フライヤの仕事もデスクワーク中心で、アジトにいてもらうことがほとんどだろうというアダムの言葉を聞いて、母親はやっとほっとした顔をした。アダムがフライヤの家に来てくれた日、彼女は堰が切ったようにアダムにまくし立てた。

 

「良かった。良かったですよ、いい勤め先が見つかって。この子ったら、結婚する気はないし――わたしもこの子を残して死ねないし――私もこんな足だし、いつまで働けるか分からないしね――いい相手がいてくれればいいけど、この子はわたしに似てちんくしゃでねえ。おとなしいし、――あんまり傭兵には嫁いで欲しくないけど、傭兵は、傭兵しかもらってくれるひといないでしょう――おまけに、誰に似たんだか、カタすぎてねえこの子は」

母親とは、よけいなことを言いすぎるものだ。アダムは豪快に笑い、

「固ェくらいでちょうどいい。ウチの娘なんざァ尻軽すぎて手に負えねえや。一緒に働いて、フライヤの固さがちったあ移ってくれるといいんだがな」

たしかにフライヤは、結婚する気はなかった。

彼女自身、傭兵と結婚したくはなかったし、だからといって、スーパーのレジ打ちの人間も、コンビニの店員も、一般市民は傭兵と結婚するのは嫌がった。傭兵は傭兵としか、恋も結婚もできないのが普通だったし、それ以前に、普通にフライヤはモテなかった。

フライヤは、べつにどうでもよかった。うまれてこの方、男にナンパされたことも、女にナンパされたこともなかった。友人すら、片手で数えられるほどしかいない。フライヤは、こそこそと生きていた。まるで隠れるように。

そんな自分を拾ってくれたオリーヴとアダムと、アダム・ファミリーの人たちには、感謝をしてもしきれないというものだ。

冷たい目玉焼きと固くなり始めたパンと、紅茶の朝食を済ませてから、フライヤはいつものように真っ黒な髪を三つ編みにして、服を着替えた。化粧もしない。準備はこれで完了。アパートの埃だらけの階段を下り、バス停まで五分ほど歩いた。雨が降りそうな天気だった。ほどなくしてバスが来て、フライヤは乗った。

 「アダム・ファミリー」のアジトまで、バスで十五分。

 

 

 

 (……うわあ)

 フライヤは、バスを降りたとたんに顔をしかめた。

鼻を衝く悪臭。数メートル先に、酒瓶を握ったまま歩道に座り込んでいる男がいる。死んでいるのかどうかは分からない。雑誌や湿った新聞紙が散乱し、商店街であるはずの通りはシャッター街。廃墟と化してゴミ捨て場になっている場所もある。

 「きえあー!」

若者数人の奇声が聞こえて、フライヤは思わず電信柱の陰に隠れた。真っ赤なスポーツカーに乗ったイカレた集団が、ものすごいスピードでホコリ臭い道路を過ぎていった。車から放り投げられた酒瓶が、電信柱に当たって砕けた。ドラッグでもやっているのだろう、異常な騒ぎようだった。

 (ここ、スラム化が昔よりひどくなった気がする)

 学生の頃、夏休みの数日間を、オリーヴの家で過ごしたことがある。その頃は、まだこのあたりもこれほど荒んではいなかったはずだ。気味の悪い人間や、傭兵崩れなどはうろついていたが、まだたくさんの人がいたし、バーや胡散臭い事務所ばかりとはいえど、店舗は軒並み連なっていた。それがどうだ。そのころの面影さえない。あのころも、フライヤはこの地区をぜったいにひとりでうろつくなと念を押されたが、今はもっとひどい気がした。オリーヴが、危ないから、ひとりで来るなといったわけがようやくわかった。

 フライヤは、ビクビクしながらあたりを見回し、「アダム・ファミリー」のアジトがあるアンティーク調のアパートを探した。昔、オリーヴの一家が住んでいたアパートだ。このバス停が一番近いはずで、大きな建物だったらすぐ見えるはずだが、赤い建物は見えない。降りるバス停を間違えたのだろうか。周囲をぐるぐる見渡していると、通りの向こうから、でかい声が飛んできた。

 

 「オーッス! フライヤ! おはよっ!!」

 「――オリーヴ」

 フライヤは、ようやくほっとして、肩の力を抜いた。

 

 「あー、多分ここ二、三年だな。こんなに荒れたの」

 アパートまでの道中、オリーヴはフライヤを庇うように歩きながらそう言った。フライヤが降りたバス停から、アパートまで歩いて二十分ほど。アパートに近づくにつれ、覚えのある商店街が見えてきた。胡散臭い界隈に違いないが、さっきフライヤが降りた場所より、まだ活気があり、人の姿がある。

 「ドーソン一族の高官がL11送りになってから、軍部がイカれ始めたろ。そのころから荒れ始めた――って、親父は言ってる。親父はな」

 ようやく、視界に赤い建物が飛び込んできた。あれがアジトだ。

 

 「なあ、あのピザ屋覚えてねえ?」

 「あ――うわ! 覚えてる! 信じられない、まだやってたんだ!」

 オリーヴの家に泊まったとき、アダムとエマルは長期任務で家にはおらず、兄のアズラエルがいて、一度だけ手製の夕食をごちそうしてくれた。それ以外の食事は、ずっとあそこのピザだったことをフライヤは思い出した。オリーヴもフライヤも、料理は苦手だから。

 「ここらじゃ、あそこが一番古いかもな。店主はこの辺のヌシだぜ」

 ピザは相変わらずまずいけどな、オリーヴがそう言い添えて、歩道に立っているバス停をバンバン叩いた。錆びたバス停は、オリーヴの平手の威力で今にも折れそうだ。

 「明日から、ここまで乗りな。ここからならアジトまで五分だから。おめーが今日降りたトコは、危ない場所だから、ぜったいあそこで降りんじゃねーよ?」

 オリーヴは、コンコンとフライヤに言い聞かせた。やはり、ひとつまえで降りてしまったのか。フライヤは頷き、

 「もしかしてさ、オリーヴ、ここで待っててくれたの?」

 「ああ。でも時間になってもこねーから、もしかしたらいっこまえで降りたのかもって思ってさ。……マジでこの地区、昔よりヤベェから、フライヤは一人歩き絶対すんな」

 フライヤは重々しく頷いた。「ありがと、オリーヴ」

 「いいよ。あたしが任務とかでいないときは、だれかが必ずバス停まで送るし、迎えに来るから。アジトにひとり、残されるってのもねーから、安心しな」

 「……」

 ここまで親切な傭兵グループもないだろう。フライヤは、自分の幸運がまだ信じられなかった。

 

オリーヴは確かに友達だが、もともとL20の軍事学校の同級生というだけで、それほど親しくはなかった。

学生時代、シンシアが中心のグループに、フライヤはいた。オリーヴはオリーヴで取り巻きがいて、シンシアもオリーヴも、ふたりともグループの中心になるタイプだった。

ふたりも仲は悪くなかったが、特に親しいというわけではなかった。どちらかというと、ライバル位置だったとフライヤは思う。シンシアにべったりだったフライヤも、オリーヴと親しかったかと問われれば、はたして首を傾げる。

オリーヴは、誰とでも仲良くする性格で面倒見がいいから、おとなしかったフライヤにもよく声をかけてくれていただけだと当時、フライヤは思っていた。オリーヴに、夏休みに実家へ誘われたとき、シンシアが猛反対したのを覚えている。誘われたのはフライヤだけだったし――なにしろ、オリーヴは男も女も関係なく食ってしまうと当時から評判だったから。フライヤが狙われたとおもって、シンシアとオリーヴが一触即発になったこともある。だが、オリーヴは、今の今まで、フライヤに手を出したことは一度もない。オリーヴがフライヤを実家に誘ったのも、他意はなかった。

フライヤが思うより、オリーヴはフライヤを親しい友人に感じてくれていた。それだけのことだった。

結局、当時の言い訳としては、「フライヤならいいけど、ほかのダチ連れて帰ると、確実に兄貴に食われるからダメ」だった。それにはシンシアも納得した。オリーヴの兄アズラエルはカッコいいと評判だったし、むしろ食われたがる女子のほうが多かった。オリーヴは結局、フライヤだけを実家に誘った。

フライヤは、明るくて、いつもクラスの中心人物である特別なオリーヴが、どうして自分なんかを気にかけてくれるのか、いまだによく分からないところがある。