学校で、傭兵がリンチに遭っていても、ベンは視界に入れなかった。傭兵の女の子が、同じ傭兵の男たちに校舎の裏に連れて行かれるのを見ても心さえ動かされなかった。「助けて」という悲鳴も道端のスズメの声のごとく素通りした。ベンはあのとき、助けようと思えば助けられたのだ。ベンは小柄ではなかったし、格闘技も強い方だった。同年の傭兵三人くらいは叩きのめせる。だがベンには、傭兵を助ける義理はなかった。

 軍に入ってからも同じだ、今でもベンは傭兵を人間ではないと思っている。差別はよくないと上っ面で思ってはいても、心底に植え付けられた傭兵への差別は、そんなに簡単に消えはしない。

 だからエーリヒは、自分を心理作戦部に入隊させたのだ。傭兵や、L4系の原住民を、人ならぬ扱いができるから。

 拷問せよと言われたらいくらでもできる。あれらはベンにとって羽虫も同然だから。トンボの羽をちぎるのと、何の変わりもないのだ。

 

 だから――罰が、当たったのだ。

 

 ベンは、カイゼルの部隊に配属されたとき、そう思った。あの一年は地獄だった。地獄というものが生きながらにしてあるのなら、あそこがそうだった。

 傭兵は人間以下、軍事惑星のヒエラルキーの最下層だった。そしてベンは、そのヒエラルキーの二番目くらいに位置していたはずだった。一番上がドーソン一族だとしたなら、貴族軍人であるベンは二番目くらいだった。なのに、カイゼルの部隊では、自分がヒエラルキーの最下層に貶められた。

 罰が当たったのだと思った。傭兵を差別していた自分が、その傭兵と同じく、いつ無残に殺されてもおかしくない立場になった。周りは、いつかの自分と同じように日和見だった。巻き込まれたくないから、面倒だから、自分が死にたくないから、庇ってなどくれない。味方はいない。

 ベンは、自分が道端のゴミと揶揄していた傭兵と同じ立場になった。

 

 いつ殺されても、おかしくなかった。カイゼルの気まぐれで、どんなに無残な殺され方をしても不思議ではなかった。将校が、腹立ちの気まぐれに傭兵に発砲するように。スラムに死体を吊るして燃やすように。そうして殺されても、適当な理由をつけて殉職扱いにされる。

 あれほど全知能を使って生きていた時期はない。カイゼルの動向や心理を読むあまり、同化していたことは否めない。ただ日和見だった自分が残酷性をもつようになったのは、おそらくあまりにカイゼルに同化しすぎたせいだ。カイゼルに殺されないようにするために、彼の心理を探ったから。

 配属されて三日で悟った。ここから生きて出るには、カイゼルを殺さねば無理だと。まずその覚悟がなければ一週間しないうちに自分は死ぬ。カイゼルに犯されて病院行きとなり、虫の息でベンは悟った。

だがドーソン家の親類筋に当たるカイゼルを殺すには、衝動ではできない。正当防衛は通用しない。なぜならカイゼルがドーソン一族と繋がっているからだ。ヒエラルキーの頂点にいる人間を殺せば、ベンが軍法会議だ。カイゼルと心中も真っ平だった。だから一年待った。そのあいだに、自分以外の生贄を何度かカイゼルに捧げた。自分も何度か殺されかけたし、なりふり構っていられなかった。その贄もつきて、呼び出されたその晩、ベンはカイゼルを殺害した。アリバイは作ってあった。一年の間慎重に慎重を重ねてつくった仲間。この男は、恋人をカイゼルに犯されて殺されたのだった。ベンが今夜カイゼルを殺すことを告げると、涙を流してベンに感謝した。ベンの心はわずかも動かなかった。ただじんわりと、みじめさが胸を突いた。傭兵に菓子をやり、親にベンは優しい子だと褒められたときと同じ。

 (コイツもゴミだな)

 ベンは優しい目で彼の肩を抱き、励まし、心中で嘲笑った。

 (そんなに無念なら、自分が殺せばよかったのに)

 涙を流してベンに感謝したコイツは、自分でカイゼルを殺す勇気も知恵も、行動力もなかったのだ。彼がベンのアリバイを作り、カイゼルに死んでほしかった軍の者たちはみなベンに味方して、カイゼルを殺した犯人はついに見つからないまま終わった。

(まあ、俺もゴミだ)

 自分もゴミに違いなかった。まともな神経を殺すたび、自分もゴミだと自覚していったことを思いだす。猫の残したエサを貪り食っていたあの傭兵を思うと涙が出た。助けられなかった傭兵の女の子に、悪いことをしたと思った。ゴミにも生きる意志がある。少なくとも、俺は生きた。それ以後、ベンは傭兵をゴミだとは思うが、ゴミでも生きる意志の強いものは生きて、貴族軍人でもドーソン一族でもゴミはゴミだということを悟ったのだった。

 

 (なぜ、今頃になって)

 もう過ぎたことだ。ベンが犯人であることは、あのときの同志と、それからクラウドとエーリヒしか知らない。クラウドがあの事件をほじくり返したときは、正直、殺すつもりだった。だがあの男はベンの百倍賢い。殺せなかった。邪魔をされた。よりにもよって傭兵に。メフラー商社の傭兵だ。アズラエルではない。デビッドとかいう、おそろしく腕の立つスナイパーだ。クラウドの頭を撃ちぬこうとした短銃を、どこからかライフルで叩き落された。クラウドが死んだら、ベンもその男に殺される仕組みになっていた。ずいぶん高額な保険を掛けたものだ。ベンはクラウドを殺すことを諦めた。

 殺さなくても、いままでベンは無事だった。クラウドもあれきり、その話題を出すことはない。いままで、このことに触れて来たものはだれもいない。今日までは。

 

 (――殺すか)

 アイゼンの正体を見極めてから。あれは、正体を探ればベンもエーリヒも死ぬと言った。

(俺は、死ぬ気はない)

ベンはホルダーから銃を取り出し、手持無沙汰に弾を出して詰め直した。

 どうせ、今年か来年には地球行き宇宙船に、任務として乗り込む手はずになっている。その前後に消せばいい。アイゼンが、ベンが消せるレベルの人間だったら、の話だが。

 

 ぼんやりと顔を上げてテレビを見ると、五時前後のニュースが映っていた。

 『――の、モーム博士が今朝、死去しました。享年六十七歳……』

 (モーム博士)

 どことなく覚えがあった。(たしか、人体工学の、)

 そうだ、ヒューマノイド研究の第一人者だ。ベンが記憶を探っていると、テロップで、人体工学の権威であると流れた。死んだのか。死因は心筋梗塞。

 (俺は、ノンキに八十くらいまで生きたいな……)

 ベンは本当に呑気にため息を吐いた。今の生活を続けていたら、そんなことはきっと望めない。一日何回も、殺すとか尋問とか死体とかいう言葉がでてくる今の生活では。

 (可愛い奥さんと、子供がいたら子供いて、殺人とか差別とか、関係ない環境でさあ……人を殺すこととか考えないでいい環境で生きたいよ俺は)

 もともと、日和見なんだからさ。

ベンはすっかり、持ち前のヘタレ顔に戻った。可愛い奥さんどころか、彼女すらできない現状では。実家の見合いはしたくない。貴族軍人の女なんて嫁にもらいたくない。ただでさえ実家は、ベンが心理作戦部に入ってから冷たくなった。ベンがカイゼルの軍でひどい目に遭っていたことを知っても、まるで別世界で起きたことのように現実感がなかった家族だ。自分が生死の境を彷徨っていたことが、「あら大変だったのね」のひとことですまされたときは、もうダメだと思った。まともでないのはとっくの昔に分かっている。

 贅沢しか脳にない人間の集まり。貴族軍人は戦争に出ても、じぶんは安全なところで戦局だけ聞いていればいいのだから。ベンも、カイゼルの軍に移籍する前はそうだった。

 ぼんやりとニュースの画面を見ていたベンだったが。

 「あ、副隊長! ここでしたか」

 B班の上等兵が、自分の姿をみつけて敬礼していた。

 「エーリヒ総隊長がお帰りです。至急、総隊長室へおいで下さい」