ベンは呆気にとられ、それから怒りがわいた。返せだと? 

あれはアイゼンのものなのか。それ以前に、何の権限があって上官にそんな口がきけるんだ。ちょっとは口のきき方を弁えろ。ベンが反駁するまえにアイゼンは繋げた。

「エーリヒにも言っとけよ。あれは調べる価値もねえ。後ろ暗いモンなんかどんなに調べたって出てきやしねえさ。ただの、タイム・カプセルだ」

 「タイム・カプセル?」

 「そうだ」

 「……貴様が埋めたものなのか」

 「正しく言やァ、俺のダチの持ちモンだ。あの缶のなかにゃ、ボタンが入ってただけだったろ。椋鳥の模様が付いたボタン」

 「……」

 「あれは、俺とダチがもう一回会えたときに、ふたりで掘り出そうって決めたんだ。だから、あの場所になくちゃ困るんだよ」

 ベンが何も答えないのをみて、アイゼンは勝手に続けた。

 「あんたが俺の言ってることを疑う気持ちもわかる。俺だって、なんでアレがあんたの机の上にあったのか、訳がわからねえよ」

 「あのクッキーの缶をタイム・カプセルにして埋める子供は、貴様の年代ならある程度いるだろう。なぜあれが、貴様の友人のものだと言い切れる」

 アイゼンは苛立ったように頭を掻き、

 「このあいだ行ったら、アレを埋めてあった場所が、荒らされて、箱が取り出されてたんだ」

 「貴様の友人が掘り出したのでは?」

 「そんなわけはねえ。アイツは地球行き宇宙船に乗ってんだ」

 「地球行き宇宙船?」

 「ああ。あの場所を知ってるのは俺とダチと、俺の守役だけ。でも守役は知らんと言った。あの顔は、嘘はついてねえ。でも、あの箱はきっとダチのモンだ。ボタンが入ってたってとこ、あんた、否定しなかったじゃねえか」

 「――ボタンなど知らん」

 ベンの言葉に、アイゼンは急に表情をなくした。

 「軍部には何の関係もねえ箱だ。ボタンもな」

 「ではなぜ、それが軍部にあるんだ。ただのタイム・カプセルが?」

 「だからそれは、俺が聞きてえよ」

 「傭兵崩れの浮浪者あたりが荒らしたとは考えないのか。ふつうは真っ先にそう考えるんじゃないのか? 埋めた場所を、そんなにマメに見に行くくらいならな――なぜ貴様は、俺の机にあったアレを、自分のタイム・カプセルだと言い切れる」

 アイゼンは大きく舌打ちし、ベンを睨みつけた。瞬時に切れ味鋭い刃が喉元に突きつけられたようだ。ベンも、心理作戦部に来る前なら怯んだかもしれない。こんな目ができる男は、只者ではない。デスクワークで軍人生活を過ごしゆくはずの、情報分析科の引きこもりにはいない。

 アイゼンは、しぶしぶと言った口調で白状した。

 「心理作戦部の連中が、荒らしてたのを見た」

 「ダグラスか?」

 小声だがすかさず聞くと、アイゼンは頷いた。

 「椋鳥のボタンは、ただの家章だ。ヤマトも白龍グループも、メフラー商社もおなじ家章だ。そんなこと、ちょっと調べりゃすぐわかる」

 「――どうして、そんなものを埋めたんだ」

 「そんなことまで聞きてえのか」

 アイゼンの声に呆れが混じる。

「俺はただ、菓子箱を返せと言ってるだけだろう。あんた、ずいぶんまえからアレのことを調べてるみてえだが、なんにもでてきやしねえだろ? それどころか行き詰ってんじゃねえか、調査が。あたりまえだ、アレは、ガキが埋めたただのタイム・カプセルで――」

 「椋鳥のボタンの持ち主と、貴様は友人なのか」

 「……」

 「答えろ」

 「友人だったらなんなんだ」

 「仮にも、心理作戦部に属する血統書つきの軍人が、傭兵を友人と呼ぶとは恐れ入る」

 アイゼンはぽかんとした顔をし、次の瞬間には沸騰したように笑った。

 「そうだよなあ、心理作戦部にゃ、血統書がなきゃ入れねえよなァ」

 傭兵と友人だったら心理作戦部には入れないのかと、アイゼンはおどけて聞いたが、ベンは無視した。

 「貴様、何者だ」

 アイゼンはまた、ひたりと眼力の刃をベンの喉元に突きつけた。

 「俺と取引はするな。そして、俺の正体は探るな。あんたは死ぬし、エーリヒも死ぬ」

 「貴様は、誰を脅しているのか分かっていないようだな」

 「分かってるよ。カイゼルを殺した英雄だ」

 今度は、ベンが表情をなくす番だった。

 「怖ェ顔すんじゃねえよ。女がビビってる」

 水のおかわりをテーブルに持ってきたウェイトレスは、腰を抜かし、ベンの顔を見て悲鳴をあげて逃げた。カフェテリアから音が消えた。ベンは頭の遠くで、女が逃げるのをぼんやりと認識しながら、銃に手をかけている自覚はなかった。

 

 「いいか」

 アイゼンはベンに言い含めるように言った。例の、気味の悪い笑顔を貼りつけたまま。

 「俺は、アンタと取引きしてんじゃねえ。アンタは存外、物分かりの悪い男だ。貴族出身者と聞いたが、ずいぶんガチガチなんだな。いいから、今日俺の言ったことを一言一句間違いなくエーリヒに伝えろ。そうすりゃ、てめえが何を言おうが何をしようが、あの箱とボタンは俺に戻ってくる」

 「貴様、」

 「分が悪いぜ副隊長さん。エーリヒは俺を切るより、てめえを切るほうを選択するぞ」

 ベンは、ずいぶん後になってから、この場で銃を抜かなかったことを自身で誉めた。

 「あの、合理主義者はな」

 

 勝手に足が動いていた。めのまえのテーブルといすを蹴り飛ばし、さらに椅子を踏み抜いた。蹴り飛ばした椅子がだれかにぶち当たって、そいつが何かわめき散らしたがベンのひと睨みで黙った。アイゼンの引きつるような笑い声と、悲鳴とざわつきに追い立てられるようにしてベンはカフェテリアをあとにした――が、ここはベン、支払いは忘れなかった。財布からありったけの紙幣を抜いてレジに叩きつけた。テーブルと椅子の弁償代を抜いてもあまるだろう金額をだ。「ひいっ」と小さな悲鳴をあげてレジの女が引いたが、ベンには余裕がなかった。これで心理作戦部の評判がまた地に堕ちようが、もう堕ちるところまで堕ちているのでこれ以上堕ちようがないだろう。

 心理作戦部詰所の地下三階までもどるあいだ、ベンは何人に怯えられたか分からない。とにかくベンの形相はものすごかった。

 ふだん温厚なベンの、人も殺せそうな顔は、心理作戦部の人間にすら生唾を呑ませた。

 荒々しく自室に戻り、重厚なドアに拳を叩きつけ、サーバーのコーヒーを呷ってから顔を洗った。頭から水を被る勢いで洗い――やっと、落ち着いた。肩でぜえぜえと息をしながら鏡を見る。なんとか、いつもの顔に戻っていた。

 (落ち着け、いいか。冷静になれ)

 あれはもう時効だ。いまさら、だれがなにをほじくろうが、ベンは罪には問われない。

 

 ベンは、心理作戦部の談話室――たいてい、休憩中の隊員が何人かたむろしていて、テレビが始終ついている談話室へ向かった。ベンは、静かなところでは思考がまとまらない。適度にざわついていて、自分が空気になれるところがいちばんいい。談話室がベンの熟考には適していた。談話室は、誰かが話しかけてくる場合もあるが、最近は、ベンが考え事のためにここを利用しているのは隊員たちも分かっているので、ベンをそっとしておいてくれる。

 ベンは、いつもの彼にはないような、無作法な態度で古いソファに座っていた。両手をポケットに突っ込んで、足をだらんと投げ出して。さっき吸ったタバコが、頭の中を濁らせている気がする。

 

 あれは、あの男はもしかしたら傭兵かもしれないとベンは考察した。アイゼンは傭兵かもしれない。だとしたらあの蓮っ葉な口調も下品なしぐさも納得がいく。傭兵が友人だということも。心理作戦部は守秘義務が徹底しているため、貴族出身の軍人が多い。傭兵が心理作戦部に入隊できるわけがないのだが、アイゼンが隊長をエーリヒと呼び捨てしていたことから、エーリヒが彼の入隊に一枚かんでいることは容易に推察できた。

 エーリヒならば、もしかしたら傭兵をひとりぐらい心理作戦部へ紛れ込ませるような真似は、するかもしれない。

 

 (社会のゴミが)

 ベンは吐き捨てるように口の中で呟き、アイゼンへの嫌悪を露わにした。

 

 貴族出身者であるベンは、傭兵差別主義者の家庭で育った。だから当然ベンも、傭兵は人間以下だとしか思っていない。人間以下? いや、犬猫以下である。

 ベンの家では、ベンが子供のころ、丸々太ったシャム猫が飼われていた。母が同じような、宝石だらけの丸々太った指であの猫を可愛がっていた。猫は羽布団で寝て、栄養のあるものを食べさせられていたが、家で奴隷扱いされていた、戦争で片足をなくした元傭兵はまともに食べ物を与えられていなかった。シャム猫が食べ残したエサを、頬張っていたのをベンは覚えている。ベンは気まぐれであの男に菓子をやったことがあるが、両親にベンは優しい子だとさんざん誉められて、幼心に奇妙な思いを患った。それ以来、ベンはあの男になにひとつ分け与えなかったし、存在を視界に入れなかった。

 そのかわり、家で飼っていた猫を名前で呼ばなかった。ただのシャム猫としか、今も覚えていない。

 人間が猫以下など、そんなことはあってはならないことだ。けれど家族や周囲は、傭兵を人間として見なかった。ベンは、幼いころから一つずつ、自分自身のまともな感覚を麻痺させていった。

猫は死んだあと葬式までして墓を建てたが、男はスラムに打ち捨てられた。ベンは、せめて埋めてやればいいのにと思ったが、家族は「ベンは優しい子ね」といったまま、何もしなかった。ベンはでも、自分が彼を埋めてやることはしなかった。誰もベンには協力しなかったし、幼い子供ひとりで大人の男の死体を動かせるわけがなかった。

ベンは、そのことは忘れることに決めた。

 その後、道端で飢え死にしている人間を見ても、あれが傭兵だと分かれば野良犬がのたれ死んでいる程度にしか見なかった。幼いころはそれでも一度は、傭兵も同じ人間なのになぜこんなにも差別されるのかと疑問に思ったことはある。だがその疑問は周囲の大人に完全にすり潰されてきた。傭兵は社会のゴミだと、親にも周囲にも教わってきたし、ベンの周囲が、そろって同じ価値観だった。