八十五話 布被りのペガサス U



 

 少し時間をさかのぼる。

 アダム・ファミリーの赤いアジトには、今日も小包が配送された。

 あて先は、フライヤ・G・メルフェスカ様。送り主は、エルドリウス・H・ウィルキンソン。

 「今日は、なんだろうね」

 苦い顔を隠しもしないフライヤが小包を空ける横で、エマルが呑気に言い放った。菓子だったら、ご相伴にあずかるつもりである。

 

 この十日間――エルドリウスが、フライヤに奇跡ともいえる愛の告白をしたその日から、アダム・ファミリーのアジトには毎日のように、贈り物が届けられた。

 大輪のバラの花束にはじまって、宝石みたいな高級チョコレートが並んだ貝細工の箱、L5系の名高いパティシエが作ったマフィンの詰め合わせ、発売されたばかりのブランド物の香水。ジルコニアではなく保証書がついた本物のダイヤモンドのネックレスは、さすがに送り返した。

 大半が食べ物だったこともあって、フライヤが返すことを宣言する前にオリーヴが手を付けてしまい、フライヤはダイヤ以外を送り返すことはできなかった。結局香水はオリーヴがすごく欲しがったからあげたし、食べ物のほとんどはフライヤではなく、アダム・ファミリーのメンバーの腹に納まった。

 「いいから、貢がせておきな。あのひと、金はいっぱいあんだからさ」

 エマルのあっけらかんとした言いざまである。アダム・ファミリーの女性陣は、花より団子のタチで、今日は菓子かとウキウキしながら覗き込み、食べ物ではないと落胆する、その繰り返しであった。

 エマルもオリーヴも、エルドリウスのマメさに感心するだけして、たいして気にもしていなかったがフライヤは違う。理由もなく、(エルドリウスに言わせればフライヤが好きだから、という明確な理由がちゃんとあるが)こんなにプレゼントはもらえない。ダイヤを返品した際に、「これ以上いただく理由がありません。もう贈り物はやめてください」とはっきりと拒絶の返事を書いて送ったのだが、それに対しての返答は、L19行きの宇宙船のチケットだった。直接来て話せということなのだろうか。フライヤはチケットをデスクにしまったまま、放置していた。

 プレゼントは毎日欠かさず来る。今日も来た。赤いドットの包装紙に包まれて金のリボンを巻いた中身は、手触りからして、缶だ。

 フライヤは複雑な心境でリボンを解き、包装紙をはがす。ふわりと香る、――これは。

 プレゼントをもらって十日目、はじめてフライヤの顔が綻んだ。缶をあけるまえから漂ってくる。ベルガモットの高貴な香り――紅茶だ。

 

 「今日、紅茶じゃね?」

 鼻の下にボールペンを挟んでヒマそうに足を大股開きさせる格好。エマルにだらしないと蹴飛ばされながらオリーヴは、デスクの向こうから聞いてきた。フライヤが思わずうなずくと、

 「エルドリウスさんがさ、フライヤの好きなモンなんだって聞いてきたから紅茶って教えてやったんだ」

 得意げに鼻を鳴らすオリーヴの言葉通り、大きな缶のなかには、高級ブランドのアールグレイとダージリンの缶がひと缶ずつ、それに紅茶のクッキーが入っていた。

 フライヤの顔は、隠しきれずに輝いた。

 エルドリウスからのプレゼントだという点では複雑だが、フライヤは今日初めて、プレゼントを心から嬉しいと思った。

 この紅茶缶は、フライヤには一生手が届かないと思っていた代物である。いや、一生に一度でいい、L55の本店に行って、飲んでみたい。そう思っていた有名な老舗ブランドの名品であった。フライヤは今日だけは心から、エルドリウスに感謝した。一瞬、つきあってもいいかなと思ったほどである。

 

 「なんだい、菓子じゃないのかい」

 あからさまに落胆したエマルの声が聞こえたが、フライヤは、エマルに紅茶のクッキーを手渡した。エマルにとっては、小腹がすいた時の足しにもなりはしない小さなクッキーの包みだったが、とりあえず「お茶にしようか」と立ち上がった。クローゼットの中に、ビスケットの缶があったはずだ。

 「この紅茶、みんなで飲んでみませんか」

 エマルもオリーヴも、フライヤの提案に一もにもなく乗った。今日は、男どもは任務で留守だ。

 「野郎どもにゃ、繊細な紅茶の味なんてわかりっこないしねえ」

 エマルもオリーヴも、繊細な紅茶の味が分かるかどうかに関しては、野郎どもとドッコイなのだが、それでも女三人で、高級な紅茶の味を楽しんだのだった。

 

 それが、金曜日の話。

 土曜日、フライヤはL19のスペース・ステーションに立っていた。

アダムたち男性陣が長期任務に入っていることもあって、アジトに残った女性陣は特にすることもなかったので、土日月と、エマルはフライヤに休みをくれた。傭兵家業というものはそういうものだ。忙しいときは半年も休みなしになることがあるが、ひとつき、やることがないときもある。

 別に紅茶を貰ったからというわけではないが――フライヤは、エルドリウスに会いに、L19を訪れていたのであった。

 紅茶は嬉しかったが、これ以上のプレゼント攻撃はフライヤの心理的負担にもなるし、あきらめてもらうにしろ何にしろ、一度直接会って話さなければ埒が明かないと判断したためであった。

 

 フライヤは、エルドリウスに贈り物をやめてもらうようアダムから言ってもらおうとしたのだが、「いいから、受け取っておけ」とアダムも取り合ってくれなかった。オリーヴとエマルに至っては、エルドリウスが破産するまで貢がせろとすっかり笑い話で、だれもまともに取り合ってはくれなかった。

 エルドリウスに告白はされたものの、フライヤは一度は断った。あたりまえである。いきなり初対面の人間に――しかも、天敵のような軍人に愛の告白をされたところで、受ける傭兵がいるだろうか。年齢もだいぶ上だし――、断る理由なら、星の数ほどあった。フライヤのはっきりとした拒絶も、エルドリウスには通用しなかった。こういうとき、軍事惑星の男はしつこくて困る。

 エルドリウスがタイプじゃないと言えればよかったのだが、「じゃあ、どんな奴がタイプなんだよ」とオリーヴに聞かれるとこれまた返答に窮した。フライヤには、好きな男性のタイプ、というものがなかった。というより、色恋自体に、あまり興味がないのだ。フライヤはエルドリウスに告白されて初めて、それをはっきりと自覚した。

 フライヤ並みにモテなかろうが、恋をしたがる同級生はいたし、そういう子は、いつのまにか相手を見つけていたものである。フライヤが、それほどだれかと付き合いたいと思うことがなかったから、彼氏ができなかった。それだけのことだったのだと、はじめて、気づいた。

 エルドリウスの優しそうな目は好ましいと思うし、嫌いではない。だが、それだけだ。彼と恋ができるかと問われれば、頷けない。分からない。年上すぎるとか、軍人と傭兵の関係だとか、付き合えない言い訳は山ほどあったが、それらを通り越して、動かしようのない現実があった。恋だのなんだの、よくわからない。そういうことだ。

 フライヤは、正直にそれを告げるつもりでいた。そこまでいえば、エルドリウスも諦めるだろうと思ってだ。

 フライヤは頭はよかったが、色恋沙汰に対しては、知識も経験も、圧倒的に足りなかった。エルドリウスが、その程度の認識で諦めると思っている、甘い判断である。