フライヤは、L19のスペース・ステーションで、エルドリウス邸までの距離を確かめた。フライヤはバスと電車を乗り継ぎ、彼の家がある街まで行ったところでタクシーを使った。そこではじめて、エルドリウスは今日、在宅だろうかと気づいた。忙しい人間だと言っていた、おまけにアポなしで来て、入れてもらえるのだろうかと今更気づき、慌てたがタクシーはあっさりフライヤを館の前で降ろし、走り去った。

 めのまえには、広い邸宅。それでも、軍事惑星群の由緒ある名家の敷地の割りには、閑静なほうだろう。屋敷はむだに大きいとは思えなかったし、手入れの行き届いた小ぢんまりとした庭が、フライヤが立っている門のところからも見えた。

 いなかったらいなかったで仕方がない。往復の旅費は、フライヤが懐を痛めたわけでもない。それにここまで来てしまったのだ。

勇気を出して門外のインターフォンを押すと、『どちらさま?』という女性の声がした。

 「あ、あの――」

 フライヤの声は緊張で上擦った。

 「フライヤ・G・メルフェスカと申しますが、エルドリウス大佐は御在宅でしょうか」

 返事は、すぐになかった。向こうで、物音がする。将校の自宅にアポなし訪問など、怪しまれても無理もない。フライヤは急に怖くなって逃げ出しかけたが、その足を止めるように、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 『御在宅だよ』

 エルドリウスの声だった。『よく来てくれたね。まさか、来てくれるとは思わなかった。さあ入って。――いや、私が迎えに行こう。そこにいて』

 

 

 そして数分後。

フライヤはガチガチに固まったまま、屋敷内の応接間でもてなしを受けていた。

庭が見渡せるバルコニーの、小さなテーブル向かいにエルドリウスがいて、あのやわらかい笑顔を、フライヤに向けている。

 

 「よく来てくれたね。君のことだ、勇気がいったろうに」

 「え? ――あ、はい……」

 「来るだけでくたびれただろう。バスと電車とタクシーを乗り継いで?」

 「あ、はい……」

 「それは大変だったな。来ると分かっていれば、私が迎えに行ったのに」

 「い、いいえ……突然お邪魔したのは私で……」

「オリーヴは元気かね。相変わらずの食欲?」

 「はい……」

 「なら、またピザを持って遊びに行かなきゃな」

 

 エルドリウスはフライヤの緊張を解そうと、当たり障りのない会話を続けてくれているが、フライヤはそれに対してあいまいな頷きを繰り返すのみだった。早くも、「なんでこんなところに来てしまったんだろう」という緊張のループに嵌っていた。

 だがエルドリウスは、そんなフライヤに無理に話させようというのでもなく、話のネタを考える節もなく、ごく穏やかに会話をつづけ、ティーポットを覆っていたティーコジーを外すと、フライヤのカップに紅茶を注いだ。

 この香りは、エルドリウスがフライヤに送ってくれたメーカーの、ダージリンだ。

 

 「あ、あの――」

 「ン?」

 「紅茶、ありがとう、ございました。その、……美味しかったです」

 エルドリウスは、にこりと笑んだ。

 「ようやく、喜んでもらえたか。あれも送り返されたら、正直、打つ手なしといったところだったよ。紅茶が好きなんだね?」

 「え、あ、はい、」

 「なら、毎月送ろう。毎週かな。毎週のほうがいいかな。私も紅茶が好きでね。君に送ったブランドは私が普段飲用しているメーカーだ。ほかにも美味しい種類があるから、――そうだ、ハーブティーは好きかね?」

 「あ、ああ、えと、そのですね、」

 フライヤは、そのためにここへ来たのだ。言わなければならない、どんなに緊張していようとも。

 「贈り物をやめろという話なら、聞かない」

 フライヤが何か言う前に、エルドリウスは笑顔を崩さぬままきっぱりと言った。

 「君が贈り物をやめろというなら、私は毎日、君に薔薇の花束と一緒に紅茶を送りつけることにするが、それでもいいかね?」

 「……」

 「毎日だよ?」

 フライヤが、困ったように顔を背けるとエルドリウスは、「よろしい」と微笑んだ。

 「フライヤ、」

 「は、……はいっ?」

 急にエルドリウスが手を伸ばしてきてフライヤの頬を撫でたので、フライヤは飛び上がるところだった。

 「私はね、多忙なんだよ」

 優しい手が、フライヤの頭を、黒髪を愛おしそうに撫で、一筋零れていた前髪を軽く引っ張った。いたずらに。フライヤは、窒息するなら今できる、というくらい息を詰めた。

 「いないんだ、滅多に。この家にはね。今日、今の時間、この家にいたのもほぼ偶然に等しい。私はほとんど軍にいて、家に帰るのは二三ヶ月に一度だ。今夜からはまたL22へ発たなければならない。君はアポなしでここへきて、私に出会った。それがどれだけ奇跡的なことか、君には分からないだろうな」

 「……」

 「運命だよこれは。そうは思わないかね」

 「お、お紅茶、いただきます!」

フライヤが飲んだ紅茶が、ごっくんと、大きな音を立てて喉を滑り落ちていった。

「フライヤ、私と一緒においで」

エルドリウスは自分の紅茶に口をつけずに、微笑んだまま席を立った。

「見せたいものがある」

 

 

応接間を出て、廊下を歩く。見かけよりこの家の内部は広かった。フライヤは、前を行くエルドリウスの背を見つめた。父親は、こんなに背が広くはなかった気がする。父親も母親も小柄で、こんなにまっすぐな背はしていない。フライヤは、エルドリウスに父の影でも見ようと思って失敗した。前を歩くそのひとに、どうしても父の影は重ねられない。無理だった。父より背が高いし、男前だし、父親にしか見えませんという言い訳は、無理だと発覚した。――フライヤは、俯いた。

いつ断ったらいいだろう。タイミングが伺えない。自分が断っても、エルドリウスはまだ自分を好きだというのだろうか。今更どうして、男の人が――ましてやこんなに素敵な人が、自分を好きになるはずがない。どうして。

こんな雲の上の人間が、私のことを好きだと、本気で言っているのか。

 

「あら」

フライヤは、階段を上がったところで、エルドリウスと同じ年ごろの女性とすれ違った。俯いていたフライヤは気づかずに通り過ぎるところで、あわててお辞儀をした。さっき、インターフォンに出た女性だろう。

美しい、と言える顔立ちではなかったが、ひどく人懐こい容姿だった。百人中九十九人は、ひと目見て彼女をいやな人間だとは思わないだろう、たった一人のひねくれ者がいたとしても。そういう容姿だった。

「ご挨拶が遅れたわ、私はシルビア」

「は、はじめまして。フライヤ・G・メルフェスカです」

シルビアとエルドリウスが並べば、夫婦と言っても過言ではないくらい似合いだった。しかし、エルドリウスは独身だとアダムたちは言っていた。シルビアは、何者なのだろう。兄妹にしては似ていないし、恋人と言った様子でもない。

「とてもあたまの良さそうな子ね、エルドリウス」

「うん? 頭は良さそうだね。それに、可愛い子だよ」

フライヤは、自分の肌の色を呪った。赤面すれば、すぐ顔色に表れる肌である。だがエルドリウスもシルビアも、そのことをからかわなかった。むしろ、突っ込んでくれたほうがマシなくらいの恥ずかしさである。

「ね、可愛いでしょう」

エルドリウスがフライヤの頭を撫でるのに、シルビアが呆れ声で窘めた。

「あまり困らせてはダメよ。それに、泣かせるのもダメ。あなたはあっちこっち飛び回ってばかりで、恋人をちっとも構わないんだから」

「フライヤの場合、私が泣く羽目になるかもしれないな。あまりにつれなくて」

夫婦にも似た男女は笑いあった。「ごゆっくり」シルビアはさっさと階段を下りていく。フライヤは、なんとなくふたりが似ていると思い、容姿は似ていなくてもやはり兄妹かもと思った。