九十二話 ライオン、ふて腐れて子持ちになる



 
 「スピード出産?」

 

 一緒に朝食を食べるために、アズラエルとルナの部屋へ来たクラウドとミシェルが、ピエトを見た第一声がそれだった。

 

 「あたしは産んでないよ」

 「でもアズラエルにそっくりだよ? マジでミニチュアだよ?」

 「頼む。それを言うな」

 ミシェルの台詞はアズラエルには恐ろしいダメージを与えるらしく、剛毅な彼にしては弱々しい声で唸った。

 クラウドはじいっとピエトとにらみ合っている。いや、一方的に睨んでいるのはピエトだったが。

 「この子はアズに似てるっていうか――いまのアズをそのまま子どもにしたような感じだよね。アズの子ども時代には似てないよ」

 「この子じゃねえよ! ピエトだって言ったろ!!」

 「うん、あたしも最初はすっごいアズに似てるって思ったけど、良く考えればそうなんだよね」

 ルナも頷いた。アズラエルの子ども時代は、遺伝子レベルで成長の過程を間違ったのではないかと思うくらい美少年だった。クラウドは何を思ったか、いきなり部屋を出ていく。

 「ルナ! あいつ、腹立つ!」

 ピエトがルナのエプロンにしがみついて吠える。

 「クラウドも不思議な人だけど、悪気はないんだよ。さ、席についてピエト。朝ごはん食べよう」

 一晩明けたら、すっかりお母さん仕様になっているルナに、アズラエルはげっそりと肩を落とした。

 

 「ピエトはどこから来たの?」

 「エルト!」

 「エルトって、どこ?」

 「L85だよ。ラグバダ族はL85のことエルトって言うんだって」

 ルナが代わりに応えた。ミシェルはふうんといい、ピエトが今度、ミシェルに聞いた。

 「ミシェルは? ミシェルはどっからきたんだよ」

 「ルナとおんなじー。L77だよ。……てか、ミシェルはねえな。ミシェルおねえちゃんとか呼んでよ」

 「はあい。ミシェル姉ちゃん」

 ピエトは、女には大変に愛想がいい。ミシェルと一緒にルナを手伝い、こんがり焼けたソーセージとサラダと目玉焼きがのった皿を、テーブルに運ぶ。

 「コーヒーは熱くて危ないからあたし運ぶね。ピエトは冷蔵庫からヨーグルト出して」

 「わかった」

 ルナに返事をして冷蔵庫からヨーグルトを出すピエトは、昨日今日会ったばかりとは思えないほど馴染んでいる。大人げないとは思いつつ、認められないのはアズラエルだけだ。

やがてクラウドが戻ってきた。手に冊子を携えて。

 

 「これがアズの子ども時代」

 クラウドはアルバムを取りに行っていたのだった。古びた紙製のアルバムを開き、写真をミシェルとピエトに見せると、ふたりは揃って顎を外した。

 「「詐欺だろ!」」

 ミシェルとピエトが、アズラエル本人と写真を見比べて放った言葉は、奇しくも同じだった。

 「てめえらは、よほど俺を打ちのめしたいらしいな……」

 凄むアズラエルの声にも、珍しく元気がなかった。

 「え!? なんで? アズラエル、マジ綺麗……っていうか美人だよこれ!? 何があったの!?」

 「……女じゃねえの? ウソみてえ」

 「このまま成長してたら、クラウドも真っ青の美形になってたんじゃない? エキゾチック系の!」

 「アズは、アズのママにそっくりなんだ」

 「ねえ。アズラエルってば傭兵にならなくてもモデルとかで食べていけたんじゃない」

 アズラエルとクラウドは寸時見合い――「そういうテもあったな」とアズラエルが肩を竦めて終わった。せめて筋肉ダルマになるまえだったら、可能性ぐらいはあったかもしれない。今日のアズラエルは、どこか心ここにあらずだ。

 クラウドはネタを放るだけ放っておいて席につき、コーヒーと新聞を手にした。ルナは焼けたパンを籠に入れて、テーブルに持っていく。

 「はーい、ミシェルとピエトはリンゴジュースね。コーンスープいるひと?」

 クラウドとミシェルとピエトが挙手。アズラエルはすっかりふて腐れてパンをむしっていたが、ピエトはコーンスープをふうふう言って飲み、「これうめえ!」と歓声を上げた。アズラエルは聞かなかったふりをして、食事に没頭した。

 

 

 

 「ルーム・シェアっていうには……子どもだよね」

 朝食が済み、片づけを終えた彼らは別々の部屋にいた。アズラエルとクラウドは、クラウドたちの部屋のほうへ移動し、エスプレッソと新聞の時間。

 「ルーム・シェアなわけあるか。なんでガキの面倒なんか見なきゃいけねえんだ」

 アズラエルは不機嫌極まりない。クラウドは新聞を眺めながら、アズラエルの半ば愚痴にも似た、ピエトの境遇と、一緒に暮らすことになった経緯を聞いた。もっとも、クラウドが聞かなければ、このふて腐れた幼馴染みは、説明する気もなかったろうが。

 

 「ラグバダ族に、アバド病ね。難題ばかりだけど、まあ、ピエトの場合、このままちゃんと治療を続ければ治るって話だし、ルナちゃんには懐いてる。心配ないんじゃない」

 「てめえが一緒に暮らすわけじゃねえからな」

 「俺は憎めないけどね、」

 「ああ?」

 「ピエト。……笑えるくらいアズに似てる。まるでミニチュアだ」

 「嬉しくねえよ」

 アズラエルが吐き捨てた。

 「アズ」

 クラウドは苦笑する。

 「アズの気持ちもわかるよ。本当かどうかは知らないけど、K19区の子どもがなぜだか早死にしてしまう――そんな話を聞いたなら、ルナちゃんに近づけたくないと思う気持ちはわかる。俺だってそうだ、死を予告された子をミシェルに近づけるのは嫌だ。結末には、ミシェルの涙しか待っていないわけだから」

 「……だったら、」

 「でも、その話だって不確定要素が多すぎる。原因が、分からないんだろ? タケルだってメリッサだって、不安は持っていても、ピエトが死ぬんだと信じ切ってるわけじゃない。あたりまえだ、彼らだって、どうあってもピエトを助けたいはずだ」

 「で?」

 「子どもがK19区に住んでいれば死ぬって言うんなら、そこから出せばいい」

 「は?」

 アズラエルがマヌケな声で返した。クラウドは至極、まともな顔で言った。

 「タケルもメリッサもそう考えたんじゃないかな? K19区の子どもが死ぬって言うなら、その区画に住まないようにすればいい」

 「……おまえの意見にしちゃ、ずいぶん単純だな」

「単純でもなんでも、できることはやってみたほうがいい。ピエトは、タケルたちが何度言っても一緒に住むことはしなかったんだろ? タケルの居住区は、中央区近くのK39だ。ほんとうなら彼らは、ピエトをK19区から出して、K39区に住まわせたかった。だが基本的にこの宇宙船は、乗客が移転したいと届け出なければ、引っ越せない。すなわち、担当役員が確たる理由もなく、乗客の住処を勝手に変えるわけにはいかないわけだ。だから、ピエトの居住区が変わる今回の件は、彼らにとっても渡りに船だった――」

 「おいおい、」

 「勿論それだけじゃない。たぶん、……ルナちゃんだね」

 「ルナ?」

 「そう。肝心の理由は、ルナちゃんだとおもう。彼らは、ルナちゃんに、ピエトが助かるかもしれない、何らかの希望を見出した」

 「何らかの希望ってなんだ」

 「それは俺も分からない。だけど、彼らにとっても賭けなんじゃないかな」

 「……アイツには、なにもできやしねえ」

 「それはどうかな」

 クラウドは言ったが、「まあ、いままでのは俺の考えで、ピエトと一緒に暮らすかどうかは、最終的にはアズラエルとルナちゃんの自由だ」と付け加えた。やはり苦笑を湛えながら。

 「アズらしくないな。そんなにピエトが気に障るなら、やっぱり無理だとルナちゃんに言えばいい。一緒に暮らさなくても、ルナちゃんがピエトにできることはある。アズラエルがやっぱり一緒には暮らせないと、今思ってることを真摯に説明すれば、ルナちゃんだって分かってくれるよ」

 「……」

 「さっきの朝食での態度はよくない。あれじゃ、ルナちゃんが傷つくよ」

 ピエトも、という言葉は、クラウドは出さなかった。なんにせよ、いつものアズラエルだったら、一緒に暮らすことに決めたなら、いつまでも大人げない態度は取らない。そこまで嫌なら、断固としてピエトは帰している。アズラエルがこんなに中途半端な態度を見せるのも、珍しいことだ。

 「あの子がアズに似てるから、ルナちゃんも世話をしようと思ったんじゃないの」

 クラウドの台詞にアズラエルは困惑した顔を見せ、それから小さく首を振った。

 「たぶん違うな。アイツは、ガキが好きなんだよ。きっと、根っからな」

 アズラエルは昨夜のルナの嬉しそうな様子が忘れられない。最近落ち込んでばかりだったルナが、久々に見せた、生き生きとした顔。沈んでばかりいられるより、元気な顔が見たいに決まっている。だが――。

 「てめえが言いたいことは分かってるよ。これは単なる嫉妬だ」

 「……」

 「アイツにあんな顔をさせるのが、俺じゃなく、ぽっと出のガキだってことがな……」