ルナとミシェルとピエトは、ルナたちの部屋に残ってテレビを見ていた。ピエトが宇宙船に乗ってからずっと見ている「寒天戦隊、ゼラチンジャー」。ゼラチンパワーで怪獣を倒す、五人の正義の味方。ルナは突っ込みどころが不明で口をもぐもぐさせていたが、ピエトは大はしゃぎだ。凶悪な怪獣がゼラチンで固められたあとは、心なしかほっとした。おやつのゼリーを食べる気はしなくなったが。ミシェルもだ。 番組がちょうど終わったあたりに、クラウドとアズラエルがルナたちの部屋に戻ってきた。 「おい、時間だ。リズンに行くぞ」 アズラエルがそう言った。タケルとメリッサと、リズンで待ち合わせしているのだ。まだ、昨夜の段階では、ピエトがルナたちと一緒に暮したいと望んでいることは、タケルたちには告げていない。 アズラエルはやはりしかめっ面だった。今朝もずっと不機嫌だ。ルナはしゅんとしていた。昨日は一応、いいと言ってくれはしたが、やはりアズラエルは、ピエトが一緒に暮らすことに納得してはいない。ルナはわがままを言いすぎたかもしれないと落ち込んだ。ピエトもアズラエルには話しかけないし、アズラエルもピエトを視界にいれないようにしている――気がする。 「ルナー、リズン行くんだったら、帰りにカフェ・モカお願い!」 「うん、わかった」 ミシェルに元気のない返事をしたルナは、カーディガンを羽織り、「じゃ、アズ、ピエト、行こうか」とバッグを提げて、ピエトと手を繋いで玄関を出た。 リズンへ向かう道すがら、ピエトはスキップしながらルナたちよりずっと前を歩きだした。いつもせっかちなアズラエルは鈍い足取りだった。ルナが余裕で横並びできるほど。 「あ、あのね――アズ」 「なんだ」 ルナは、前を行くピエトに聞こえないほどの小声で言った。 「……昨日は、ごめんね」 「……」 うさぎの両目には、今にも涙が浮かびそうだった。アズラエルは絶叫したかった。頼むから泣いてくれるな。ルナの笑顔にも弱いが、涙には極め付けに弱いのだ。 「あたし、調子に乗り過ぎたかも。――やっぱり、いっしょに暮らすのは無理だよね。一緒に暮らさなくても、ピエトとは会えるし――だから、あの、」 ルナは、できるならアズラエルとピエトと、三人仲良く暮らしたいのだ。だが、それをアズラエルに強要する気はなかった。アズラエルがどうしても嫌なら、ルナは押し通す気はない。ピエトが心配なのは確かだが、ピエトにはちゃんと、タケルとメリッサという、ルナ以上にしっかりした養父母がいるのだ。 「……バカ野郎。一度決めたことを覆すな」 「……ふえ?」 「てめえは昨日、ピエトに言ったんだろ、一緒に暮らすって。俺も認めた」 「アズ」 「悪かったよ。大人げなかった。――俺は嫉妬してただけだ」 最近元気がなかったおまえの笑顔を取り戻したのが、あのガキだってことに、ムカついてただけだ、とアズラエルが言うと、ルナは目を真ん丸にした。 「なにいってるの。アズが、アズがあそこに連れて行ってくれなかったら、ピエトとはあえなかったんだよ?」 勢いよく言った。そして、たどたどしく呟いた。 「アズが、あたしを心配してくれてたのも分かる。あたしの周りはすごい子ばっかりで、あたしは何にもできないって落ち込んだりしたけど、アズがいっしょにいてくれるから、あたし、元気でいられたんだよ」 思いもかけない言葉に、アズラエルのほうが目を見開く番だった。 「あたし、アズが大好きだもん……! ほんとに大好きだもん……」 「ルゥ、」 「だから、へんな嫉妬、しないで」 潤んだうさぎの涙目は、ライオンのふて腐れた気分を総ざらい吹き飛ばした。ひょいと抱えて瞼にキス。人通りが全くない道だったというのに、触れ合った唇同士が、今一歩深いものにならなかったのは、ピエトが真ん丸の目をこれでもかと見開いて観察していたからだ。 「え? ちゅうしねえの?」 「……してほしかったら、俺の視界から失せろ」 さっきのテレビ番組の怪獣ほど凶悪に凄んだアズラエルはやはり大人げなかったが、ピエトはまったく悪びれもせず、ルナは「子どものまえで!」とアズラエルをぺけぺけしたのだった。 リズンは、まだ朝早いこともあってかひと気は少ない。すでにタケルとメリッサはカフェテラスにいた。ルナたちの姿を認め、メリッサが立ちあがって深々とお辞儀をし、ルナもまたぴょこん、とお辞儀をした。タケルが「ピエト君がお世話になりました」というと、アズラエルが「世話ってほどの世話もしてねえよ」とかえした。 ピエトが、ルナたちと一緒に暮らすという話は、呆気ないほど簡単に進んだ。ピエトがルナと暮らすことを主張すると、タケルとメリッサが承諾したからだ。あっさりと。 それはもう、アズラエルもルナも拍子抜けするほど、あっさりとしたイエスの返事だった。 昨夜ピエトが言った通り、船客の望みはできうるかぎり叶えるのが担当役員の義務だ。そのためなのか、タケルはあっさり譲歩した。だが、ルナとアズラエルに、了承を取ることは忘れなかった。ルナはもちろん頷いたが、アズラエルも「いいよ」と言ったのには、ピエトが少し、驚いていた。 そのあとは、ピエトの通院に関する注意事項や、ピエトの学校のことなど、さっさと話が進んでいった。まるでタケルは、ピエトをルナたちに預けることを、とっくに決めていたかのようだ。実に用意が良かった。 K19区の学校は、K27区から通うには少し遠すぎるので、K16区の学校への転校手続きも、ピエトが毎月もらう報酬の半分を、ピエトの生活費としてアズラエルの口座に振り込む手続きなどもその場で済ませた。 「お手間だとは思いますが、毎日、何時でも構いませんのでピエト君の様子をお知らせください。面倒なときはメールでも構いません」 「はい」 「ピエト君はアレルギーは今のところありませんし、アバド病に関しても、食事制限はありません。ただ、規則正しい生活はさせてください。夜はちゃんと七時間以上の睡眠をとらせて、夜更かしさせないように、」 「はい」 タケルはもと医者ということもあってか、ピエトの生活が規則正しくなるようにと何回も強調した。アズラエルは特に今日は口をさしはさむことはせず、ルナが全部受け答えした。メリッサも終始黙っていたが、話が終わって席を立つ時点で、ルナとアズラエルに向かってまた深々とお辞儀をした。 「ルナさん、アズラエルさん。どうかピエトをよろしくお願いします」 ピエトはタケルとメリッサのほうを一度も向かなかったが、メリッサのピエトを見る目がひどく慈愛に満ちていて、ルナはどきりとした。バーベキューパーティーのときから、怖い人だというイメージが強かったメリッサだったが、懐いてくれないピエトを、可愛がっていたことはたしかだったのだ。 ルナは唐突に、二人に対して申し訳ない気持ちが込み上げた。これではまるで、ふたりからピエトを取り上げているみたいだ。 そんなルナの気持ちを感じ取ったのかメリッサは、微笑んで言った。 「本当に助かりました。もっとピエトに時間を取ってあげたかったけれど、ままならないことが多くて。タケルも一度は反対しましたが、お気持ちは嬉しかったんですよ。ありがとう、ルナさん」 そうそう、サルディオネ様も、またお会いしたがっていました、とメリッサはいい、ルナの手を優しく取った。 「何か困ったことがありましたら、すぐに相談してください」 ルナは、メリッサになにか言おうとしたが、今度はタケルが手を差し出した。ルナはびっくりして戸惑ったが、タケルが握手を望んでいるのだと気付いて、あわてて自分も手を出した。 「ルナさん――どうか」 タケルの目に必死さが隠れている気がしてルナは、一瞬戸惑った。 「ピエトを――救ってください。お願いします」 ――え? タケルにしては早口で、真正面にいたルナにしか、言葉ははっきり聞き取れなかったかもしれない。 タケルはちょっと微笑んですぐ手を離し、ルナには聞きかえす隙がなかった。 ――今、タケルさんはなんて言ったの。 ルナの、聞き間違いではなかった。 よろしくお願いします、ではない。 彼は確かに、「救ってくれ」と、言ったのだ――。 |