「なあ、帰りは三人で食事でもしてくるんだろ」

 アズラエルの言葉に、メリッサはやっと涙顔を上げ、笑顔を取り戻した。今日は学校のなかを案内されて、所属するクラスで自己紹介をしてきて、一時間ほど授業を受け、昼前には終わりだ。タケルがハンカチを彼女に手渡しながら、「ええ、ぜひそうして来たいと思います」と言ってから、はたと気が付いたように付け加えた。

 「ピエト君、レストランで食事、できるのかい……?」

 大人四人が息を詰めて――ピエトの返事を待った。ピエトは非常に困った顔をしながら、目だけで二度、三度、ルナとアズラエルに助けを求めたが――ルナとアズラエルは何の助け舟も出してはくれなかった。

 仕方なく、ピエトは顔を背けながら呟いた。

 「ゼ、ゼラチンジャーのついた、オムライス……」

 「え?」

 ピエトがやっと、絞り出すように言ったひとことが、それだった。タケルとメリッサは同時に疑問符を飛ばしたので、ピエトは口を尖らせながらもう一度言った。

 「ゼラチンジャーのついたオムライスがいい。……なかったら、カルボナーラでいい」

 タケルとメリッサは、ゼラチンジャーの意味が分からなかったのですこし固まったが、すぐに「わかった、そうしよう」と笑顔になった。きっと行きの車中で、ふたりはゼラチンジャーのことをピエトに尋ねるだろう。

 

 「は、早く行こうぜ! 学校、遠いんだろ!?」

 なぜだか分からないが、ピエトはひどく照れたような顔をして、タケルとメリッサをせっついた。

 「ルナ、アズラエル、行ってきます!」

 タケルとメリッサが挨拶をするまえにピエトは二人を玄関の外に追いだし、無理やりドアを閉めた。アズラエルは苦笑し、ルナはドアの外にも聞こえるように大きな声で、「いってらっしゃい!」と叫んだ。

 

 



 

 「……だからさ、アズとルナちゃんからも言ってよ」

 

 さて、こちらはクラウド。朝から泣きそうだった。今日は朝から半泣きの人間が多いとルナは思いながら、クラウドの台詞を流した。アズラエルはとっくの昔からスルーである。

 「ミシェル、アリスの夢を見たっていうのに、内容は言えないんだって。……どうして? 俺に言えない夢でも見たの?」

 「俺に聞くな」

 半泣きのクラウドをウザそうに追い払いながら、アズラエルはコーヒーを飲んだ。

 「ルナちゃんは? ルナちゃんは、夢を見てない? ミシェルと同じ夢を見たとか」

 「う、う〜ん……悪いけど、今日は、あたし見てないや……」

 ルナはクラウドに大層申し訳ないと思ったが、ほんとうに夢は見ていなかった。見ていたら、ちゃんとクラウドに報告している。

 

 「なんで? マジでどうして? たかが夢だろ? 秘密にすることはないじゃないか。なんで俺に言えないの。俺に言えないような夢でも見たの。たとえば浮気を暗示する夢とか。俺以外に好きな男ができた夢とか!」

 ルナはアズラエルと顔を見合わせた。クラウドの落ち込みようはひどかった。クラウドはイケメンを超越した美形で、人の百倍頭もいいのに、ミシェルが関わると、どうしてこう残念な男になるんだろう。

 「き、きっと、ミシェルが言えないのにも、何か意味があるんだよ……。たぶん、クラウドに言えない夢とかじゃなく、」

 ルナは精いっぱい励ましたが、クラウドの元気は戻らなかった。

 

 今朝は、ピエトの登校のために、ルナとアズラエルはピエトとともに朝早く朝食をとった。いつもの時間よりずいぶん早かったので、今日の朝食は別々に、クラウドとミシェルも久々に自室で、ふたりで朝食をとった。その朝食のときに、夢の話になったのだった。今朝は珍しく、ミシェルが不思議な夢を見たらしい。彼女は夢の話をしかけ、「――あ、だめだ。これ、クラウドに言うなって言われたんだった」という言葉を残して話をやめてしまった。

 「俺にいっちゃダメだって? なんで?」クラウドは尋ねたが、ミシェルは「知らない」と言ったきり、夢の話を終えようとした。だがそこであきらめるクラウドではない。ミシェルが自分に秘密をつくるなんて、クラウドは我慢できないのだ。しつこすぎるクラウドにキレたのは、ミシェルだった。

 そういうわけで、部屋から追い出されたクラウドは、泣く泣くアズラエルたちの部屋に来たわけである。

 

 ミシェルのことになると完全に普段の冷静さを欠くクラウドは、さめざめと泣きながらテーブルに突っ伏していた。ルナはどうしていいかわからなくてウロウロしていたが、アズラエルは「ほっとけ」と新聞を広げている。

 クラウドに砂糖入りのコーヒーを出した後ルナは、手持無沙汰に新聞に挟んであったチラシを手に取った――ところで、玄関先からカサリと音がした。ポストになにか入った音。

 「郵便屋さんだ!」

 ルナはぺっぺけぺーと玄関に走り、ドアを開け、郵便受けから封筒を取り出した。残念ながら、事務的な白封筒で、ツキヨおばあちゃんからの手紙ではなかった。

 ルナが送り先を見ると、『中央区郵便庁舎』とある。宛名はルナの名前だ。

 ルナがふたたびぺっぺけぺーとリビングに戻ると、「ツキヨばあちゃんから手紙か?」とアズラエルが聞いてきた。たいていの連絡は、メールのやり取りで済む昨今、封書は珍しかった。ルナたちの部屋に届く郵便も、ツキヨおばあちゃんからの手紙か荷物、あるいはルナの両親からの荷物くらいなものだ。

 「ううん。中央区の郵便庁舎からだよ」

 ルナはその場でビリビリと封を切って開けた。用紙が一枚、入っていた。

 

 「あ」

 用紙を読んだルナは、すっかり忘れていたことに気付いた。おそらくアズラエルもだろう。一ヶ月の旅行に行くときに、郵便庁舎のほうへ荷物の取り置きを頼んだのだ。その、取り置き期間の期限が迫っているとの通知だった。

 「なにか、荷物届いてたのか」

 アズラエルも意外そうに言った。郵便庁舎へ荷物の取り置きを頼んだのは、ツキヨおばあちゃんが何か送ってよこすかもしれないから、念のため――で、実際は何も届かないだろうとアズラエルは思っていた。ルナもだ。ルナの両親から何か送ったという連絡はなかったし、ツキヨおばあちゃんからもない。ということは、荷物が届く当てはない。

 「うん、えっと――え?」

 ルナは覚えのない送り先に、首をかしげた。

 

 「L05――サルーディーバ記念館?」

 

 「サルーディーバ記念館?」

 クラウドがその語句に反応して、がばりと身を起こした。

 「どういうこと? サルーディーバ記念館は、もう閉館になっただろ」

 「閉館だと?」

 サルーディーバと聞いたとたんに顔をしかめたアズラエルが、ますます顔を凶悪にした。

 「三ヶ月くらい前かな――記念館は閉館したはずだよ。なんでも、百歳を超える管理人が急死したらしくて。それで、そこは百五十六代目サルーディーバが描いた絵を主に展示していたはずなんだけど、サルーディーバの遺言通りに絵をぜんぶ焼却したとかなんとかで、世界遺産保護団体が抗議を――」

 「絵、だって」

 「「え?」」

 シャレではなく、アズラエルとクラウドが同時に聞き返した。

 「絵ってかいてあるよ。郵送物は絵だそうです」

 ルナが言うと、クラウドとアズラエルが同時に覗き込み、左右から引っ張ったので、紙はびりっという音を立てて破れた。

 「やぶけた!」

 ルナの悲鳴は誰も聞いていなかった。

 「なんで、サルーディーバの絵が、ルナに届くんだ」

 アズラエルは、またややこしいことが始まった、と獣みたいに唸って頭を抱えた。半分になった紙切れを放り投げて。アズラエルとは逆に、クラウドは急に元気が出たようだった。クラウドの手元に残った半分の紙切れには、郵便庁舎の電話番号が書かれている。

 「いつご在宅か、ご連絡いただければお届けに伺いますだって――来るのを待つつもりなんかないだろ? 取りに行くよね?」

 クラウドはすでに電話機の前だった。アズラエルは吠えた。

 「あたりまえだ! こっちは絵なんぞ注文した覚えはねえんだ。その場で送り返してやる!」

 「送り返すもなにも、記念館は閉館したって言ったじゃないか。――まあ、絵をどうするかについては、行ってから決めよう。――あ、もしもし、郵便庁舎ですか。ルナ・D・バーントシェントです」

 クラウドは勝手にルナを騙り、本日荷物を取りに行く旨を連絡してしまった。ルナは、何かの間違いだったらどうするんだろうと思ったが、とりあえず現物を見ないことには始まらない。

 それより彼らは、荷物受取のときに必要な通知を破いた。