「あの……ルナちゃん」

 ルナが半切れを持ってぼへっと突っ立っていると、クラウドが頭をかきかき、佇んでいた。

 「たぶん、ミシェルまだ怒ってるだろうから、ルナちゃんが声かけてくれないかな……。一緒に行こうって」

 「いいけど」

 クラウドがしつこすぎたのが、悪いのだと思う。言いたくないというのをしつこく聞くから。ルナはそう考え、考えたのちに顔を上げ、

 「クラウドは反省していますか」

 ルナはぷんすかと言ったが、クラウドはいつのまにかルナのまえから姿を消していた。もう彼はテーブルに座って、アズラエルのパソコンでなにかを調べ始めている。

 「クラウドは反省するべきです!!」

 ルナはモギャー! と怒ってバタバタと部屋を出て行った。その丸い後姿を呆然と眺めたアズラエルは、「どうしたんだあいつ……」とあきれ、クラウドは、「ルナちゃんまで怒らせちゃった……」と呟いたが、目線はパソコン上から動かなかった。反省の色はまるでなかった。

 

 

 

 かくして四人は、すぐにアズラエルの車で中央区の郵便庁舎へ出発した。

ミシェルはとくに怒ってはいないようだったが、やはり夢の話はする気はないようだった。ミシェルは、ルナも同じ夢を見ていたと思ったらしく、「え? ルナは見なかったの」と不思議そうに言った。

 「うん、昨夜はね、夢は見なかった」

 本当はルナも、ミシェルがどんな夢を見たのか聞きたくてうずうずしたが、話してはいけないというなら、聞けない。

 「ルナも出てきたんだよ。あの、ピンクの、“月を眺める子ウサギ”」

 ミシェルは後部座席で、前方の二人に聞こえないようにこっそり言った。

 「え? そうなの?」

 「うんだから、ルナも見てると思ったの。でも、クラウドには言うなって言われただけだから、ルナには言っていいのかなあ」

 ミシェルは悩むように腕を組んだ。ルナはちょっと考えて、首を振った。

 「言うなって言われたんなら、やっぱり言わないほうがいいと思うよ――それにあたしがミシェルから聞いたら、あたしのほうにもクラウドがしつこく聞いてくるかもしれないし、」

 ルナの台詞に、ミシェルがうんざり顔で呟いた。

 「L18の男のあの異常な粘り強さって、どっから出てくるんだろうね……」

 「ほんとにそうだね。なっとう食べないのに」

 「ルナ、いま納豆関係ない」

 ミシェルはクールに突っ込み、「夢なんかどうでもいいんだよ。それよりこれ、あげる」と言って、バッグから、小さなうさぎのマスコットを取り出した。

 「うわあ! 可愛い!!」

 ルナは歓声を上げた。羊毛フェルトをちくちくと縫って作る、かなり手間のかかるマスコットだ。ミシェルはピンクのうさぎをルナに渡し、「こっちはピエトにあげて」と茶色いうさぎを出した。

 「うさぎと猫しか作ったことなくて。ピエトのZOOカードはわかんないから、とりあえず余ってた綿で、茶色うさぎ」

 ミシェルの直感には、あとで大変に驚くことになったが。

 「ありがとう! ピエトも喜ぶよ」

 「どうかなあ。ピエトは男の子だし、マスコットは嫌かも」

 ゼラチンジャーのキットがあればよかったねと言いつつも、ミシェルはちゃんとピエトの分は手製の布袋に入れて、プレゼント仕様にしていた。ルナはつくづく、ミシェルは器用だなと感心しながら、茶色の肩掛けバッグにさっそくマスコットをくくりつけた。

 「ほんとにミシェルってば何でも作っちゃうね――これ、教室とかに行ってつくったの?」

 「ううん。そういうキットが手芸屋さんに売ってるの。――あ、そうだ」

 ミシェルは後部座席から身を乗り出し、運転席のアズラエルに言った。

 「中央区のかえりに、K12区のショッピングセンターに寄る時間ある?」

 K12区は、中央区の隣だ。そう遠くはない。アズラエルは、「構わねえが、なんでだ」と聞いた。

 「大きな手芸屋さんがあるの。ちょっとほしいものがあって」

 アズラエルは了解した。ミシェルはすとん、と座席に腰を下ろすと、

 「キラとシナモンに頼まれててさ。ビーズの、ネックレス」

 と言った。

ミシェルが行きたいといった手芸屋さんは、ミシェルがK12区のショッピングセンターに行ったときは必ず立ち寄る大きな店舗で、様々な種類の布から、手芸用のキットやら、何百種類ものビーズやらが置かれているところだった。ミシェルは、ビーズでアクセサリーも簡単に作ってしまう。それもビーズとは思えないつくりで、大分センスがいいものだから、女友達の間ではとても評判が良かった。

 

 「そういえばさ、アンジェラのガラス工芸の教室って、もうすぐじゃない?」

 ルナが思い出したように言うと、ミシェルが急に「う〜ん」と薄目になった。テンション高めで、「そうだよね!」という返事を期待したルナは、そのテンションの低さにびっくりした。すくなくとも、今までの反応とは違った。

 「ミ、ミシェル?」

 アンジェラのガラス工芸の教室を、あれほど楽しみにしていたミシェルである。「早く六月にならないかな、早くならないかな」と指折り数えて待っていたのは、ルナもクラウドも、アズラエルも周囲の人間はみな知っている。

 

 「……あたし、間違ったかも」

 ミシェルのボヤキに、クラウドも思わず振り返ったし、アズラエルもちらりと目を向けた。

 「ま、間違ったって?」

 ルナが思わず聞くと、

 「……あたし、本当は行くべきじゃないのかもしんない」とミシェルは重々しく頷いた。

 どこへ、とは聞かずともわかる。だがあれほど、アンジェラの弟子になりたいと望み、ガラス工芸の教室に行けることを楽しみにしていたのに――。

 「どうしたのミシェル。どういう心境の変化?」

 ルナの焦った声に、ミシェルは困ったように腕を組んで、足も組んだ。ミシェルは口をへの字に曲げて、しばらく沈黙し――やがて、もごもごと口を開いた。

 「……バカなこと言ってると思うかもしれないけどさ」

 ミシェルはまた、「う〜ん」と首をひねってから、

 「昨日の夢見てから、なんか変なの」

 「変って?」

 ルナの目には、ミシェルはいつも通りだ。なにも変なところなどない。

 「変っていうか。……あたしがなんで、アンジェラの作品が好きなのかとか、行かないほうがいいとか、そういうの、なんかもう、だだだーって分かっちゃったの」

 ルナは目をぱちくりとさせた。アズラエルは「わからん」のジェスチャー。クラウドは、何か言いたいようだったが、ミシェルの言葉を待っていた。

 「いや、もちろん行くよ? 受講日には。でもたぶん、ロクなことにならないのも、なんとなくわかってる。アンジェラに近づかないほうがいいっていうのも、サルディオネさんに言われた言葉の意味も、ようやく分かった気がする。それが分かった途端にさ、急にどうでもよくなっちゃって――ああ、あたしはやっぱり、アンジェラの作品は、見てるだけでいいんだなって。憧れでいいんだなって。あたしは、彼女と同じものは作れない。そうなの、当たり前なのよね。それが分かっちゃったの。意味わかんないでしょ。でもあたしもこれ以上、説明の仕方わかんない。でも、今のあたしは、ガラス工芸の教室でなにかが起こっても、たぶんだいじょうぶ。アンジェラの作品を嫌いになるってことはないし、好きなままでいられると思う」

 ミシェルは続けた。

 「アンジェラは、ガラス工芸だけじゃない。彼女の作品には彫刻もあるし、絵だって描くの。だけど、あたしが好きな彼女の作品は、ガラスを加工したものだけ」

 ミシェルは、自分の手のひらを広げ、見つめた。

 「今朝ふと気が付いたの。あたしが興味あるのは、アンジェラの“ガラス作品”だけ。それでね、あたし、もしかしたら前世でいろいろ、絵をかいたり何かを作ってきたりはしたけど、――ガラスの作品だけは、作ったことがないんじゃないかって」

 ルナは目を見開いた。

 「だから、ガラス工芸があたしにとっては新鮮なの。でも、それは、あたしが求めてる芸術の一部にすぎなくて――やったことがないことだから、新鮮で楽しいの。それだけなのよね。それで、あたしがアンジェラの作品が好きな理由はさ、」

 ミシェルは、一呼吸置いて、言った。

 

 「彼女がたぶん、あたしがとっくの昔に失っちゃったものを、持ってるからなんだ」

 

 アズラエルは最終的に理解することをあきらめたように髪の毛をかいた。クラウドは考え込んだままだった。きっとクラウドにさえ、ミシェルの言った意味は分からないとルナは思い、ミシェルは自分の言葉が旨く通じなくても、それでいいと思っているようだった。

 ルナには、ミシェルの言わんとすることがなんとなくわかった。けれど、ミシェルがそれ以上詳しく説明できないのと同様、それをミシェルに伝える言葉が選べなかった。