アンジェラ・D・ヒース。

 L4系惑星群出自だというのは知られている。もう十年くらいまえからL系惑星群に名をはせている彫刻家だ。彼女の詳しいことは、自伝小説もないのでよくわからない。

あたしが知っているのは、彼女が美術学校を出たわけでもなく、独学で学び、素人が出店する展覧会に一度出した油絵に、才能を見出したパトロンがいて、そこから彼女の名が売れ始めた、ということだけ。

 

あたしがアンジェラを知ったのは、師匠の工房で見つけた、「ガラスの楽園」という画集だ。それは、アンジェラのガラス工芸のみを集めた画集だった。

師匠が彼女のファンだったのだ。

そのときは特に、この人のすごさに感動したとかいうわけでもない。

あたしたちの星で、いつだったか彼女の個展が開かれた。名前だけ知っていたあたしは、興味本位でその展覧会に出掛け、画集の表紙を飾っていた「ガラスの楽園」を生で見て、もう魂が飛び出るくらい感動してしまったのである。

 

幅、高さ、二メートルにも及ぶガラスの壁面に描かれた「楽園」。

その、壁面いっぱいに鳥が描かれた抽象画に、繊細にガラスを彫った線で描かれたその芸術に、あたしは圧倒されてしまった。

その時以来、アンジェラは、あたしのなかで別格扱い。永遠の憧れの存在となったのだ。

 

「……なるほどね」

あたしの情熱的な喋りに反して、クラウドは、クールになにか考え込んでいた。

 

さっきのパスタ専門店でも少し、彼女の話が出たけれど、クラウドの口から聞く彼女は正直、ものすごかった。いろんな意味で。

 

アズラエルが、彼女の愛人(この表現正解?)だったのにも驚いたけど、普段は強烈な女王様なのに、ベッドではドS男にメチャクチャにされるのがスキって。おいおい。

いきなり憧れの人の性生活からプライベートを知るとは思わなかったわ。

でも、芸術家って、多かれ少なかれ、エキセントリックな部分は持ってるよね。

そこに関しては、あたしはあまり気にはしなかった。

クラウドも寝たのって聞いたら、クラウドは彼女の相方として入ってきたララという元高級娼婦に気にいられていたらしい。彼女はオトコを必ず三人以上一緒にベッドにあげないと、気が済まなかったそうだ。

――世の中には、いろんな人がいるものだ。

 

「……クラウドも、エッチしたの? そのひとと」

クラウドがやんわりと笑う。嫉妬されるのがうれしいとでも言うように。

「素っ裸の奴隷としてベッドには上がったよ。でも、彼女を愛撫する役目はほかの二人に任せた。俺は、彼女にワインや果物を食べさせてあげるのが上手だったから」

「……」

これは、いわゆる、はぐらかされた、ということだろうか。

 

なおもあたしが聞こうとするのを上手に遮って、クラウドは言った。

 

「ミシェル――じゃあ、君は、アンジェラの弟子になりたい?」

 

あたしは、そんなこと、思ってもみなかった。だからびっくりして、しばらく停止した。

 

「だって君は、彼女のファンなんだろ? ――彼女の技術を、教えてもらいたいとは思わないの?」

 

――それは。

あたしは、返答に詰まって、すぐには答えられなかった。

アンジェラは憧れの存在だったのだ。一生に一回は、彼女がL5系で開く、大規模な個展に足を運んでみたいと思っていた。それほどの遠い存在で、まだ、さっき、パーティー会場に、本人がいたことが現実かどうか信じられずに疑っているのだ。

アンジェラは、芸術も美しいけど、彼女自身が美貌の持ち主だった。だから画集やパンフレットには、必ずドレスアップした彼女の写真がつく。

彼女のファンであれば、彼女のルックスは知っていた。

美人だけど、強烈な眼力。自信たっぷりのきつい美貌は、写真で見るよりずっと迫力があった。

 

「――そんな。――あたしは、彼女は、ずっと遠い存在で――」

 

でも。

この宇宙船の、「運命の相手」論が急に脳裏に浮かんで。

アンジェラは、恋人ではないけれど、あたしの中では「運命の相手」級にものすごい出会いだった。

たしかに遠い存在だったけれど、彼女はいま、あたしの目の前にいた。そして、何の因果か、あたしの恋人であるクラウドと知り合いだったっていう、それも現実なのだ。

 ものすごい、チャンスなんだってことは、分かっている。

 

 「ミシェル。彼女は、偉大な芸術家かもしれないが、……相当性格は破綻している。それでも?」

 クラウドはあたしの髪を撫でながら、聞いてきた。

 「もし――それでも、君が彼女の弟子になりたかったら、たぶん俺が、そうしてあげることはできると思う。どうする?」

 

 クラウドの言葉にも、微妙な揺れがあった。クラウド自身も迷っているみたいだった。

あのアンジェラの顔を見ればわかる。相当メチャクチャな人だろうことは。

気が強そうで、人を睨んでいるようなまなざしをしていて。

 うつくしかったけど、どこか荒んで見えた。

 でも、でも――あたしは。

 

 「……紹介、してくれるの? アンジェラに」

 

 あたしがそう言った後、数秒置いて、今度は迷いのないクラウドの声が返ってきた。

 

 「――うん」

 それから彼は、神妙に言った。

 「愛してるよ、ミシェル。――絶対に、俺を信じてね」

 

 あたしに、そのセリフの本当の意味が分かるのは、あたしが取り返しのつかない間違いを犯した、あとだったのだ。

 

 

 

 それからのあたしたちは、もう言い様がないくらいラブラブだった。

あのベッドがあたしたちの住処になって、朝じゃなくて夕方に目が覚めて、食事もぜんぶベッドで取るくらい。果物の食べさせあいっこをして、キスして、またエッチになだれ込んで――。

三日目にようやくクラウドがあたしを離してくれて、あたしはあのプールで泳ぐことができた。もちろんあのプールはあたしたち専用。でなきゃあたしは泳げなかった。クラウドの口の跡が身体中付きまくってたんだから。

なんだか急に、自分がセレブの仲間入りをしたみたい。

 

そうして、かなり怠惰な数日が過ぎたころ。

あたしは、電話してるクラウドの、キレーな背中を見ながら目が覚めた。

また例のごとく、陽が沈むころで、上がるころではない。

クラウドの、シミ一つない綺麗な背中。男でこれだけ美形って、許しがたいよね、女としては。

下は緩いコットンパンツ一枚だったけど、さっきまでこのベッドで、彼はあたしと眠っていた。もちろん、素っ裸で。

 

クラウドはしばらく話して、それから電話を切る。

あたしはルナにごめんねと言わなければいけなくなった。アンジェラのことと、クラウドの蜂蜜漬け攻撃で、あたしは親友のことをすっかり忘れていたのだ。





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