「ヤバい。ルナに電話するのすっかり忘れてた」 「心配しなくていいよ」 クラウドが室内備え付けの冷蔵庫から、炭酸水を取り出す。長いグラスに注いで、ライムを絞る。それを二つ持って、ベッドに戻ってきた。 「アズはいま、仕事でリリザにいるんだよ。明日戻るとか言ってたけど。ルナちゃんも数日部屋にいないみたいだ。どうもね、K05の方へ旅行へ行ってるみたいだよ」 「ルナが旅行!? ひとりで?」 「さあ。それは分からない。でも、お隣さんともルナちゃんは仲良かったんでしょう? だったら、一緒に行っているかもしれない」 「クラウド、ルナに連絡取れたの?」 「いや。ルナちゃんの方には」 「じゃあなんで、ルナがK05に旅行って分かるの」 「さあ。なんででしょう」 切れ長の目を細めて悪戯っぽく笑い、あたしに炭酸水をくれる。 クラウドは、付け加えた。「アズは、ルナちゃんがK05にいることは知らないから、安心して」 「安心してって言われても……」 一体どうやって、ルナがK05にいることを知ったのか、それが不明なうちは安心なんてできない。 さっきまで、彼は「ミシェル大好き、好き」を連呼していた甘すぎスイーツなただのL18男性だった。 急に心理作戦部になるから、あたしは困る。 「それより、ミシェル」 クラウドが作ってくれた炭酸水は、さっぱりしておいしい。起き抜けの喉にしみる。 「明日の夜、ムスタファさんの開くパーティーに出席しよう。正式な招待状をいただいたから」 「えーっ!? またあそこ行くの!?」 あたしはイヤだった。あんなに居心地の悪さを感じたのは初めてだったのだ。 「明日行くのは、ムスタファ氏の私邸だよ。――あした、そのパーティーで、アンジェラに君を、紹介する」 「!」 そう言われると、あたしも口をつぐむしかなかった。 「……パーティ行かずに、アンジェラさんにだけ、紹介してもらうってことはできない?」 クラウドが、苦笑した。 「そうできれば一番いいんだけどね。でも、アンジェラは、そんなに甘い性格じゃないし、ひねくれてもいる。俺がマトモに君を彼女のもとに連れて行って、素直に「ミシェルはガラス工芸をやってきていて、あなたのファンなんだ。弟子にしてやってくれ」といったところで、弟子にはしてくれないさ。面倒だって一蹴されてオワリだろうね。――ま、一番手っ取り早い方法と言えば」 「……言えば?」 「彼女はまだアズに未練があるからね。アズを身代わりに差し出せば、喜んで君の師匠やってくれるんじゃないかな」 「じょ、冗談でしょ!?」 あのドSアズラエルに「身代わりにアンジェラのとこ行ってください」なんていったら、あたし、どんな目に遭わされるか。 「もちろん冗談だよ。アズはルナちゃんに夢中だから、無理だけど」 クラウドは、真剣な顔で言った。 「――君を、彼女の目に留まるようにしなきゃならないんだ」 「アンジェラの?」 「そう。気まぐれで、傲慢な彼女が、君に一目置くようなことを、君はしなきゃならない。そうしなきゃ、アンジェラにとって君は、弟子どころか路傍の石だ。彼女の興味を引かなきゃいけない。……君は、それができる?」 「で、できるかできないかなんて――」 しなくちゃ、いけないんでしょ! あたしは、意気込んだ。 「それでこそ、ミシェルだ」 クラウドは、柔らかい笑みを作る。 「明日二時間だけ、我慢するんだよ。パーティーの間、君はこのあいだみたいに、注目にさらされるだろうけど――逆に胸を張って、堂々としているんだ。なにを言われても気にしない。いいね」 「うん――」 あたしは、ちょっと緊張したけど、頷いた。 不安だったのはもちろんだ。でも、二時間、たった、二時間だけ。 アンジェラの弟子になれるかどうかなんて、それはわからない。 でも、断られてもあたしはいいと思っていた。 憧れだった、彼女と、ひとことでも言葉を交わせたら。 ――あたしは知らなかった。 その夜、クラウドは、あたしのために用意していた、綺麗なスカイブルーのドレスや、宝石のついたネックレスやミュールの類を、ぜんぶトランクに押し込めた。 あたしのために予約していてくれた美容師さんや、メイクアップアーティストも、ぜんぶキャンセルした。 ムスタファ氏のパーティーには、ココにいる間、一度は行かなきゃならない。だからクラウドは、あたしが恥をかかないように、あたしの身づくろいのすべては用意してくれていたわけだ。キラのドレスを、おばあさんたちが用意してくれたみたいに。 それらはぜんぶ、キャンセルされた。 その代わり、彼が用意したのは。 あたしの持ち服の、あのイチキュッパのスーツだった。 ……視線が痛い、なんてもんじゃない。 このあいだ行ったパーティー会場は、ラフな格好の男女はけっこういた。ただ、ラフな服装でも、そのセンスとお値段が、一般庶民ではなかっただけだ。 でも、このパーティーは違った。 男性はタキシード、女性は皆ドレスなのだ。 なにをまかり間違っても、女でスーツなんか着てる人はいない。 しかも、二着目から半額、なんてパンツスーツを。 あたしは、思わずクラウドの腕にぎゅっとしがみついた。覚悟はしていたけれど、心細さに身がすくんでしまいそうで。あたしはもともと、どんな形であれ目立つのは大嫌いなタイプだ。なのに。 すっと、クラウドが、あたしから手を離す。そして言う。 「ミシェル。しっかり自分で立って。たった二時間だと言っただろ」 さっきから、クラウドの声も冷たい気がしてならない。 あたしとクラウドは、迎えだというリムジンに乗ってこのムスタファ氏の私邸まで来た。最初から、波乱はあった。リムジンの運転手が、クラウドに、「……お嬢様のお着替えは、あちらで?」と聞いてきたのだ。クラウドは首を振り、「いや。彼女はこのままで」とこたえ、それに対してもひと悶着あったのだ。 リムジンの運転手は「これではムスタファ氏に失礼です」とか「お嬢さんがお気の毒」なんて譲らなかったのだが、クラウドはなんとか説き伏せた。あたしは、その運転手の同情なのか、見下した目なのか、よくわからない視線を浴びて車に乗り――その時点でどっと疲れた。 |