カサンドラ
アズラエルは、手づかみで口に入れていたイチゴショートを噴き出しそうになった。 「い、いるのか」 「きたねえなあ。髭にクリーム付いてるぞ。ミシェルちゃんだろ? よく来てくれるよ。一週間に二、三回は。キレーな子だよな♪ でもさ、俺は、そのミシェルちゃんと一緒にくる、キュートなコに夢中なんだ。ルナちゃんって言ってな」 「……いんのか」 本当に。 これは、実在する生の女なのか。 まさか、実在するとは思っても見なくて、アズラエルはごっくんとイチゴを飲みほした。 「ルナちゃん! かあいいんだ。ピンクのワンピースが似あう色白のウサギちゃん! もうすっげ、はにかんだ笑顔がたまんない! 抱きしめたい!!」 悶えるアントニオを無視し、アズラエルは甘いケーキをコーヒーで流し込む。 「今日はきてねえのか」 「午前中に来たよ。今日はもうムリかもな」 残念そうなアズラエルを見て、アントニオは言った。 「……もしかして、ミシェルちゃん狙ってんの?」 「俺じゃねえ。俺の連れがな」 クラウドの、荒唐無稽なあの話をここでするほど、アズラエルはバカではない。 「ここから十分くらいのとこに、マタドール・カフェってあるんだけど」 バーで、雰囲気もいいし、いいお酒が置いてあるところらしい。 「そこに、ミシェルちゃんよく行くよ。一緒に来た友達とよく飲みに行ってる」 「そうか悪いな。じゃあ、行ってみるか」 「言っとくけど」 アントニオがウィンクした。 「そこのデレクってバーテンダーも、L19の出身だからね」 アズラエルは、げっそりした顔で、紙幣を一枚、カウンターに置いた。 K27の町中を歩いている限りでは、異様に居心地が悪かったアズラエルだったが、このマタドールカフェはそうでもなかった。 ズラリと酒のボトルが並べられた戸棚を見て、アズラエルは口笛を吹きそうになった。ずいぶんといい酒が揃っている。しかも、メジャーなものから、需要が少なそうな、強烈なアルコールの類も。この店のバーテンダーは、ずいぶんと酒を知っているらしい。 ミシェル探索の目的がなくても、ちょっと遠くても、通いたくなる店だ。 だからだろう、この店は、明らかにほかの地区からやってきた人間で埋め尽くされている。バーの癖に、家族連れまである。物騒な顔のやつらもぽつぽついて、おかげでアズラエルも、比較的目立たずにすんだ。 アズラエルはカウンターに座ったわけだが、そのとき、見知った顔を奥に見つけてあわてて目をそらした。 銀髪の、髪の短い男。 どっちかというと、同じ軍事惑星出身でも、一番会いたくない奴。 あっちはもう、酔っているようだし、アズラエルのほうではなくぜんぜん別のほうを凝視していて、こっちには全く気付かない。アズラエルはほっとして、銀髪の男が凝視しているほうを視線で追った。それは、ちょっとした興味だった。何を見ている。 「もう、だからさ、ルナは、もうちょっと男の人とね、」 ルナ? さっき、アントニオもルナとか言ってたな。 アズラエルは、銀髪の男の視線の先を見――ルナと呼ばれた少女を見て、目を疑った。 (なんだありゃ) 『――そうだな。ちまっこくて、つぶらな目がカワイイ、アジア系の女がいたら、悪くねえな。髪長くて色白かったらサイコーだけどな』 いた。 自分でぼやいたセリフが、恐るべき正確さで脳内に蘇った。 アズラエルは思わず目をそらし、それからもう一度、確かめるようにルナを見た。 ……待てよ。現実だな、現実だ。これは。 アズラエルがあわくっているうちに、銀髪の男、グレンが、突如としてルナの隣に座った。アズラエルは、自分が何に驚いているのかさえ分からなかった。グレンがルナに、何か言っている。ルナは怯えた顔で、グレンに戸惑っていた。 「きゃあ! ――ルナ!」 アズラエルが現実を直視できずにアブサンを呷っている間に、ルナの身にはとんでもないコトが起こっていた。 ――グレンが、ルナを押し倒している。 アズラエルが動く前に、黒髪と金髪の派手目の男が、グレンを引きはがして外に連れて行った。「ルナちゃん!」バーテンダーが、あわててカウンターを出てルナに駆け寄る。 アズラエルの出番は、これっぽっちもなかった。 拍子抜けして、アズラエルはスツールに、浮き上がった腰を、下ろした。 アズラエルはその日から一週間、時間をずらしてマタドール・カフェに通い詰めた。 簡単にミシェルは見つかった。その三日後にマタドールカフェに現れたからだ。ルナはと言えば、一回来ただけだった。それも、早々に帰って行った。自分に気づきもしない――ルナという小さなウサギちゃんは、あまり周りに興味がないようだった。 アズラエルは、女に声をかけることができずにいる自分に驚いたし、自分の理想の女が、めのまえで、現実にカクテルを飲んでいる光景にもまだ馴染めなかった。 ミシェルを見つけたことをクラウドに告げると、クラウドは満面の笑みで、「ありがとう、アズ」とアズラエルを抱きしめた。 コイツは驚かねえのか。頭の中の女が、現実にいたことに対して。 受け入れられないのはアズラエルだけか。ミシェルもロイドも、よかったね、なんてシャンパンをあけているし。 アズラエルは、正直、ミシェルのことより、日に日に、アタマのなかがルナで埋め尽くされていくのに困惑を感じていた。 アンジェラにどう、別れを切り出そうか。 恐ろしいことに、あれだけ旺盛だった性欲が、なりを潜めてしまった。アンジェラ相手にたたないのだ。だからといって、ルナを思うとたちまち兆す欲望の始末に、アズラエルは非常に困った。 別れついでに、なにか持っていくか。 アズラエルは、K27のスーパーで、ワインを買った。いいワインだが、アンジェラはもっといいワインを飲んでいる、お気に召すとは思えなかったが、それでも、このスーパーに来たのは、もしかしたらルナに会えるかもと思ったせいだ。 そうしたら、ルナに出会えた。――すっかり、怯えられたが。 だが、ルナを送ったアパートで、リサと話ができた。 リサが、一週間後にマタドール・カフェにルナを連れてきてくれる。 ミシェルも。
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