百話 決別と進展とコーヒーブレイク



 

地球行き宇宙船はきょうも順調な運航。天気は晴れ。

七月も間近な、日差しが強いくらいの昼どきだった。

ルナは、自分の分を食べるのも忘れて、ぼうぜんとテーブルを眺めていた。

セルゲイたちが引っ越してきた、翌々日の、昼食の時間である。

 

「ルナ! ハンバーグってうめえな!!」

「ピエトくん、ちっちゃいくせによく食べるね〜」

皿にのっけられた、おおきな三個のハンバーグと目玉焼きふたつをぺろりと平らげたピエトに、ジュリが目を剥く。

「ちっちゃくねえよ! 俺もっと食えるもん!」

「じゃあ、あたしのいっこ、あげるね」

「姉ちゃん、いいやつだな!」

「あたしはジュリだよ」

ルナもアズラエルも止めなかった。じっさい、ピエトはよく食べる。よく動くし、よく食べる。今のところ、食べ過ぎで腹を壊したことはないので、放っておいた。ほんとうにピエトは病気なのだろうかと、ルナはたまに疑わしくなる。

 

グレンもアズラエルも、無言でガツガツと食べた。食事の間だけは、猛獣二頭のケンカはなかった。ふたりの間でハンバーグの取り合いがなかったのは、真正面にいる閻魔大王が、不気味なほどの威圧感で見張っていたからだ。

 

「ルナ、ハンバーグ、もうねえのか」

アズラエルが足りない、と不満げな顔をしたが、ルナはぽかっと口を開けたままぷるぷるし、「あたしのいっこあげるよ」と言ってアズラエルの皿に置いたのに、グレンがフォークを突き刺した。

「なにすんだ! これは俺のだ!!」

「早い者勝ち……っで!」

「ケンカしない。半分こにしなさい。ケンカするなら六等分にするよ」

グレンとアズラエルの頭に、パコン! と新聞を丸めた凶器で一発ずつ。セルゲイの笑顔の奥に隠された、どんな怪物も瞬殺しそうな威圧に、ふたりは素直に半分に分けた。ハンバーグを虎視眈々と狙っているのはグレンだけではない。

ハンバーグを成型するのはアズラエルがやったので、けっこうな大きさなのに。おにぎりとハンバーグは、成型する人間の手の大きさを無視できない。彼の掌と同等。

 

「……セルゲイ、足りた?」

ルナは恐る恐る聞いたが、セルゲイは「うん、ちょうどよかったよ」と笑った。

「ちょうどよかった?」

「腹八分目ってとこかな」

「はちぶんめ!」

ルナはアホ面になった。

 

絶対、残されると思ったのに、セルゲイの皿にも、みなの皿にも、ハンバーグはもうなかった。ジュリとミシェルはひとつでじゅうぶんだったらしく――ルナもだ――だってハンバーグはけっこうな大きさだ――のこりはカレンたちの皿に乗せられた。セルゲイだって、四個は食べたのに。

「私はちょうどよかった。でも、グレンとアズラエルと、カレンは足りないね、きっと」

「クラウドも足りないよね――うん、足りない顔してる」

ミシェルの分を二個も食べておいてクラウドは、まだ足りないという顔をしている。ルナは遠い目をした。

 

 セルゲイとグレンと、カレンとジュリが、K27区に引っ越してきたのはおとつい。

 その日のうちに、向かいのアパートのレイチェルたちに手土産を持って、「引っ越してきました」と挨拶しに行ったセルゲイたちだったが、グレンが向かいに越してきたことに、シナモンが大歓喜していたのは見ないふりをした。

 バーベキューパーティーをいっしょにしたので、知らない仲でもない。四人は、歓迎してくれ、そのままマタドール・カフェでともに夕食となった。

 次の日は、カレンたちは四人が四人、用事があったのか、ルナたちの部屋に顔を見せることはなかった。アズラエルはしきりに「おかしい、おかしい」と言っていたが、その翌日には、やはり四人そろってルナたちの部屋に押しかけてきた。

 そのときの、アズラエルの苦い顔は、歴代の中でも一位か二位かというくらいだ。ルナは日記にそう書いた。

 

アズラエルの嫌な予感は的中し、カレンとジュリの、「ルナのごはんが食べたい!!」という猛烈なラブコールに負け、ルナは昼食をつくることになった。

ジュリのリクエストはハンバーグ。セルゲイは「ルナちゃんの作ったものならなんでもいい」で、グレンは「肉」。カレンは、「おいしい味噌汁とごはん。ハンバーグも付けてくれるなら、あたし一生ルナのそばで皿洗いしてもいい」という切実そのものの顔で言ったので、ルナは朝から大量のひき肉をこねることになった。

 あまりに大人数なので――しかも、よく食べる人間ばかりなので、量も多い。

 さすがにルナ一人では手が回らず、途中からアズラエルとカレンも手伝ってくれた。

 だが、一同の食欲は、ルナの想像を絶していた。

 

カレンがお椀を両手で持ち、「至福……こんなうまい味噌汁、久しぶりに食べた……」と目を潤ませる。カレンは味噌汁ばかり、三杯もおかわりしていた。

「ほんと、引っ越してきてよかったわ……」

 

「焼き鮭と卵焼きのあさごはんとか、最高だよ。あとぬかづけとか浅漬けとか、」

向かいのミシェルの台詞に、カレンがテーブルに両手をついて身を乗り出した。

「あんたたち、いつもそんな朝食食べてんの!?」

「うん。パンと卵とスープのときもあるけど」

「味噌汁もしみるぜ!」

ピエトも、このあいだ覚えたばかりの言葉を叫ぶ。

 

「う、うらやましすぎる……」

カレンのボヤキに、「ふりかけとごはんだけの朝食ばっかりだったよね。あたしたち」とジュリが口をとがらせて言った。

「――食パン大量に焼いて、あとはコーヒーだけ、とか。破裂していたけれども、ゆでたまごがあれば最高と言ったところか」

セルゲイもこころなしか遠い目だった。

「あとはたまに、エレナの焼いた、真っ黒焦げの卵焼きがついたな……」

グレンの黄昏じみたつぶやき。

「エレナのつくるごはんは、すごくしょっぱくて、すごく甘いの。なんでだろうね」

ジュリが首を傾げた。

「それでも、いつも作ってくれていたんだから、感謝しなきゃダメだよ」

閻魔大王の声も、なんだか力がなかった。

 

「……エレナの料理は、そんなにヤバかったのか」

たしかにあいつは、料理が下手だったなとアズラエルが口を挟むと、カレンが弱々しく首を振った。

「ちがうよ。エレナはね、砂糖と塩を、入れずにはいられないんだよ……」

「ああ。いきなり血圧があがって、病院に運ばれてもな」

「びょういん!?」

ルナが叫んだ。

グレンの解説によると、エレナは一度、みずからの塩分糖分過多の食事のために、調子を悪くして病院に搬送されたことがあるという。

 

「エレナじゃなくても、だれかが倒れてたよ。あんな食事続けてたら」

「だれか止めなかったの」

クラウドの当然の疑問には、セルゲイが答えた。

「止めたよ? でもね、エレナちゃんは、カレンが言うように、砂糖と塩を入れずにはいられないんだよ」

カレンが横で、重々しくうなずいている。

「もうほんとに、味付け濃〜くしないと気がすまないの。不思議だよね」

「エレナは、『栄養とらなきゃ、栄養とらなきゃ』っていってたからな。味付けが濃ければ、栄養が取れてると思ってたんだろうな」

「グレンは、びんぼうしょう? ってゆってたよね」

「余計なこというんじゃねえよジュリ」

「産婦人科の女医さんに注意されて、やっとやめたよね。それからは、エレナちゃんもあまりつくらなくなって。『あたしが作ると、味付け濃くなっちゃうから』っていって」

「そう、あかちゃんにわるいよってゆわれて、やっとやめた……」

「エレナ、魚焼こうとして、あやうく火事にしかけたしね……」

「ゆでたまご破裂させるのって、ルーイだけじゃなかったんだな……」

「煮物はぐちゃぐちゃだったね」

「L53に行けばきっと大丈夫だよ。ルーイのお母さんは料理上手だという話だから、きっとエレナちゃんも覚えるよ。いままでの失敗は、エレナちゃんにただしい料理を教えられる人が、周りにいなかったせいだからね……」