サルディオネは、アントニオに連れられて、K05区の自宅にもどった。サルーディーバと二人で住んでいる屋敷だ。

アントニオとともにあわただしく中に入ると、サルーディーバはリビングで本を読んでいた。

 「アントニオ、おひさしぶりです。――どうしました、ふたりとも。血相を変えて」

 アントニオは普通だったが、サルディオネは血相を変えていた。

 

 「姉さん、あたしの記憶いじった?」

 ZOOカードも? 

 サルディオネの矢継ぎ早の質問に、サルーディーバはかなしげに目を伏せた。

 「気づかれてしまいましたか……」

 「ど、どういうことなの、姉さん……!」

 

 サルディオネは、敬愛している姉のしわざが信じられず、おおきく動揺していた。

 自分だけは、姉の一番そばにいると思っていた。なんでも話してくれるはずだと、そう思っていた。――不都合なことを覚えさせておかないために、記憶を弄るなど、そんなことを、姉が自分に、するはずはない。

 なのに、姉は認めた。認めてしまった。サルディオネの記憶を変えたことを。

 おそらく、サルディオネの記憶をいじったその時間に、サルーディーバは、サルディオネに知られたくない、なにごとかを行っていた。

 ZOOカードもなぜ――メルヴァとマリーの間の糸が、赤いものに挿げ替えられていたのか。

 サルディオネがそれを見たのは、アントニオと関係をもったその日だ。その日は、サルーディーバも糸をかえる余裕はなかったはず。

もうずっとまえから、糸は弄られていたのか。

――なぜ。

 

 「メルヴァの“すべて”の赤い糸を、アンジェに、見せたくなかったからだね」

 サルーディーバは窓辺に佇んだまま、肯定もせずアントニオを見つめた。

 「君は、――どうあっても、グレンとルナちゃんを結び付けようとしているんだね。だから、“ルナちゃんと赤い糸で結ばれている人物は”すべて排除したい――」

 「――え?」

 

 サルディオネは姉の為したことに動揺しすぎて、アントニオの言葉を上手く受け取れなかった。

 サルーディーバはうろたえている妹のほうではなく、アントニオに向かった。今度は以前のように、アントニオの目を見れない、というおびえた様子ではない。

 そこにある種のつよい決意を見たのは、アントニオだけではない、サルディオネもだ。

 

 「アントニオ――申し訳ありません。あなたの意にそぐわないかもしれませんが、私は、やはり、ルナとグレンさんが結ばれるよう、最大限の努力をしてみます」

 「サルちゃん……」

 アントニオの声に、ため息が交じった。

 

 「私はサルーディーバです」

 サルーディーバは一瞬だけ目を伏せたが、再び目を上げたそこにためらいはなかった。

 「あなたの仰ることもよくよく考えてみました。ミヒャエルもメリッサも励ましてくださった、ふたりの心も、ありがたいと思います。無論、あなたの真心も――あなたの温かい気持ちに気づけずにいた私をお許し下さい――でもやはり私は、サルーディーバなのです」

 「……」

 「ほんとうなら私は、L03にのこるべきでした。残って、L03のゆくすえを重々、考えるべきでした。長老会のなくなったL03の、近代化に力を尽くすべきでした。いくら長老会に疎まれていたからとはいえ――自分のちっぽけな恋心を解決するために――ルナと出会うためだけに、この宇宙船に乗った自分のあさはかさを、今ではひどく後悔しています」

 

 「そんなんじゃ……そんなんじゃないんだよ、サルちゃん」

 恋を、ちっぽけなことだなんて言うなよ。

 アントニオは言ったが、サルーディーバは首を振った。

 

 「もう私は、L03にはもどれません。――先日、現職のサルーディーバ様から、完全なる追放の通知をいただきました。私は、二度とL03にもどってはならぬと」

 「彼だって、君の幸せを願って、」

 「いいえ。私が欲しかったのは、戻って来いという言葉でした。もどって、L03の近代化に尽力せよと、今こそ、L03とL系惑星群の民のためにその身を捧げよとのお言葉が――私は――欲しかった――」

 サルーディーバの美しいオッドアイが潤み、声はふるえた。

 「もはや私にできることなどなにひとつない――そう思っていました。でも違う、私が、この宇宙船に乗ったことに、意味がある」

 

 「今の私にできることはただひとつ――イシュメルの生誕のために、尽力すること」

 

 アントニオは一度顔を覆い、なんとか笑顔をつくった。

 「それが君の――決意なの」

 サルーディーバは深く頷いた。

 「アントニオ、あなたの望むことではないかもしれない。ルナはアズラエルと結ばれることが幸せなのかもしれない。でも、ルナはグレンさんと結ばれて不幸になるというわけではない。ルナとグレンさんの糸もまた、アズラエルとの糸ほど、太く赤いのです。グレンさんも、地球に住めば、ドーソン一族に煩わされることもなくなる。アズラエルも、彼も幸せになれるのです。ふかい痛みをともなう恋に、煩わされずに――」

 

 「そして、君はどうなるの」

 アントニオは哀しげに言った。

 「君はどうなるの。――君の考えたそのゆくすえに、君の幸せは、あるの?」

 

 サルーディーバは黙って微笑んだ。もう、彼女にはなんの言葉も響かないことが、アントニオにも分かった。

アントニオのこたえは、怒りでも説教でもなく、ただ、かなしい表情だった。

 

 「アントニオ――サルディオネを、アンジェリカをよろしくお願いします」

 アントニオの言葉を待たずに、サルーディーバは深々と頭を下げた。

 「しばらく、その子をこちらには寄越さないでください。私は彼女に悪影響でしょう」

 「姉さん!」

 「私は、L03の教義からは、逃れられないのかもしれない」

 

 サルーディーバは、深い慈しみを込めてサルディオネを見つめ、頭を撫でた。

あまり人に触れることないサルーディーバ――それは姉妹間でも同様だった。サルディオネは、姉に頭を撫でられたのは、おさないころ一度きりだということを思い出した。

サルディオネは、何も言えなくなった。

 

 「私で最後です。最後にしましょう――あなたは、アントニオのそばにいて、必ず、L03の近代化のいしずえとなるのですよ」

 「ね――」

 

 サルディオネの言葉は、突然部屋に入ってきた複数の男たちによって遮られた。十人ほどもいるだろうか、L03の衣装を着た恰幅のいい男たちである。

 「サルディオネさま、サルーディーバ様は我らにお任せください」

 「一難あるときは、必ずや、この身にかえてサルーディーバ様はお守りいたします!」

 男たちの目にも、つよい決意と輝きがあった。

 「ありがとう、皆さん」

 サルーディーバは、慈愛の籠った眼差しで彼らを見つめ、また彼らも母親を見るような目でサルーディーバを見つめた。

 「アントニオ、私のことはご心配なく。こんなにも、私を守ってくださる戦士がいます」

 「……」

 「では、さようなら。――地球に着くまで、あなたと会うことは、ないでしょう」

サルーディーバは彼らとともに、部屋を出ていく。

 

 「姉さん!!」

 サルディオネの叫びが彼女を追ったが、サルーディーバは一度もふりかえることはなかった。

 

 重厚な扉が、サルディオネとサルーディーバを完全に隔てるように、音を立てて閉まった。