サルディオネは涙を拭いながら屋敷を出た。

混乱で頭が弾けそうだったが、めのまえのアントニオの背中が、サルディオネの混乱を落ち着かせてくれた。

サルーディーバは出て行けとは言わなかった。だがおそらく、サルーディーバが屋敷をうつるか、自分がこの屋敷を出ることになるのだろう。

 

(姉さん、もうほんとうに、あたしに会わない気なの)

涙が次から次へと溢れてくる。

(どうして、ひとりで抱え込んじゃうの。戦士がいたって、姉さんの心は? 誰が支えるの)

 

サルディオネは、混乱が完全におさまったわけではなかったが、以前とは違い、身の置き所がなくなるような感じはしなかった。冷静な自分もいた。

それは、決して口に出しては言わないが、アントニオのおかげでもある。彼の背中を見ているだけで、安心できた。

姉の決意のことを、メリッサは知っているのだろうか。ミヒャエルは。

ふたりなら、必ず止めるはずだ。

 

「――俺のせいだな」

サルーディーバの屋敷を出てからのアントニオは、一度もサルディオネを振り返ろうとしない。

「サルちゃんを放って置きすぎた。――そっとしておいてあげようとしたのが、裏目に出たか」

アントニオの肩は、いくばくか落ち加減だ。

「アントニオのせいじゃない」

サルディオネも歩きながらつぶやいた。

「アントニオのせいじゃないよ。でも、あたしは姉さんの気持ちもわかる。あたしは、あんたにL5系の学校に入れてもらわずに、ずっとL03での暮らしを続けていたら、きっと姉さんみたいになっていたとおもう。姉さんみたいな考えかたしかできなかったと、おもう……」

あんたに愛してもらわなかったら、もっと変わらなかった、とサルディオネは口の中だけでつぶやいた。

 

「……ごめんね、アンジェ」

「なんで、あんたが謝るのさ」

「いや、完全に俺の力不足さ。……お恥ずかしいかぎりです」

声は中途半端におどけていて、力がなかった。

 

「アントニオ……」

サルディオネは励まそうとしたが、アントニオは携帯を取り出した。

 「もしもし? じいさん? ZOOカードどうだった?」

 『ああ、わしが診る限り、別にどうということはなかったぞ。何かあったんか』

 会話は、サルディオネにも聞こえた。

 「そうか……。よかった。ペリドットは?」

 アントニオの口から聞きなれない名が出てきて、サルディオネは顔を上げた。

「帰って来てるって連絡は?」

 『きのうあったわい。そうじゃな、わしが診るより、ペリドットに診させたほうがいいかもしれんな』

 「俺もそう思った。一時的に支配権を増やそう」

 『わしも今日明日は忙しいもんでなあ。今日の午後からは、わかい娘とデートじゃし』

 

 ピタリと、アントニオの足が止まった。

 「デート!? だれと!? 若いコって!?」

 『教えん』

 電話向こうから、おじいさんの高笑いが聞こえてきた。

 『冗談はおいといて、明後日ならいいよ。ペリドットも帰ってきたばかりじゃし、そのほうがええのと違うか』

 「うん――それでいいよ、俺も。オッケー……」

 アントニオはあまり元気のない声で電話を切ると、ぶつぶつとぼやいた。

 「イシュマールって、ジジイのくせに若いコにモテるんだよな……なんでだろ。どうしてみんな、あんなジジイに……」

 「アントニオ――支配権ふやすって、どういうこと?」

 「え? あ、うん」

 今のサルディオネは、アントニオの冗談に乗ってはくれなかった。

 

 「一時的に、ZOOカードの支配権を増やす――っていうか、ふたりにする」

 「え?」

 「念のため、“ZOOの支配者”をふたりにするんだ」

 アントニオは、携帯をエプロンのポケットにしまいながら、歩調をゆるめた。やっと彼は、サルディオネの顔を見てくれた。いっしょに横に並んで歩く。

 

 「アンジェ、ペリドットと会ったことは?」

 「ない」

 「あっそ。本物の“ZOOの支配者”なのに?」

 「えっ……」

 サルディオネは立ち止まってしまった。アントニオも、一歩進んだところで立ち止まった。

 「真砂名の神が正式にえらんだZOOの支配者はペリドットだ。彼は半永久的に、ZOOの支配者であることが認められている」

 「あ、あたしが、一時的にみとめられていたのは知っていたけど――」

 そんなやつがいるなんて知らなかった、とサルディオネは正直に感嘆を口にした。

 

 「うん。ペリドットは、本物のZOOの支配者なんだけど、どうにも――放浪癖があってね。ひとところに落ち着かない。自由気ままの吟遊詩人なもんだから、アンジェみたいに、サルディオネとしての仕事はできない。だから、真砂名の神はペリドットではなく、ZOOカードを考案した君の方を、ZOOの支配者とした」

 「……」

 「だけど、ZOOカードの咀嚼力と読解力は、君は彼の足元にも及ばない。彼がZOOの支配者である理由が、君にもわかるはず――うがっ!!」

 

 「なんでそういうひとがいるってこと、早く教えてくれないんだよ!!」

 アントニオはサルディオネに飛びつかれていた。ガクガクと首をつかんで揺さぶられて、ゲホゲホと噎せこんだ。

 「あたしだって、教えを乞いたいよ! 最近ただでさえ、行き詰まってるのに!!」

 

 「お、俺も、アンジェがZOOの支配者になったころ、ペリドットに頼んだんだよ! アンジェを指導してやってくれないかって!」

 アントニオも涙目になって叫んだ。

 「でもあいつは、そういうの柄じゃないっていって断ったんだ! ていうか、面倒くさかっただけだろうけど……うほっ」

 サルディオネはやっとアントニオの首を解放した。

 「なんだ……アントニオに放浪癖足したようなやつか……」

 「お、俺の方がマシだよ! 奥さん放って、遠くまで出歩いたりしないし、」

 「どっちもどっちだよ」

 いつもどおりの、サルディオネの冷めた目がアントニオを見据え、アントニオは肩をぜいぜいさせながら、よろめき立った。

 

 「――でも、今回、しばらくはペリドット、宇宙船内にいてもらうことになるからね。アンジェも教えを乞いに行くといい。面倒くさがりだけど、面倒見はいいから、たぶんアレコレと教えてくれるはずだ」

 「しばらくは?」

 「ああ、星々を放浪してるとこを呼び戻した。――メルヴァ対策のためにね」

 サルディオネの顔が引きしまった。

 「メルヴァの?」

 「ああ、俺の代わりに、定期的に真砂名神社にはいってもらうことが決まってる」

 「あんたの代わりは、神官が百人から二百人以上はいなきゃつとまらないんだよ!?」

 「ペリドットは神官千人分だ」

 「――!!」

 「じゅうぶん、足りるだろ?」

 アントニオの笑顔にサルディオネは絶句したが――今度は真剣に聞いた。

 

 「ペリドット――は、どこにいるの? 真砂名神社?」

 「いや、K33区」

 アントニオは、ふたたび道を真砂名神社にむかって歩き出した。

 「あいつ、K33区の区長だからさ」