ルナたちが帰ってきたのは、四時すぎだ。そのころにはキッチンのクローゼットに米の袋が詰め込まれ、食材も冷蔵庫に溢れかえっていた。溢れかえり過ぎて、一部はクラウドたちの部屋の冷蔵庫にいれたくらいだ。

 

 「米って配達してもらえるんだよね……気づかなかったよ」

 「食材もその気になれば配達してもらえるわけだからね……でも気づかなかった」

 クラウドとセルゲイがしきりにぼやいている。

 

 「さすがお坊ちゃまだぜ。買い物も電話一本の坊ちゃんが気付きそうなことだ」

 「そうだな。ドーソン一族のお坊ちゃまは銃より重いモノ、持ったことねえってウワサだからな」

 そろそろ、ふたりのケンカもコツがつかめてきたようだ。閻魔大王のペナルティーをくらわない範囲内での、嫌みの応酬。

 

 「ところであれは――どういうことだ」

 アズラエルのまえで、ルナが小さくなって顔を覆っている。アズラエルの視線の先にはピエトがいた。

 キッチン隣のリビングで、ゼラチンジャーの変身セットを身に着け、ジュリとわいわい、遊んでいるピエトの姿。

 

 「ごめん……あたしが買っちゃいました……」

 ルナのウサ耳はぺたりとしおれていた。

 

 K12区に着いてから、ルナとミシェルは別行動になった。ミシェルは画材売場へ――油絵具のセットや、キャンバスを購入しに。ルナとピエトは、一階から十階まで、まるまるひとつ雑貨で埋め尽くされているビルに入った。

 ルナはそこでみんなのお弁当箱を物色し、洒落たデザインのボードも購入した。そのかえり道である。

おもちゃ売り場のまえを通り過ぎたのがよくなかった。

ゼラチンジャーの変身セットが、売り場の真正面ともいえる場所にででんと置いてあった。腰のベルトのボタンを押すと、あっというまにゼラチンジャーの姿になれる変身セット。ゼラチンジャーの宣伝用映像とともに。

ピエトくらいの男の子の間では、アコガレのおもちゃである。

それを証明するように、宣伝用テレビのまえは子どものひとだかりができている。ピエトはまっしぐらにそこにかけていき、テレビを見て動かなくなった。ピエトだけではない、親と一緒に来たであろう子どもが、物欲しげに一度はそちらを見ていく。

ルナは値段を見てびっくりした。けっこう高い。

それもそのはずだ。このセットは「本当に」ゼラチンジャーになれるキットだった。腰のベルトのコンピューターが子供の身長や体型のデータを認識すると、子どもの体型に合わせたゼラチンジャーの装いを作り出す。ホログラムの衣装が身体を取り巻くのだ。見かけはすっかり、ゼラチンジャーになれるわけだ。おまけに付属の剣からは、ビームが出る。

これは、子どもは欲しがるだろうなあとルナは頬をヒクつかせたが、L7系の親は、一瞬は躊躇する、けっこうな値段だった。

 

今のルナは、すこし無理をすれば、買ってあげられる。

(だけども)

誕生日でもないのに、こんな高いものを……。

 

ルナは悩んだ。

ピエトは、十歳くらいの子にしては、奇跡的にわがままを言わない子だ。物欲がひどく薄い。それはピエトの育ってきた生活環境がそうさせているのだが、日々の買い物でスーパーにいっても、お菓子ひとつねだらない。

(アズに、怒られるかな……甘やかしすぎだとか、)

一度は親にねだってみるものの、子どもでも買ってもらうのは無理だと分かる値段。子どもたちがふて腐れた嘆息を零しながら、キットのまえを離れていくなか、ピエトだけはいつまでも、じーっと、ガラスに鼻をくっつけてキットをながめていた。だが値段を見て、やはり自分が買えるものだとは思わなかったようだ。何も言わずに、ガラスから離れて、ちょっと残念そうにルナの手を握った。

 

(ごめん、アズ)

ルナは、買ってしまった。

 

「誕生日のプレゼントはなしだからね」とピエトに言い聞かせて。ピエトは、「俺、自分の誕生日なんて知らねえもん」と言ったので、ルナは「やっぱりリボンもつけて、プレゼント用にしてください!」とレジで叫んだのだった。

周りの子どもがうらやましそうに眺めていくなか、ピエトに生まれて初めての誕生日プレゼントが与えられた。

ルナから「誕生日おめでとう」といわれて、おもちゃの箱を受け取ったときのピエトの目の輝きは、ルナは一生わすれないだろう。

いままでプレゼントをあげてきたなかで、最大級の喜ばれようだった。

「ルナ! ルナ、ありがとう!!」

ピエトはミシェルと待ち合わせ場所で合流するまで――いや、家に帰るまで、帰ってもずっと飛び跳ねて喜んでいた。

ルナはアズラエルに怒られることを覚悟していたが、ピエトの輝くような笑顔は、ルナの憂鬱を吹き飛ばした。

 

 ――結局、画材に夢中になったミシェルと、ゼラチンジャーの変身キットに夢中になったピエトと、今夜のメニューの段取りのことで頭がいっぱいになったルナの三人は、マーサ・ジャ・ハーナの神話のことなど、すっかり忘れたわけなのだが。

 

 

 「ルゥ……」

 ルナは反射的に頭を覆ったが、上からはアズラエルのため息が降ってきただけだった。

 「おい待てコラ。俺がおまえを殴ったこと、あったかよ」

 アズラエルはルナの反応が気に入らないだけのようだった。

 「あ、あず……怒ってない?」

 「だれが怒るって言った。俺は、どういうことだと聞いただけだろうが」

 「あんたの聞き方が恐ろしいだけじゃないの」

 カレンのツッコミに、アズラエルは舌打ちした。

 「ピ、ピエトが買ってくれってゆったんじゃないの。あたしがね、その、勝手に、」

 「ああ、分かってるよ。ピエトは言わねえだろうよ、あいつはな」

 「……た、誕生日プレゼントはなしだよって、ゆって、」

 「ルゥ。てめえがうさぎだってことは今さらだが、俺は最近、うさぎを一匹飼ってるってことで、自分を納得させている」

 ミシェルがぷーっと吹き出した。

 「てめえはどんなにアホだろうが、人語を解するうさぎだと思っていたんだがな――その長い耳はお飾りか? 俺のいってることが、てめえに通じてるとはどうも思えねえ」

 「?」

 「俺はな、ピエトが遊んでるあのおもちゃのことじゃなくて、ボードのことを言ったんだ、ボード」

 

 ルナは恐る恐るうしろを見た。アズラエルの視線はたしかにピエトのほうを向いていたが、その方向にはルナが買ってきたボードもある。

 「ボード?」

 「ああ。あれは何のために買ってきたんだ」

 アズラエルの言葉に、ルナはぺぺぺっとボードに駆け寄り、胸を張って言った。

 「みんなの予定を書いてもらうためです!」

 「みんなの予定?」

 「そう! いままではアズとクラウドとミシェルとピエトだけだったけど、ひとが増えたから! 朝ごはんを食べる人は何人かとか、あたしが把握できるように、みんなに予定を――アズ?」

 アズラエルが顔を右手で覆い、項垂れているのを見て、ルナは首を傾げた。周りの皆は、笑いをこらえるような顔をしている。

 

 「アズ?」

 「……」

 アズラエルを見かねて、セルゲイが笑いながら言った。

 「ルナちゃん、ほんとうに私たちの分も朝ごはんを作ってくれるの? 迷惑じゃない?」

 ルナはそれを聞いて、ぱちくりとまばたきをした。

 

 「――え? みんな、朝ごはんいっしょに食べるんじゃないの?」

 

 それを聞いてアズラエルは完全に肩を落とし、カレンが爆笑した。無論、歓喜が九割の爆笑だ。グレンもクラウドもこらえきれずに吹き出し、「ルナちゃんがその気なんだ、あきらめなよアズ」とクラウドは苦笑し、セルゲイは、「まあ、ルナちゃんの負担にならない程度にお邪魔させてもらうから、よろしく」とアズラエルの肩をポンとたたいた。