アズラエルたちはまず区役所にはいった。明日の朝市をのぞくためには、やはりここに一泊しなければならないので、宿泊の手配が必要だ。

コテージに泊まってみたいルナと、危険だから区役所内のホテルにしようという皆の意見とに割れたが、ルナがほっぺたを膨らませても、今回はだれも譲ってくれなかった。セルゲイでさえもだ。

区役所内は、外の風景とはがらりと変わって、ふつうのホテルのように近代的な内装だった。ただ、受付はスーツ姿の男女が三人いたが、ロビー内にいる人間は、皆が皆、独特の民族衣装を着た人間ばかりだ。

 

「ひさしぶりだな……この緊張感」

グレンが小さな声で呟き、カレンもうなずいた。

「ああ。周りが原住民ばっかだってのはね」

セルゲイの顔も心なしかけわしい気がした。もと軍人だった彼らには、原住民しかいない場所に来るのは、そうとうの覚悟がいったようだ。

セルゲイが先ほど、「この地区に泊まるのか」とアズラエルに聞いたのも、ルナのようにまともなホテルがあるだろうかという心配ではなく、敵地で泊まるのか、という心配があったからに違いない。

 

原住民といっても、領土を奪い取ることに情熱をかける過激派と、地球人と共存していこうという穏健派――ほんとうは、もっと複雑な事情やさまざまな思想によってふり分けられるが、おおざっぱに分ければその二派――にわかれる。しかしどちらにしても、原住民の八割がたは、地球人に悪感情を持っていることはまちがいなかった。

地球人がL系惑星群を侵略し、原住民たちのすみかを奪い取った。

原住民たちの中に共通する、その意識は千年以上たってもかわることはないし、原住民同士でも戦争はくりかえされている。

 

ピエトはラグバダ族だが、おなじラグバダの過激派に、何年も苦しめられてきたのだ。ピエトのコミュニティーはケトゥインの過激派の集落にも近かったので、ピエトにとって、ケトゥインは恐怖の対象だ。

駐車場の役員がケトゥインと聞いたとたんに顔色をわるくしていたピエトは、さっきからアズラエルに寄り添って、離れない。怖いのだろう。目だけはキョロキョロ、辺りを見回し、ラグバダ族の衣装をみつけると、それをじっと目で追った。

 

ルナは、原住民とはまったく縁のない生活をしてきたものだから、原住民に対する恐怖の意識はあまりなかった。過激派と出会えば別だろうが、さっきの駐車場の誘導員も、おだやかなふつうの人だ。ケトゥイン族だと言われなければ、わからない。見かけはルナと同じ人間にはちがいなかった。

ただ、なんとなくルナはおもった。グレンのいう緊張感という意味も分かる気がする。

この地区にいる人間は、皆が皆、身体ががっしりしている。女も男も体格がいい。それはルナたちのように文明的な生活をしてきたもののそれではなく、日常を、農耕だの戦だの、つねに全身をつかう仕事に従事しているものの引き絞られた体格だ。

さまざまな言語が飛び交うなかに、ぴんと張りつめた緊張感はある。

 

(あ、そうか)

アズラエルや、グレンたちとおなじだ。

ルナのように、日常が「平和」ではないところで暮らしてきたもの特有の――。

 

「ルナ、あまりキョロキョロするとあぶないよ」

目を合わせちゃダメだ、とカレンがルナを庇うように後ろに隠し、ルナが口をもぐもぐさせたときだった。

 

「アーズラエル! アーズラエル! アーズラエル!!」

 

実に発音のおかしい、アズラエルの名がフロントじゅうに響き渡った。

額に水色の鉢金をつけ、白い貫頭衣に大判ストールを首に巻き、編上げのサンダルをはいた、緑色の髪の男が、両腕を広げて飛び上がり、こちらに突進してくる。

むろん、ルナたちは全力でアズラエルから離れた。

 

「アーズラエル!! ワタシを忘れてはたいへんに不名誉です! ワタシを覚えていますか! ワタシです!」

「ベッタラじゃねえか」

 

全力で抱きついてきた筋肉隆々の男――身長も、アズラエルとおなじくらい――を受け止めたので、アズラエルは当然よろけた。

 

「そうです! ワタシはベッタラです! アノールのベッタラです! ワタシはあなたを忘れない! それはとても懐かしい! はげしく求愛します!!」

 

そのままとれば、誤解されそうな言葉の羅列に、グレンやカレンがうたがわしそうな視線でアズラエルを見たが、彼は「誤解だ!」と叫んだあと、男を引き剥がした。男の満面の笑みがそこにある。自分と同い年の、あごひげ持ちの、むっさい男の笑みが。

 

「おまえあいかわらずだな。まだ共通語、まともに覚えてねえのか」

「たいへんに勉強しましたがワタシはさりげなく未熟です! ミンナ教えてくれますが、まちがった方法が多くて少ない! ワタシは真剣ですがミンナ大きなまちがいをおかす! ふざけた性格がたのしくそうします! つまりワタシはさみしい……」

「わ、わかった。――なんとなくわかった」

 

「アズラエル、だれ、コイツ」

カレンが笑いを極限までこらえた顔で言った。

「ああ、コイツは――」

「ワタシ、アノールのベッタラです!」

カレンを抱きしめようとしたので、カレンは条件反射で避けた。ベッタラの、不思議そうな顔。

「ワタシを歓迎しませんか? ワタシはあなたに求愛します」

「それ困る。あたしはジュリって彼女が、」

「コイツの“求愛”はそのまんまの意味じゃねえ。だいたい、歓迎されてんだよ俺たちは」

「わかってるよ! でも抱きしめられたら骨が折れそうだ!」

カレンの本音だ。ベッタラはアズラエルと同じようなガタイで、しかも力の加減を知らなさそうだった。アズラエルが彼に何か耳打ちすると、ベッタラは輝くような笑顔で言った。

「抱きしめるのは知ることになりました! 抱きしめるのは注意を必要とします! ワタシはあなたを抱きしめることを拒みます! あなたの救いのために!」

「よ、よくわかんないけど……とりあえず抱擁はなしの方向でいいんだね」

「ワタシはアノール最強戦士です! あなたを喜びます!」

 

「最強戦士……かっこいい、ゼラチンジャーみてえだ!」

ピエトが興奮して叫ぶと、ベッタラも興奮した。

「アナタ、ゼーラーチンジャー見ていますか! ワタシも求愛します! はげしく求愛します!」

「はげしく……求愛?」

ピエトがヘンな顔で首をかしげると、アズラエルが呆れた口調で言った。

 

「ピエト、コイツに共通語教えてやれ。ベッタラ、おまえもコイツから教われよ。コイツはL85のラグバダ族で、ピエトっていうんだ。すくなくともおまえよりはずいぶんまともに共通語話すぞ」

「ピエト! ワタシ、ベッタラです! アノールのベッタラ!」

「わ、わかった、わかったよ!」

骨が軋むほどの勢いで抱きしめられ、ピエトは悲鳴をあげた。ピエトのその様子を見、カレンはやはり拒んで正解だったと思った。

「ラグ・ヴァーダですか! ペリドット区長と同じく違う部族ですかもしれない。おそらくそうでしょうかもしれない。ワタシはそれをみとめます!」

「アズラエル、どうしたらいいの」

「ニュアンスで理解しろ」

ピエトの進退窮まった苦悩顔に、アズラエルのアドバイスは投げやりだった。