「うさぎですか! うさぎならば、鍋か丸焼きと決まっている次第なのです!」

とうとつに、ベッタラのでかい声が最後尾にまで響き渡った。カレンとグレンは見合って首を傾げた。ルナとベッタラが、なにか話をしていることは伺いしれたが――。

「うさぎ鍋は非常にうまい――どうしましたか!?」

セルゲイにも聞こえた。ベッタラの焦った声が。

「さみしいですか!? かなしみに満ち溢れていますか!? ルーナさん! なぜ涙がこぼれるのですか!?」

 

「……ルナ、鍋にされちゃったみたい」

カレンのどこか遠いつぶやき。

「アノール族の前でうさぎの話をする方が間違ってんだ」

グレンの台詞は正しかった。

 

うさぎ鍋にされそうだったルナが、ようやく涙をひっこめたころ、人がずいぶん集まっているひらけた場所が見えてきた。中央で、おおきな井桁を組んで火がたかれている。

ここが、宴の会場だろうか。

アズラエルがふざけて、

「うさぎ鍋の用意でもしてるのかもな」

と後ろで笑うと、ルナはやっと引っ込んだ涙を、また目にいっぱいためてベッタラを見上げた。

「きょう……うさぎ鍋なの……?」

「ち、ちがいます! ちがいます!!」

やっと泣き止んでくれたのに、またルナが泣いてしまった。ベッタラは大いに焦り、

「うさぎ鍋は許さないことにします! うさぎをワタシは愛します! ええとぉ、は、腹の中で!」

 

「おなかのなか!!」

ルナはぴーん! とのけぞった。

「やっぱりたべるんだ!!」

 

「た、食べます! うさぎはいつも、食べたり食べなかったりします!! だって、われわれ海の民には、うさぎは、めずらしく貴重で、」

「うぐっ……ひぐっ……」

「泣かないで!」

ベッタラが泣きそうだった。

 

「いつまで漫才やってんだ、降りろルナ。着いたぞ」

区役所の駐車場と同じくらいの広さの草原だ。男も女も、こどもも合わせて百人はいるだろうか。全員が原住民だ。アズラエルたちの存在を見つけると、物珍しげに見つめてくる。

この地区に、一度でも来たことのあるアズラエルは平気そうだったが、グレンたちの顔が強張るのは致し方ないことだった。

ここでは、ベッタラだけが頼みの綱だが、肝心のベッタラはひどく暗い顔をして落ち込んでいた。

 

「ワタシ――アノールの戦士失格です――ともだちの女房を、二回も泣かせてしまった――」

「気にすんな。俺は気にしちゃいねえ」

アズラエルはあっさり言ったが、ベッタラはその逞しい肩を丸めて、

「アーズラエルではなくワタシが気にします。ともだちの女房ももてなせない男など、アノールではサイテイです……」

ルナに泣かれたのが相当ショックだったようだ。力のない声に、ルナは逆に申し訳なくなってきて――ルナは、なんとなく自分が食べられそうでこわかっただけなのだが――。

「ご、ごめんなさい、あの、ベッタラさん、」

「ルーナさん、うさぎは美味しいのです……わかってください……」

「食べたらだめ!!」

「おまえら、いい加減うさぎの話題から離れやがれ」

グレンの呆れ声が、ようやくふたりのうさぎ論争をやめさせた。

 

 

頬をぷっくりさせたままのうさこは、アズラエルの隣ではなく、グレンの横でもなく、セルゲイとカレンの間にはさまって、一番後ろを歩いた。ピエトは相変わらずアズラエルにくっついたまま、ベッタラのあとをついていく。

 

井桁の炎の向こう――三人の老人といっしょに、たき火を囲んでいる男がいた。

金髪の、がっしりした体格の男。琵琶の形をした、弦のある楽器を抱えている。彼が指先を弦にすべらせると、ポロン、ポロン、と音が鳴った。

(あれ?)

ルナは、なんだか彼の周囲が光っているような気がした。目の錯覚だろうか。

たき火の炎が、彼の姿を浮き上がらせているからか。

ルナは、すでに周囲が暗くなり始めているのにやっと気づいた。それにとても寒い。ルナは寒さに一度震え、身体を縮めた。火の暖かさが冷えた身体に沁みるようだった。さっきまでは、ベッタラがその身でルナを覆っていてくれたから、寒くなかったのだ。

 

金髪の男の太い指が、弦をかき鳴らした。ポロン、ポロンというかそけき音ではなく、ジャラン、ジャラランとメロディーを奏でていく。

男がやわらかなテノールで弾き語りを始めると、周囲の老人たちが調子を合わせた。

 

“はるかな昔 神々が地にあった

 ラグ・ヴァーダの神よ サルーディーバよ“

 

ベッタラも彼らの隣に座り、あとを追うように、アズラエルにも似た低く太い声で歌いだす。

腹に沁みるような男性の歌声に、ちかくのこどもたちのソプラノが交じった。歌声は外へ。輪唱が、ひろがっていく。

 

“サルーディーバはむかえた ラグ・ヴァーダと同じ青き星よりの使者を

 迷い人を

 彼のねがいを叶えたまえ 迷い人をすくいたまえ

 マーサ・ジャ・ハーナの神はかなえた

 戦士を送り出した

 ラグ・ヴァーダの戦士を もっともつよき武神を“

 

合唱は、伝播するように周囲を飲み込んでいく。

 

“ラグ・ヴァーダの名を持つつよき神よ

 神はアストロイの武神を 弟神を打ち破る

 つよき神よ おお! ラグ・ヴァーダの武神よ“

 

ルナは気づいた。ピエトも同じ歌をうたっているのを。

 

“されどラグ・ヴァーダの武神も アストロイの兄神のまえに敗れ去る

 おお! ラグ・ヴァーダの武神よ つよき神よ 偉大なる神よ“

 

ルナも――アズラエルもグレンも、セルゲイもカレンも聞き入っていた。言葉もなく。

地の底からわき上がるような、人々の歌声を。

 

“捕らえられたラグ・ヴァーダの戦士 偉大なる戦士

 アストロイの姫メルーヴァが救いたもう 青き星の民とアストロイの女王の子よ

 平和をもたらす姫よ うるわしき姫メルーヴァ“

 

“メルーヴァはラグ・ヴァーダの戦士の子を産む

 その名はイシュメル

 三つ星に平和をもたらす子ども

 ラグ・ヴァーダの戦士は散った 青き星のまがつ神のために

 アストロイの兄神は散った 青き星のまがつ神のために

 メルーヴァは散った 散り散りに砕けた 

ラグ・ヴァーダの戦士とアストロイの兄神のたたかいによって

イシュメルは守られた 青き星の偉大なる神によって

イシュメルは守られた われらラグ・ヴァーダの王サルーディーバによって

偉大なる王 サルーディーバよ

戦士はアストロスに眠る“

 

 “やがてまがつ神はやってきた ラグ・ヴァーダにも

 アストロイを滅ぼしたように

  まがつ神はやってきた ラグ・ヴァーダを支配する

  されどイシュメルはマーサ・ジャ・ハーナの神が守る

  マーサ・ジャ・ハーナの神よ

  三つ星を繋ぐまことの神よ!“

 

 

 大合唱が終わった。

 森を震わせるような盛大な合唱が終わり、井桁の炎が天をつき爆ぜる音だけが、しばらくこの地を支配した。

 ルナは、歌声が嵐となって身体を通り過ぎて行ったような気がした。身体の細胞がぜんぶめざめたように、胸が高鳴り、急に身体が大きくなった気さえした。

 

 (――今の、歌は)

 

 やがて、あちこちでグラスのかち合う音が聞こえた。さまざまな言語で交わされる、乾杯! の声。

 ルナがはっと気づくと、温かい飲み物がはいった金属製のカップがめのまえにさしだされていた。カップを差し出しているのは、笑顔のベッタラ。ルナは、「あ、ありがとう……」と言って、カップを受け取った。

 あたりは真っ暗だった。ルナがつめたい風にぶるりと身を震わせると、ベッタラが「暖かいですよ」といって、大きなストールを肩にかけてくれた。

 ルナがピエトを見ると、すでにピエトも毛布にくるまれてカップの飲み物を啜っていた。

 アズラエルもグレンもカレンも、セルゲイも、老人たちと、ベッタラといっしょに火を囲んでいる。みんなが、ルナを見ていた。

 

 楽器を弾いていた金髪の男が、じっとルナを見据えていた。その目はつよく、あたたかかった。

 

 ――なつかしい気がしたのは、なぜだろう。

 

 「K33区へようこそ」

 男は、ルナの方に手を差し伸べた。

 

 「会えるのを楽しみしていたぜ。“メルーヴァ”」